22 シスコンと堕天使
「うわー!!ケーキがいっぱい……!!」
リビングでケーキ箱の中身を覗き込みながら、花ちゃんが瞳を輝かせる。
俺は声量を上げると、はきはきとした口調で言葉を返した。
「いっぱいお食べ、花ちゃん。余ったやつは、また夜にでも2人で食べて」
「やったぁ!!」
「ありがとうございます、憧理さん。……良かったな、花」
「うん!」
台所から持って来た取り皿とフォーク、氷の入ったグラスとをテーブルに置きながら、直人は花ちゃんへと微笑を浮かべた。
滅多に笑みなど浮かべない直人だが、相変わらず妹の前では例外である。
「憧理さんは、アイスコーヒーで良かったですか?」
「ああ、ブラックな」
「花はミルクティー!」
「分かってるよ。ケーキ、お皿に載せて準備しておいて」
「はーい!お兄ちゃんはどれがいいの?」
「花が選んで」
「分かった!」
あ、それでいいんだ……。このシスコンが。
再び台所へと消えていく直人の後ろ姿を半目で見つめながら、俺はソファへと腰かけた。
「憧くんはどれがいい?」
「んー、……じゃあ、俺も花ちゃんに任せようかな」
「分かった!」
素直に頷いて、にこにことケーキを皿に載せていく花ちゃんの様子に、思わず苦笑する。
思考回路が腐っていようとも、その中身は変わらず純粋なままである。
「ボトルのなんですけど、いいですか?」
「サンキュ」
ペットボトルのミルクティーとコーヒーを持って戻ってきた直人が、俺の頷きを見てグラスに飲み物を注ぐ。
「花ちゃんのはどれ?」
「桃のやつ!……でいい?」
「もちろん」
皿に取られた3つのケーキの内、桃が贅沢に盛られたタルトに手を伸ばす花ちゃんだったが、その手前で動作が止まって、遠慮気味に俺を見遣る。
俺は苦笑しながら頷いて返すと、アイスコーヒーで喉を潤した。
「直人はどれにするんだ?お前達に買ってきたものだし、遠慮せずに食べろよ?」
「あ、はい。……花、どっちを俺のに選んだ?」
「マンゴーのやつだよ!」
「分かった。……じゃあ、マンゴーの戴きますね」
「お、おう……」
カーペットの上で胡坐を掻きながら、マンゴーのケーキを手に取る。
円の形をしたムースを土台に、マンゴーが薔薇の様に敷き詰められている芸術的な逸品である。店長のおすすめって書いてたやつだ。
「てことは、メロンのが俺のやつか」
アイスコーヒーをテーブルに置き直し、最後に残ったメロンのケーキへと手を伸ばす。
その断面からは、やわらかなスポンジ生地と生クリームに挟まれて、爽やかな黄緑色をしたメロンたちが控えめながらも顔を覗かせていた。
上には、丸く繰り抜かれた可愛らしいメロンと涼し気なジュレが品よく置かれ、数粒飾られたブルーベリーの色が良いアクセントとなっている。
「いただきます!!」
「いただきます」
「はいよ」
花ちゃんは俺の隣に腰掛けて、桃のタルトを口へと運ぶ。
「ん~~!!」
フォークを持つ手で頬を押さえ、「美味しい~!!」と幸せそうに笑みを浮かべる花ちゃん。
直人も、「美味しいです」と微笑を浮かべていた。
良かった良かった。
「――うん、美味い!」
2人に倣って、俺もケーキを口へと入れる。
メロンの瑞々しい甘さとふんわりとした生クリームが、口の中でやわらかく溶け合って喉へと落ちていった。
文句なしに美味いです。
「お兄ちゃ~ん……」
「ん。……はい、花」
「えへへ、ありがとう。花のもいいよ」
花ちゃんに呼ばれ、直人は分かっているとばかりにケーキを呑み込みながら、自分の皿を妹へと差し出した。
互いのケーキを美味しそうに食べ合う兄妹達の様子を見つめながら、俺はなるほどと納得する。
……はっはーん。
さては花ちゃんってば、自分が食べたい物を直人に選んだな?
そして直人も、それを知ってて敢えて選ばせたという訳か。この、妹優先のシスコン野郎め。
「――って、……どうしたの、花ちゃん」
思考の途中、隣から花ちゃんの強い視線を感じて、首を傾げる。
「憧くんのも、……食べていい?」
上目遣いで、しかし途中から俺のケーキのみを凝視する花ちゃん。瞳は輝き、喉が鳴っている。
どうやら俺のも、花ちゃんが食べたかったもののようだ。
俺は苦笑すると、「いいよ」と皿を献上した。
花ちゃんは嬉しそうな笑みと共にフォークを伸ばすと、俺の手に持たれたままの皿からケーキを一口分取り、口へと入れる。
「ふふふ♪こっちも美味しいねぇ!」
にこにこと笑って、「これもどうぞ」と直人のケーキだったものを俺へと向ける。
俺は「ありがとう」とまたもや苦笑しながら、それを一口頬張った。
うん。美味い。バニラが香るムースの優しい甘さと、マンゴーの滑らかな食感が――、
「――憧理さん」
「ん?」
不意に名を呼ばれて、脳内食レポを中断する。
前方に顔を戻すと、気真面目そうな表情のままの直人が、……フォークに乗せた桃のタルトを俺へと向けていた。
「……それは?」
「これもどうぞ」
流石に、口元が引き攣った。
「いやいやいや。どうぞじゃねぇよ。そういう時は普通、皿を差し出すものじゃねぇ?」
「いえ、どうぞ」
「……」
半目になって、僅かに思考を巡らせた。
何を企んでいるのかと考えた辺りで、こいつの人生は全て妹に捧げられている事を思い出す。
……チラリ。
隣を見遣って、確信。
そこには、先程までいた筈の天使の姿はなく、頬を紅潮させ、期待の眼差しを向ける腐れ堕天使の姿があった。
スマホの背をこちらに向けながら、何やらそわそわとしている。
「……」
無表情且つ半目のまま、俺は直人に向き直り、開いた口を近付ける。
それに対し直人は、真面目フェイスを崩す事無く、俺の口へとケーキを入れた。
隣から、物凄い勢いで連写音が鳴り響く。
「――ふっ。……満足かい?花ちゃん」
もくもくと口を動かした後、ドヤ顔で開き直って手足を組む。
こういうのは、恥ずかしがると逆に喰われる。
腐女子とはそういう生き物だ。
「うん!うんうん!!ありがとう、憧くん!!この前のも、ありがとう!!松下さんとの、良かったよ!!」
「ふっ、ふははっ!!あれぐらいいいって事よ!!そもそも、男相手に何を照れる事がある?同性だぞ?ふはははは!!……うん」
虚勢を張っている自分が、何だかちょっとだけ、居た堪れなくなった。
そっと、目を逸らす。
「流石は憧理さん。LGBTに対する、妹の崇高なる思想にも理解があるとは。人間、考えなしに差別をし合うのって、悲しい事ですよね。それを中学生だった妹から教わる事になろうとは、当時の俺は考えてもいませんでした……」
「……直人。多分花ちゃんは、そこまで壮大な事は考えてないと思うぞ」
遠い目をしながら、口直しにコーヒーを流し込む。
ダメだ、この兄妹。
「ふふ♪お兄ちゃん×憧くん♪」
「やめてぇ。改めて言語化されると、何か色々と込み上げてくるぅ」
髪を耳に掛けながら、スマホ画面を見つめる花ちゃん。
声にならない悲鳴を上げながら頭を抱える間際、花ちゃんの耳に付けられたピンクの補聴器が目に入った。
「……花ちゃんの耳は、今どんな具合なんだ?」
スマホ画面に夢中の花ちゃんを横目で一瞥ながら、小声で直人に問う。
生まれた時から耳が悪い花ちゃんは、あまり小さい音を拾えないのだ。
母子家庭の中で育った直人達は、およそ10年前、虐待が原因で俺がいた施設へと一時保護されたのだが、その時は補聴器がなくとも、ゆっくりと大きな声で話せば会話が出来ていた。
一応、理解しやすいようにと、唇をはきはきと動かしつつ、当時と同じく大きめの声で話していたのだが、……現状、耳の調子はどうなのだろうか。
「……昔より、少しだけ。……でも、補聴器を使えば以前と変わらない程度には聞こえているようなので、大丈夫ですよ。読唇術も上達しましたし、多少早口で喋っても理解してくれています。昔と違って、手話も使える様になりましたしね。少なくとも、兄妹の間では何の支障もないです」
「そうか……」
兄妹の絆が深まる訳だな。
憂いを込めた瞳で、直人を見つめた。
「うん!だから、心配いらないよ!ありがとう、憧くん!」
「き、聞こえてたのか……」
「えへへ。全部じゃないけどね」
困った様に笑いながら、花ちゃんは直人にケーキを返却して、自身もまた桃のケーキを受け取った。
「そっか。……頑張ったんだな!」
「ふあ!?」
「っ!?」
ケーキを交換する為に距離が近付いた2人の頭を、わしゃわしゃと同時に撫でる。
花ちゃんは一瞬驚いた表情を浮かべるも、その後は「あはははは!」と笑い声を上げていた。対して直人は、照れ臭そうに顔を俯かせる。
「ふふ。変わらないね、憧くん。優しいままの憧くんで、良かったぁ。憧くんにまた会えて、……良かった。……花は、すごく嬉しいよ。……えへへ」
ソファに座り直し、照れたような微笑みを浮かべる花ちゃん。
「……そうだな。俺も、嬉しかったよ」
俺もソファに座り直すと、今度はその頭を優しく撫でた。
……ちょっと忘れかけていた事は秘密である。