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不死の噂  作者: とりふく朗
第一 古屋憧理
18/24

17 師匠

 カーテンが閉め切られたその部屋は、昼間だというのに薄暗く。

 聞こえてくるものは、エアコンの音と、窓から僅かに響くセミの声だけ。


「ぐ、かぁー……、ふが、……ぐごぉー」


 ――訂正。

 部屋の主の鼾が酷い。

 それと、……結構な汚部屋である。


「うっわー。相変わらず汚ねぇなぁ……」


 辺りを見回し、毎回の事ながら溜息が零れる。

 鼾がする方へと視線を向ければ、ソファからはみ出た長い脚。

 俺は苦々しい表情で二度目の溜息を吐き出すと、床に転がる酒瓶やら缶やらを避けながら、その人の許へと歩を進めた。

 そこにいたのは、白シャツと黒のジーンズが良く似合う、見た目年齢30前後の大人な女性。

 シャツは第二ボタンまで外されており、その胸元には乱れた髪がさらりと流れる。

 それが何とも蠱惑的で、彼女をよく知る俺以外の者が見れば、男女問わず胸を高鳴らせている事間違いなし。

 ぶっちゃけ、俺も最初はそうだった。慣れって怖いよね。

 誰が見ても間違いなく美女である筈なのに、……いかんせん。美女は美女でも、残念な方の美女なのだ。

 だらしなくも大口開けて、酒臭い息を盛大に撒き散らすこの様を見れば、夢も一瞬で冷めるというものだろう。

 そしてこの女性、何を隠そう俺の――


「師匠!!起きて下さい、師匠!!……はーじーめーさん!!起きて下さーい!!」


 ――そう、師匠だ。

 名を、終夜初命しゅうやはじめ

 俺が探偵を始めるきっかけであり、探偵として育ててくれた人物。


 出会いは、俺がまだ中学一年生だった頃。

 ……ゴホン。……詳しくは割愛させて頂こうか。

 師匠との恐ろしい出会いの物語は、また追い追い語るとしよう。

 とまぁ、兎にも角にもだ。

 中学から高校卒業までの約6年間を、探偵業をしていた師匠の助手兼見習いとして、バイトをさせてもらっていた。

 俺が独立する際は、自分を贔屓にしてくれていた上客なんかを全てを俺に引き継がせ、師匠は早々に引退。この道では結構名の知れた人物だったのだが、それなりに稼いだ事と、俺という後継者が見つかったという事もあって、あっさりと探偵業から身を引いた。

 本人曰く、「働くのしんどい。疲れた」……だそうだ。

 その歳でもう隠居とはどういうことかと思わなくもないが、師匠は見た目と違い、実は結構それなりの歳である。

 若さの秘訣は酒だと宣う、自他共に認める美魔女。11年前に出会ったあの日から殆ど見た目が変わっていない、年齢不詳のババ――、


「――うぐふっ!?」


 股間に激痛が走り、堪らず抑える。

 な、なんてこった。息子が、俺の息子が……。

 前屈みになりながら、痛みで悶える息子を必死に宥める。

 ふー……、ふー……。

 ……こんの馬鹿師匠、寝相悪過ぎんだろうが。

 心を読んだかのようなタイミングで、俺の息子を蹴り上げやがった……。

 ソファから床へと放り出された片脚を憎らし気に見つめながら、俺は師匠の上半身の前へと移動する。


「師匠!!おい、師匠!!初命はじめ師匠!!起きろ、この馬鹿!!」


 怒りを込めて肩を揺する。


「ぐ、……がが、……うーん?むにゃむにゃ……。えいひれ、おかぁりぃ……」


 仰向けの状態から、ソファの背凭れ側へと横向きに寝返りをうつ。

 猫の様に身を縮こまらせたその体勢は、見た目だけなら可愛らしい。見た目だけなら。


「この飲んだくれが……。師匠っ!!!師匠ってば、おい!!……あーあ、いいのかなぁ。今日は土産に、美味しい美味しい地酒を持って来たんだけど、これじゃあ渡せねぇなぁ。……仕方がない、俺一人で飲んで――」

「酒だとっ!!?」

「――がはっ!?」


 師匠の顔をゲス顔で覗き込んでいると、急に意識が覚醒した師匠の頭が顎に直撃。

 視界がぶれて、軽く脳震盪を起こすかと思った……。


「~~っ!!うぅ……、何をするんだお前。二日酔いに響くだろうが……って、ん?……なんだ。誰かと思えば、憧理じゃないか。師匠の寝込みを襲うとは、……ふっ。男はやはり狼だな。けしからん、もっとやれ」

「すいません、師匠。欲求不満なら、店にでも行って来て下さい。あと、名誉毀損で訴えていいですか?」


 自身の両肩を抱きながら、かかって来いとばかりに高圧的な笑みを浮かべてくる師匠。

 血管が浮き出る程イラついた。


「はぁー、やれやれ。詰まらんなぁ。このヘタレめ」


 溜息を吐きながら、師匠は床へと両足を下ろして起き上がる。

 師匠のコレは、冗談だと分かっていてもやはりイラつく。

 セクハラで訴えてやろうか、この女……。


「……はい、水」

「ふふ、すまんな。流石は我が弟子だ」


 どうせこんな事だろうと思って、買って来ていたミネラルウォーターを師匠に渡す。

 情けない事に、これがいつものやりとりだ。


「ふぅー……。冷たい水が、五臓六腑に染みわたる様だ……」

「うわー。それ聞いちゃうともう、師匠を女として見れないですわー……」


 大股開けて座りながら、オッサン……いや、ジジィ臭い台詞を吐き出す師匠。

 俺は半目になって、カーテンの向こう側にあるであろう、遠くの空を見つめた。


「それで、土産の酒とやらは?」

「夢の中でも聞いていただなんて、流石ですね。でも駄目です。後で渡します」

「――チィッ」


 頬を朱色に染めながら、わくわくと輝きを放つクールビューティーな師匠の顔が、俺の返事によって忽ち曇り出す。

 子供か。

 怒っても拗ねても駄目です。


「とりあえず部屋片付けるんで、師匠はシャワーでも浴びて来て下さい。ご飯も適当に、何か作っておきますから。どうせ、酒とつまみばっかりで、碌な物を食べていないんでしょう?」


 やれやれと首を振りながら冷房を切り、カーテンと窓とを開け放つ。

 蒸し暑い空気が流れ込んでくるが、酒とタバコの臭いに汚染された空気よりかは断然マシだ。


「私に指図するとは、偉くなったもんだな」


 日光の明かりと、夏の生温かい風を浴びながら、師匠はタバコに火をつける。

 駄目人間である筈なのに、長い黒髪を鬱陶しそうに掻き上げてタバコを吸うその姿は、何故だかどこか格好良く見えてしまう。

 大人の色気というものだろうか。……ババアの癖に。


「それ吸ったら、風呂ですよ」

「あー、分かったよ」




*******


 書類を纏め、瓶やら缶やらをゴミ袋に入れ、掃除機をかける。

 途中から流石に暑くなってきたので、窓を閉め直してエアコンを付けた。

 さて、今日は何を作ってやろうか。

 そう思いながら冷蔵庫を漁っていると、風呂場の方から師匠の声が。


「憧理ー。バスタオルー」

「……チッ」


 この駄目人間が。

 それぐらい、普通持っていかないか?

 苛立ちを顕わに冷蔵庫を乱暴に閉め、バスタオルを風呂場へと持っていく。


「ドアの前に置いときましたからねー」

「ああ、すまんな」

「ちょ……!?俺がいなくなってから開けてくださいよっ!!」


 堂々とドアを開け放ち、バスタオルを拾う全裸の師匠。

 慌てて顔を逸らす俺。

 もう!もうっ!!ちょっと見ちゃったじゃないか!!

 母親や姉の裸を見ちゃった様な心境で、居た堪れない……!!

 あー、やだやだ。これだからデリカシーのない女は。プンプン。

 ……あれ?普通ここは、男女逆じゃね?


 冷蔵庫を漁った結果、ネギと玉子とラップに包んだ冷凍ご飯があったので、チャーハンを作る事にした。

 というか、……うん。以前に俺が買って来た食材、そのまんま残ってる感じだね!まぁ、知ってたけどね!あはははは!

 シュタタタターっとネギを刻んでいると、風呂場のドアが開く音が聞こえた。

 ……あれ、もう着替えてきたのか。

 そこまで思考して、ふと気付く。

 ……バスタオルさえ持っていかない奴が、果たして着替えを準備しているのだろうか?

 答えは、否。


「し、師匠~っ!!あんたって奴は本当にもうっ!!」


 ――オッサンの如く、タオルを首に掛けただけの状態で、予想通りの師匠が登場した。


「なんだ今更。私の裸なんぞ見慣れているじゃないか。どれだけ一緒に寝たと――」

「変な言い回しすんなっ!!さっさと服を着やがれ、この露出魔が!!」


 あー、もう。本当に居た堪れねぇ!!


「おいおい、この程度で動揺するとか、……はっ!!まさかお前……、童て――」

「違ぇからっ!!」


 嘗めんなババア!!

 はたと目を見開いて、気遣い気に口元を手で覆う師匠の表情。……一発殴ってやろうかと思った。返り討ちに合うからしないけども。


「ふふ、冗談だ。……確か最初の相手は、高校の――」

「何で知ってんの!?やめて!?」


 もうヤダこの人。デリカシー無さ過ぎて辛い。

 あと、マジで早く服を着て。


「えーっと、パンツパンツ……。お!今日は紫にすっかな、グヘヘ……」

「態とやってますよね、それ」


 というか、何でリビングの棚に着替えを入れているんだ。

 常識的に考えて、普通は寝室じゃなかろうか?

 まぁ、もう慣れたけどね!……はぁ。


「――それで、憧理。今日は私に、何か聞きたいことがあるんだろう?」

「……っ!!」


 チャーハンを炒めながら、驚いた拍子に師匠へと顔を向ける。

 クローゼットの方へと移動していた師匠は、黒のジーンズを履き終えて、黒シャツに腕を通す最中であった。


「どうしてそれを……」

「おいおい。お前は私を誰だと思っている?そしてお前は、私と何年一緒にいるんだ。……いい加減に理解しろ。私に、分からない事など何一つない」


 シャツのボタンを留めながら、横目で俺を流し見る師匠。

 手元からは、ジュージューという、チャーハンが焼ける音。

 フライパンを早く動かさなければと思いながらも、俺は目を見開いて、師匠から視線を逸らすことが出来なかった。

 が、しかし。

 それから直ぐに思考は回復し、俺は半目になりながら、手元をのそのそと動かし始める。


「……嘘ですね」

「ああ、嘘だ」


 やっぱり。




*******


 席に着き、いただきます。

 今日のお昼は、チャーハンと卵スープ。しか作れなかった。


「――ぷはぁっ!!風呂上がりのビールは、五臓六腑に染みわたるなぁチクショウ!!」

「いい加減酒控えないと、そろそろ死にますよ。マジで」

「大丈夫だ。この程度じゃ、まだ死なない」

「その確信はどこからくるんですか」


 早速ビールを開け、またもや酒。

 くっそぅ。美味そうに飲みやがる。


「憧理も飲め」

「車で来たんで遠慮しておきます」

「なんだ、詰まらん。泊っていってもいいんだぞ?」

「家で可愛い我が子達が待っていますから」

「その呼び方、気持ち悪がられるだろう?」

「……家で、可愛い弟妹達が待っていますから」

「ふふ、そうか。……葉流と愛樹は元気にしてるか?」

「お陰様で」


 テレビの音をバックグラウンドに聞きながら、他愛の無い会話を交わす。

 途中から吸い始めた、師匠のタバコの煙が鼻につく。

 肩からはバスタオルが掛けっ放しで、髪も濡れたまま。

 本当に、俺の師匠はだらしない……。

 呆れて呆れて、最早愛おしい程に。

 俺は小さく鼻で笑うと、スプーンで山盛り掬ったチャーハンを、口へと豪快に運んでいった。



そう日を開けず、また更新致します。

いつも待たせて申し訳ありません。

今回の師匠サービスシーンで許して下さい。

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