23 和洋折衷
予定よりも大分遅くなっての更新です。すみません。
※今回、百合展開ありです。苦手な方はご注意ください。
とあるオフィスビルの33階。
単調な音と共にエレベーターの扉が開き、1人の男が姿を見せた。
体格は細身。歳は中年。身に纏う雰囲気は穏やかで、笑い皺の目立つ優しい顔立ちをしている。
普段であれば、その皺に沿って人好きのする笑みを湛えているのであろう――が、しかし。今は何やら、眉間に寄せられた皺と、左頬に貼られたガーゼとが相俟って、やや緊迫した空気を感じさせる。
男は、エレベーターから一歩出たところで立ち止まり、足場を見つめた。
そこは石畳になっており、少し視線を上げれば段差が1つ。
石畳の隅の方には、革靴と女性ものの下駄とが綺麗に並び、恐らくここは玄関のつもりなのだろう。とすると、壁際の棚は下駄箱といったところか。
階層主の意図に従い、男は靴を脱いで段差へと足を掛けた。
耳に届くは、どこからかの水琴窟の音。
視界に飛び込むは、まるで日本家屋を思わせる和一色の景色。
初めて来た者であれば、別の世界にでも迷い込んだような感覚に、直ぐさま踵を返していたに違いない。
「はぁ……」
吐息を、1つ。
それで気持ちを固めると、その男――久保田俊彦は歩き出した。
木板の廊下を、右へ、左へ。
そうして少しの間の後に、目的の場所へと辿り着く。
襖の前で立ち止まり、今一度、久保田は大きく息を吐いた。
不死を崇拝し、謎の多いカルト教団として知られている“エデン”。その教皇様が、このような場所に一体何用だろうか。
その疑問の答えは、この襖の向こうに――。
「――神楽耶様。久保田で御座います」
しんと静まり返る廊下。
暫く待った後に、襖がゆっくりと開かれた。
中から現れた人物は、真っ白な絹の寝衣に身を包んだ、黒髪の美女――神楽耶。
透き通るような白い肌に一点、左の目元で主張する泣き黒子に意識が向けば、必然的に神楽耶の眼と合ってしまう。そうなればもう、逸らす事は叶わず。
正しく、吸い込まれるように。目を奪われる美しさ。
「おはよう、久保田。朝から御苦労なこと。……いえ、もう午の刻は過ぎておりましたね」
神楽耶の瞳が細められ、微笑が浮かんだ。
そこではたと我に返り、久保田は視線を泳がせる。
その先で、不意に襖の奥へと目がいってしまい、和洋折衷な部屋が広がっていた事を意外に思う。
中央に置かれたベッドには、まだ一つ膨らみがあり、短い金髪が――
「――ふふ。そう覗かれては恥ずかしゅう御座います。……彼の事はどうか、もう少しだけあのままで。愛し子の件で、近頃あまり構えずにおりましたの……」
「し、失礼致しました……!」
左頬に手を当てられ、視線を神楽耶の方へと誘導された。
白磁のように白く、滑らかな手であった。そしてその体温も、無機物ではないかと思える程に冷たい。
背筋がぞくりと振動し、驚きと緊張とで瞼が大きく持ち上がる。
謝罪の為に頭を下げようとしたものの、……駄目だ。
目が、逸らせない。
「……大分、治ってきましたね。あの女狐も、酷い事を為さる」
「い、いえ。これは私の失態ですので。本来であれば、死を以って償うべきところ……。このような怪我1つで済ませて頂き、紺様には感謝の限りで御座います」
「ふふ。……怪我、だけでしたか?罰ならもう一つ、……おありでしょう?とても、とても面倒な、こと。……どんな事であったのか、教えて下さいまし」
神楽耶の指が、頬から首筋へと落ちていき、鎖骨をなぞる。
言葉の1つ1つが蠱惑的に耳へと響き、触れる指の冷たさに、意識が更に向いてしまう。
「っ、ば、罰だなどと……。畏れ多くも、崇高なる12の使徒様方。その御身をお世話致します事、仰せ付かっておりますれば」
「そう、ね。……教皇ともあろう御方が、私の目覚まし代わりとは。他の者も皆、厄介な御方ばかりで御座いましょう?面倒を掛けますね」
「と、とんでも御座いません。っ、ひと月とはいえ、謹慎中の身で、このような大役を仰せ付かりまして、誠光栄の限りで……っ、」
唇に、冷たい指の感触。……自分の体温が伝導したのか、先程よりも少しだけ温かい。
息がかかる程に近い、神楽耶の顔を視界いっぱいに捉えた。
「お世話の続き、して下さいますか……?」
「っ、……っ!」
なんとも扇情的。
これは罠であると分かっているにも拘わらず、淫欲が溢れて仕方がない。
そうだ。この御方は誘っているのだ。
そんな勘違いのままに、久保田は神楽耶を、いや、この女を。今すぐこの場で組み敷いてしまいたいと――
「――うぐっ!?」
顔面を、何かに掴まれる。
これが手だと理解した時には、その握力の強さに、頭蓋骨が砕けるのではないかという恐怖が湧き上がった。
「貴様。……今、何を考えていた。よもやゴミの分際で、神楽耶様に欲情したのではあるまいな?」
低く、唸るような、されども中性的な声。
掴まれる指の隙間から見えたのは、短い金髪と、透き通るような青の瞳。
その容姿も声と同じく中性的であり、美男子である事を錯覚させる――が、しかしながら、着崩れた寝衣から覗く胸の膨らみが、その者の性を告げていた。
「ジャ、ジャンヌ、様……!そのような、ことは、決して……っ、ぅぐ!」
「黙れよ、豚野郎。糞の如くおっ勃ちやがって。嘘も碌に吐けねぇとは、流石に雄は低能だな。狐に殴られた程度じゃあ、学習しねぇのか?あ゛?」
「も、申し訳、申し訳……あ゛あ゛あぁぁぁぁあああ゛!!!神楽耶、様……!お助け、を……!」
身体が宙に持ち上げられる。
激痛で滲んだ涙越しに、久保田は助けを求めて神楽耶を見た。
その様子に、神楽耶は増々の笑みを湛えると、ジャンヌの頬へと両手を伸ばす。
「ふふ、ふふふ?……ジャン。そのくらいに為さって?久保田は必要な人材なのだから、殺しては不味い」
「ですが……!!」
「ジャン」
「んっ――!?」
包み込んだジャンヌの顔へ、自身の唇を。
突然重なったそれに、ジャンヌの顔は驚愕と羞恥で赤く染まる。
思わず久保田から手を離してしまっていることに、恐らくは気付いていないだろう。
「はぁっ……、かぐや、さま……っ」
蕩けた表情で、腰を砕くジャンヌ。
それを機に、互いの唇は漸く離れ、熱い吐息が漏れ出した。
「ふふ、いい子ね」
床に膝を付け、しな垂れかかってくるジャンヌを見下ろしながら、神楽耶は至極平然とした風にその頭を撫でる。
そうした後に、変わらずの艶美な微笑を湛えたまま、視線だけを横へ。無様にも尻餅をつく久保田が、哀れにも笑えた。
「久保田。お世話の続きはまだでしょうか」
「へ……?」
誘惑され、殺されかけ、かと思えば女同士での色事を見せつけられた久保田。
状況の移り変わりについていけず、久保田は呆けた表情のままに、神楽耶へと顔を向ける。
「……恥ずかしながら、腹の虫が鳴っておりまする」
「え、……あ、申し訳ございません!た、只今、お持ち致します……!」
僅かに頬を染め、袖で口元を隠す神楽耶の言葉に、久保田は漸く意味を理解した。
急ぎ立ち上がって、「献立は如何致しましょう」と腰を折る。
「そうですね……。昼餉にしては些か不釣り合いですが、甘味が食べとう御座います。バターと蜂蜜付きで、パンケーキを一品お願い出来ますか?」
「畏まりました。……ジャンヌ様には」
「彼は甘味が苦手ですから、サンドイッチなどの軽食を――」
「いいえ、神楽耶様!俺は同じものが食べたいです!」
突如として顔を上げ、未だ赤く染まった顔で神楽耶に詰め寄るジャンヌ。
「ふふ、困った子。私に合わせなくとも良いというのに」
「合わせてなどおりませぬ。俺は唯、貴女様と同じ場所で、同じものを食べるという至福を味わいたいだけ。その為ならば、俺は例え、それが毒薬であったとしても喜んで口に致しましょう」
「まぁ……。聞きまして、久保田?なんという愛の深さでしょうか。愛とはやはり、こうでなくては……」
色のある笑みを浮かべて、神楽耶はジャンヌの頭を撫でる。
その様はまるで、忠犬を愛でる飼い主のようだと久保田は思った。
「……承知致しました。直ぐに御用意致します」
深々と頭を下げ、踵を返す。
「ふふ。……何やら勘違いをさせてしまったようで、悪ぅ御座いましたね」
「っ……!し、失礼致します」
背中越しに聞こえる、嘲笑を交えた言葉。
未だ治まらない下半身の熱に、虚しさと羞恥、それから神楽耶への憤りを――
(駄目だ!尊き方々に対し、このような感情あってはならぬ……!)
自罰し、直ぐさま考えを改める。
神楽耶の性質を知っていながら、それに乗ってしまったのは自分の未熟さ故。
ああ、なんたる事だろうか。試練に、報いる事が出来なかった。
襖を閉め、奥歯を噛み締める。
――己の不敬虔さが、誠恨めしい。
今、自分が生かされているという事。
つまりは、まだ自分には利用価値があるという事。
それらをしかと胸に刻み、久保田は自身の崇拝する“不死”への忠誠を強くして、今日も生きているというこの現象に、心からの感謝を捧げた。
「……無能で卑しい、あのような人物を何故に教皇としているのか、ヒドリ様のお考えが分かりませぬ。先日の失態も、本来であれば万死に値致しましょう」
久保田の消えた襖を睨み付けながら、ジャンヌは舌を鳴らす。
「ふふ。あれでも忠誠心は確かな御人。そんな事を言っては可哀想ですよ、ジャン」
「ですが……」
「ヒドリ様や御父上様も、考えなしという訳ではないのですから。それに、……失態の件は大目に見る事と致しましょう。あれは少々、致し方のない事でした」
「それは、どういう……?」
思わぬ返しに、目を瞬かせて首を傾げるジャンヌ。
そんな彼女の頬へと愛おし気に手を伸ばし、神楽耶は意味深な笑みを浮かべた。
「イエス・キリストは、処刑から3日後に生き返ったというけれど。……ふふ。愛し子、黒沼優美。何やら底知れないものを感じます。死者が生き返るなど有り得る筈はなく、彼女は確かに死んでおりました。イエスと同じく、数十日程で昇天するのであれば宜しいが、……はて。愛し子は一体、その間に何を救済して下さるというのやら。自我のない人形かと思いきや、中々どうして意思のある……」
「……先日の件は、あの少女が謀ったと?」
「さぁ。……どうで御座いましょうね」
そう言って、神楽耶はくつくつと笑いを零すと、「神のお考えは、私如きには測れませぬ」と小首を傾げた。




