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不死の噂  作者: とりふく朗
第一 古屋憧理
17/24

16 小旅行

更新遅くなりました。

すいません。

 ――八苦村。

 いやに不吉な印象を受ける名前の村だが、山と海とに囲まれた、自然豊かな美しい村である。何より、山の幸にも海の幸にも恵まれているから、ご飯が美味しい。とても美味しい。


 村名の由来は、この村に遺る怪異伝説から。

 要約すると、昔々に村民の男に食べられそうになった魚が、『私を殺せば、八つの苦しみがこの村を襲うぞ』と、男を脅迫する話だ。

 しかし男は貧しく、病に伏せがちで身重な妻がいた事もあって、男は魚の言葉を真に受けなかった。

 男は、『喋る魚ならば滋養も高いに違いない』と、捌いた魚を妻に食べさせてしまう。

 すると、妻は忽ち元気になって、出産の日を無事に迎えることが出来た。

 ――が、生まれてきた子は、なんと魚人の女の子。

 肌に鱗を生やす悍ましい我が子の姿に、男は驚き悲しんで、妻はショックで死んでしまった。

 村人は事の真相を男から聞くと、災いを恐れて祠を建てた。

 けれど、災いは容赦なく村を襲う。

 大雨により山が崩れ、決壊した川と共に土砂が村を埋めた。

 強風により海が荒れ、高波が津波の如く村を流した。

 生き残った者達は、あの魚は水神の化身だったに違いないとして、新たに社を建てて大切に祀ったという。お終い――。




「――でもそれだと、まだ八つの苦しみっていうのは終わってなくない?」


 山を登りながら、暇つぶしにと聞かせた昔話に、愛樹が目を瞬かせて質問する。

 学校の授業でも、これだけ熱心だったら憧ちゃんは嬉しいんだけどな……。


「八つの苦しみっていうのは、この村の名前にもなっている“八苦”の事な訳だけど、これは仏語でね。愛樹ちゃんでも理解できるように分かりやすく言うと、」

「馬鹿にすんなよ?」

「生きること、老いること、病気になること、死ぬことの“四苦”に、」

「ねぇ、聞いてる?」

「大好きな人との別れである『愛別離苦あいべつりく』、大嫌いな人と会う『怨憎会苦おんぞうえく』、欲しい物が手に入らない『求不得苦ぐふとくく』、そして最後に、そもそも心と身体があるから苦しいんだよねっていう『五陰盛苦ごおんじょうく』の四つを合わせたものが“八苦”とされているんだ。……ここまでは、一先ず分かったかな?」

「うん。憧ちゃんが私を馬鹿にしてる事がよく分かった」

「御名答」

「バーーーーカ!!!バカバカバカバーーーーカッッ!!!馬鹿にする方が馬鹿なんだからね!!」

「馬鹿って言う方が馬鹿なんですぅ~……ぐふっ!!」


 刀の鞘で、鳩尾を思いっ切りド突かれた。

 というか、どうして登山に刀を持ってきてんだお前は!!


「兄さん、暑苦しいからあまり騒がないで。愛樹も、直ぐに暴力に訴えるのは駄目だって、俺いつも言ってるよね?」

「……ご、ごめんなさい」


 後ろを歩いていた葉流が、機嫌悪そうに顔を顰めながら俺達を睨む。

 その説教に、愛樹が委縮した様に身を縮め、恐々と葉流に謝罪した。

 愛樹の態度に、またやってしまったとでも思ったのだろう。葉流は、はたと目を見開くと、バツが悪そうな顔で愛樹からそっと視線を逸らす。


「……まぁ、今のは兄さんが悪かったし、仕方がないとは思うけど」


 そう言って、立ち止まる俺達を追い越して、遅いペースながら歩を進めた。

 右脚に遺る後遺症は、生活をする上では支障がないとはいえ、激しい運動はやはり難しい。

 体力がない俺にとってもこの山登りはしんどいが、葉流はそれ以上に辛い筈。

 更には、自分がみんなの足を引っ張って、ペースを落とさせてしまっているという自己嫌悪。

 別に急いでいる訳ではないし、こうして雑談しながらのんびり登山をするのも悪くないので、俺も愛樹も全く気にしていないのだが……。

 生真面目な葉流にとっては、はいそうですかと楽観的になる事は出来ないらしい。

 とはいえ。

 だからといって、自分への苛立ちを、他人に八つ当たりするのはどうかとは思うが。

 まぁ、その事についても葉流は分かってるだろうし、今頃は更なる自己嫌悪に苦しんでいるのだろうけど。


 俺はやれやれと溜息を零すと、小走りで葉流を追い抜いて、背を向けたままピタリと足を止めた。

 俺が目の前で立ち止まった事で、必然的に自分も立ち止まる事となった葉流。

 怪訝そうな顔で首を傾げる葉流を横目で見遣ると、俺は地面に片膝を付いて後ろ手に伸ばす。


「……何?」

「おんぶだ。憧ちゃんの背に、飛び込んで来い!」


 ――さぁ、来い!!

 しかし、その行動虚しく、葉流は冷めた視線を俺の背に突き刺すと、一言。


「無理でしょ」


 身長180近い葉流と、162の俺。

 ……ですよね。


「じゃ、じゃあ、私が……!!」

「いや、体力とか筋力とか身長だとか、そういう意味じゃなくて……。いや、そういう意味もあるけど。……愛樹も無理だからね?というか、出来たとしても嫌だから。俺が」


 俺の隣で同じようにしゃがみ込む愛樹の背を見て、葉流が口元を引き攣らせて申し出を拒んだ。

 それから、やり場の無くなった手を前面に戻し、静かに立ち上がる俺と愛樹。

 葉流の堪える様な笑いが、小さく聞こえた。



「――で、“八苦”については分かったのか?」


 登山を再開し、愛樹に先程の問いを聞き返す。


「いきなり話が戻るね、憧ちゃん」

「おうよ」


 俺としては、終わらせたつもりはない。

 一度驚いた顔をした後に、さっきの話の内容を思い出しているのか腕を組む愛樹。

 まだ数分も経っていなかったと思うけど、まさかもう忘れてしまったのだろうか。


「えっと、……要は、生きてると苦しい事がたくさんあるって事だよね?」

「……うん、まぁ、ざっくり纏めるとそうなる、のか?」


 忘れてはいなかったようだが、まさかの纏め方に、今度は俺の方が頭を抱えてしまった。


「それで、魚の言った“八つの苦しみ”とはどう繋がっていくの?」

「うーん……。やっぱり、分かってるようで分かってないなぁ。……だからね、愛樹ちゃん。さっき俺が言った“八苦”こそが、それなの。災害によって、村には多くの死が訪れて、生き残った者は愛する者を失い悲しんだ。死んだ者ともう一度会いたいと願っても、それは叶わない。愛樹がさっき纏めた様に、生きていると苦しい事がたくさんある。なにも、“八つの苦しみ”が“八つの災い”を意味している訳ではなくて、あの災害は、村人達が生きる苦しみを味わうきっかけの一つに過ぎなかったというだけ。つまり、魚の言った“八つの苦しみ”とは、予知でも呪いでもなく、何もしなくても勝手に訪れる人生の苦しみの事だったんだよ。胡散臭い占い師が、『あなたは10年以内に、少なくとも一度は怪我をするでしょう』って言う様なものだな」


 うんうんと、1人納得するように首を振る。

 愛樹は考え込む様に顎に手を置くと、「じゃあ、災害も偶然なの?」と首を傾げた。


「十中八九、そうだろうな。まぁ、昔話だし、マジレスするものでもないんだけどね……」


 昔話って、人間以外で喋る生き物とかいっぱいだし、それに対してツッコむのは無粋でしかないんだろう。

 だが、それを踏まえた上で敢えて言わせてもらおう。

 ……喋る魚を食べる時点で、既におかしい。

 しかも自分で食べるのではなくて、妊娠中の妻にだ。

 妻に食べさせる前に、ちゃんと自分でも毒見したのだろうか?

 妻には、喋る魚だという情報を開示した上で食べさせたのだろうか?

 そんな色々な疑問が過ぎるところではあるが、まず第一に。

 ――俺なら絶対に御免である。

 どんな状況であっても、そんな物は食わん。海へ即刻リターンさせる。

 ……いや、嘘。餓死寸前だったら喰うかもしれない。その状況になってみないと分からんけど。


「じゃあ、魚人の赤ちゃんはどうなったの?」

「何年かは、神の子供として崇められながら育てられたらしい。でも災害後、村から姿を消したんだってさ」

「……死んじゃったって事?」

「かもしれない。昔話では、“水神の子を連れ戻す為に海が荒れ、波と共に魚人の子も海へと帰っていった”とされてるけどね」

「そっか……」


 現実と照らし合わせて考えると、昔話や童謡なんかの話は結構シビアな内容だったりするものだ。

 魚人の子どもというのは、要は奇形児だとか、何かしらの障害を持った子供だったという事だろう。

 愛樹は少し気が落ちたのか、口を閉ざしたまま黙々と足を動かしていた。




「――着いた!」


 疲労で談笑する気も失せてきた頃。

 葉流と2人して肩を並べ、下を向きながら無言で歩いているところに愛樹の声が掛かった。

 顔を上げると、開けた場所が見えていて、もう目と鼻の先である。

 息荒く、「つ、着いた……」と呟く俺を放って、嬉しそうに岬へと全力ダッシュする愛樹。

 若いっていいなぁ……。愛樹の場合は、若さだけが理由ではないけども……。

 体力馬鹿……。


「葉流、大丈夫か?」

「はは……。兄さんこそ」


 痛んできたのか、葉流は脚を軽く摩って苦笑する。

 ここに着くまでにも、途中途中で何度か脚を摩っていた。

 ……宿で待っていれば良かったのに、って言ったら、怒るんだろうなぁ。


「早く早くー!!海、綺麗だよー!!」

「はいはい」


 岬の方から手招きして叫ぶ愛樹へと適当な返事を返して、俺達はその場所に到着した。

 ――5年前、羽田灰斗が死んだ、その岬に。

 そして今日は、8月5日。……カイの、命日である。


 木々を抜けて、後ろに遠ざかってゆくセミの声。

 それに代わって、海鳥達の声と波の音とが大きくなってゆく。


 この暑さも、この音も、この景色も、……この疲労感も。

 何もかもが、変わっていない。


「去年も来たけど、……やっぱり、綺麗なところだね」


 葉流が吐息を零しながら、独り言のように呟いた。

 空と海。

 どこまでも続く一面の青と蒼に、言葉を失う。

 何度来ても、暫くはこの非現実的な美しい景色に見惚れてしまう。


「……そうだな。こんな綺麗な場所で死んじまうんだから、本当に罪な奴だよ、あいつは……」


 とはいっても、以前からちょっとした自殺スポットにはなっていたらしいから、今更な話ではあるのだろうが。

 何でも、潮の流れが複雑で、死体が発見されにくいんだとか。

 それさえなければ心から楽しめる景色なのだが、……迷惑な話だ。あいつも本当に、馬鹿である。


「今年も来たぞ、カイ。……ほらよ。1000円で見繕ってもらった花束だ。有り難く受け取れ、バーカ」


 そう言って、カイが落ちていった崖から、持ってきていた花束を海へと投げる。

 1000円の花束は、波に漂う事も無く、一瞬にして潮に揉まれて海の中へと消えていった。


「……あーあ。勿体ねぇの。1000円が一瞬にして消えちまった。ここまで持って来るのも結構大変なんだぞ?嵩張るし。来年はもっと値段下げて、ボリュームも減らそう。……500円とかでいいか?花も1、2本。……というか、その辺に生えてるのでもいい?いいよな?うん。よし、決定」

「そんなケチらなくても……。それにその花束、1000円のじゃなくて――」


 俺の隣に並び、葉流はそこまで言って口を閉ざす。

 もう片側には愛樹もいて、2人して俺の横顔を一瞥した後、目を瞑って両手を組んだ。

 けれど俺は、目を開けたまま。

 ぼんやりと崖の下を見つめ続けて、あの時の情景を脳裏に描く。

 目の前で死んでいく親友。

 それを、無力に無知に、その様子を見ていただけの俺。


「……ごめんなぁ、カイ」


 最後にポソリと、一言だけ呟いた。




*******


 宿で出された夕食は、海と山の幸尽くしの、それはそれは美味しいものだった。

 毎年食べているし、食材が若干異なるぐらいで殆ど同じようなメニューではあるが、全く飽きない。

 山菜の天ぷら、猪肉鍋、筍のホイル焼き、きのこと山菜の炊き込みご飯、鮎の塩焼き、刺身、ワカメの味噌汁。

 この豪華さと美味さ。飽きる方がおかしいだろう。

 味噌汁のワカメもシャキシャキで、これまた美味いんだ。乾燥ワカメとは雲泥の差である。


「はぁ……。美味かった……。地酒も美味いし……」


 締めのデザートである塩アイスを食べ終えて、そのまま後ろに寝転がる。

 夏しか来たことないけど、他の季節にも訪れてみたいものだ。ご飯を食べに。


「本当にね。酒はまだ分かんないけど……。来年になったら、俺も兄さんと飲んでみたいな」


 葉流が食事の余韻に浸りながら、静かに笑う。


「あはは!そういえば、来年で葉流も成人だったか。……楽しみだな!」

「うん」


 早いもんだなぁ……。

 そんな感慨深さに浸りながらも、来年はこの場所で葉流と酒を酌み交わしているであろう事を想像し、自然と笑みが浮かんでくる。


「もう一泊ぐらいしていきたいね。近くに孤島もあるんでしょ?船が出てるっていう張り紙があった」

「それはまた来年、時間があったらだな。明後日はテストの追試なんだろう?サボった分、しっかりやってきなさい」

「分かってるよ……。ごめんって」


 広瀬恵が来訪した時、葉流は俺の疲労を気遣って、テストを休んだ。

 特別な理由で受けられなかった生徒用に追試日が設けられているらしく、ちゃんとそれを見越してのズル休みである。

 単位を落としたのではと心配だったが、流石は葉流。抜かりがない。


「分かればよろしい。……それで、愛樹ちゃんは?ご飯、美味しかった?」


 さっきから無言の愛樹が気になり、視線を向ける。

 愛樹はこくりと頷くと、物寂しそうにスプーンを口に当てながら、こう呟く。


「アイス、もう一個食べたいね……」

「すいませーん!!アイスもう一個戴けますかぁ!?」





 家族とはいえ、年頃の愛樹を野郎2人と同室でいいのかと悩んだが、愛樹が「一緒の部屋がいい!!」と頑なに言い張るので、畳の上には現在、三組の布団が敷かれている。

 さて――。


「どうやって寝ようか……」


 真ん中は、絶対嫌です。

 そう思っていると、愛樹が率先して真ん中の布団にダイブした。


「私、ここね!!」

「ああ、いいとも!!ナイスだよ、愛樹ちゃん!!」


 満面の笑顔を浮かべる愛樹に、俺も満面の笑みを浮かべて親指を立てた。

 端ならどっちでもいいので、俺は愛樹の右側の布団へとダイブする。

 そして必然的に、葉流は左側。


「電気、消すよ?」

「頼む」


 電気の紐を引っ張って、葉流も漸く布団に潜る。

 障子から漏れる月の光で、部屋は優しい薄暗さに包まれていた。

 隣で愛樹が、キョロキョロと俺と葉流とを交互に見ては「えへへ」と笑う。


「憧ちゃん、兄ちゃん」

「何だ?」

「どうしたの?」


 顔を半分まで布団で隠しながら、愛樹は照れくさそうに言葉を続けた。


「何か、いいね。こういうの。懐かしいね、川の字」

「ああ……。そうだな」

「ふふ、確かにね。あの時は、兄さんが真ん中だったっけ」


 葉流と愛樹を引き取った当初、今住んでいるあの家はまだなかった。

 マンションで一人暮らしをしていた俺の部屋で、葉流が退院するまでは愛樹と2人で住んでいた。

 それから、家が完成するまでの間、車椅子の葉流も生活しやすいような部屋へと引っ越して、暫く3人、真ん中が長いバージョンの川の字になって寝ていた。

 小学生の愛樹と、中学生の葉流。

 あの頃は、事件を思い出して愛樹は夜泣きするし、葉流も魘されて夜泣きするしで、可愛くも大変だった思い出だ。


「憧ちゃん、真ん中が良かった?今からでも変わってあげようか?私と兄ちゃんで寝かしつけてあげるよ」

「寝言は寝て言って下さいね、愛樹さん」


 腕を伸ばし、愛樹の額を軽くデコピン。

 それから、「あはは!」と笑う愛樹の頭をポンポン叩いた。


「――おやすみ、愛樹。葉流」

「うん。……おやすみ」

「おやすみなさい……」


 それぞれ、眠りに就く挨拶を交わし合い、瞼を閉じる。

 それから暫くして、愛樹の寝息が聞こえ始め、葉流の寝息が聞こえ始め――……。

 規則正しく、心地のよい二人の寝息を聞きながら、俺は懐かしさに口元を緩める。

 次第に遠くなってゆく意識の中で、俺は薄っすらとある事を思い出した。

 ――そういえば愛樹ちゃん、寝相クッソ悪かったけど大丈夫だろうか。真ん中で寝かせちゃったけど、マジで大丈夫だろうか。

 けれど、気付いた時にはもう遅く、俺の意識は優しい微睡の中に深く深く沈んでいった。



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