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不死の噂  作者: とりふく朗
第一 古屋憧理
15/24

14 ピンクの腐海

「――何か御用が御座いましたら、お気軽にお呼びください」


 テーブル上にポテチとコーラとを新たに置くと、田中は穏やかな笑みを浮かべながら「失礼致します」と頭を垂れて、部屋を出る。

 そしてソファの上で胡坐を掻きながら、待ってましたと言わんばかりにポテチの袋を開け、それを貪り食うお嬢様。


「うま。梅味うま。流石は田中。分かってるぅ~」

「……」


 今日一日で、俺の中にあったお嬢様像が大破したのを感じた。


「ああ。古屋さんも良ければどうぞ?」

「……いえ、お気遣いなく」


 舞華は「あら、そう?」と言葉を零すと、俺へと差し出したポテチの袋を引っ込めて、コーラで喉を潤す。

 どうしよう……。

 ポテチ談義に話題を変えられてからというもの、すっかり舞華のペースに嵌まってしまっている。

 というか、何かもう、既に帰りたい。

 一見、ピンクの家具が多く目立つこの部屋は、実に女の子らしくて可愛いものだ。

 しかし、よくよく周囲を見回せば、ピンクに紛れて至る所に転がるバラ色なそれら。

 可愛らしい部屋へと彩っている筈のピンク色が、今では卑猥なものに見えてくる。

 ……しまった。こいつ、腐ってやがる。しかもオープンタイプ。

 そしてここは、腐海。

 自らが腐っている事を隠しもしない奴等にとって、この場所は正に無敵空間。

 俺は気分を落ち着けようとアイスティーを口内へと流し込むと、周囲の腐海から目を逸らした。

 ――が、ソファに置かれたクッションの下より何やら薄い本を取り出して、堂々と読み始める舞華の姿を目にしたところで、逃げられない事を直ぐ様悟る。

 めっちゃ見たくないカラー表紙に描かれたそれと、目が合った。

 明らかに18禁である。

 仕事モードの笑みが、大きく引き攣る。


「……ああ。気にしないで、話を続けて?」


 薄い本から僅かに視線を上げてこちらを見遣ると、舞華は小さく微笑んだ。

 話をする以上、舞華の方を見なければいけない俺は、常にその表紙を視界に入れる事になる訳で。

 気にしないでとか無理だろと、俺は曇った瞳で最大限に微笑むと、「では、7月8日――黒沼優美さんの誕生日の時の話を伺っても?」と仕事を再開した。

 こうなりゃもう、自棄ヤケである。


「ええ、もちろん!!」

「っ!?」


 急に明るい声を張り上げて笑顔を浮かべる舞華。

 不意を突かれ、思わず肩が跳ねた。

 それから舞華は、瞳を輝かせ、頬を紅潮させながら、興奮気味に語り出した。


「楽しかった……!!楽しかったの!!優美も、その日は珍しくたくさん笑ってくれてね?私と優美と、それから田中。3人しかいなかったけど、でも、とっても楽しかったわ!一階のリビングでやったんだけど、飾りつけも頑張ったのよ?まず、門から玄関のところまでは赤い絨毯を敷いてね?優美ったら、最初は目を丸くさせて驚いていたけど、『そこまでする?』って言いながら、笑っていたわ。可愛かった!だってあの子、滅多に笑わないんだもの!家の中は、花に風船にリボンにレース、折り紙なんかも使って可愛く飾りつけしてね?優美も『ありがとう』って言ってくれたわ!テーブルにはいっぱいの御馳走を並べて、……優美ったら、普段は遠慮して、あまり高価な物は食べてくれないんだけど。でも、今日は誕生日だから!って言ったら、『そうだね』って困った様に笑ってね、美味しいって言いながらいっぱい食べてたの!そして最後はケーキ!!電気を消すのと同時に、部屋中に吊るしていたランプから明かりを灯してね。暖かで幻想的な雰囲気に包まれながら、田中がケーキを持って入場!!料理なんてしたことなかったけど、この日の為に田中から教わりながらたくさん練習してね?実はそのケーキ、私が作った超大作なの!!優美も、『すごく美味しいよ。ありがとう』って。ふふふ。優美ったら、本当に可愛いんだから!それと、プレゼントはスマホ。今後の料金も、もちろん全て私持ちよ?でもそれだと、優美ってば絶対遠慮して受け取ってくれないから、私との連絡専用のものって事にして納得させたわ。携帯電話なんて持った事ない子だったから、凄く喜んでくれてね。もう、大成功よ!!……あ、因みに機種は私とおそろ。当たり前だけど」

「はぁ」


 ソファに放り出されたスマホを手に取り、「ふふん」と嬉しそうに見せてくる舞華。

 俺はドン引きを超えて、背筋が凍りつくような恐怖を感じながら、彼女を凝視した。

 それだけ大好きだった友人が死んでしまったにも拘わらず、その友人と過ごした最後の時を、思い出を、喜々として語る彼女を。

 そこに、悲しみの感情など微塵もなく。

 ……狂っている。

 やけに大きい自身の心臓の音を聞きながら、俺は端的にそう思った。


「それからね、今度は私の部屋に移動して、2人だけの女子会ね。優美も気分が乗っていたのか、他愛無い会話にもずっと笑顔で頷いていてくれたの。いっぱい笑い合ったわ!『楽しいね』って私が言ったら、『うん、楽しいね』って。ふふ!あんな優美は初めてよ!楽しかった!!本当に!!私の、私の大好きな優美!!いっぱい、いっぱい笑って、その日の優美は、普通の女の子みたいだった!いつもは無表情で、相槌ばっかりで。用のある時以外はね、自分からは滅多に話し掛けてこない様な子なのに。でもその日は、その日はね、たくさんたくさん、笑ってた。ずーっと、笑顔で。微笑んでいて。……ありがとう、って、言って……」

「……?」


 楽しそうな雰囲気から一変。

 徐々に声色が低くなり、終いには頭を抱えて震え出す。

 ……様子がおかしい。


「あ、ああ、ありがとうって、言ったのよ。最後に、微笑んで、ありがとうって。嬉しかった、わ。その日は、いっぱいいっぱい、笑ってて……。い、いつもは、滅多に、笑わない子、なのに。……そう。そうよ!笑わない子なの!!笑わない子なのよっ!!!」

「ちょっ……!?」


 目を見開いて、急に顔を上げたかと思うと、大声で叫び出す。

 それから勢いよく立ち上がると、視線を上へと向けながら興奮気味に話を続ける。

 俺は隠しきれない動揺が汗となったのを感じながら、彼女を見上げて、目を瞠ることしか出来なかった。


「夜も遅いし、泊っていったらって、私、言ったわ!!でも、帰るって、ありがとうって、笑って、私を、抱きしめて……!!最後に!!あんなのって……!!ああ、あああ……!!!あの子は、あの子は!!全てを分かっていたのよ!!……ああ、やめて。やめてよ、優美……。そんな、そんな、全てを悟ったような、目で……。言わないで。笑わないで。抱きしめないで。最後に、そんなの、そんな、柄にもないこと、しないでよ……。行かないで、優美……。笑わなくていいから。お礼なんていいから。抱きしめなくていいから……。私の傍に、居てくれなくても、いいから……。ずっと、ずっと、生きてさえいてくれたなら……」

「……」


 糸が切れた人形の様に、ストン――と、ソファに力なく座り込む。

 ……ああ、なんだ。

 この子は、本当は、分かっている。

 分かっているからこそ、……否定しているのだ。


「……黒沼優美さんは、何を、分かっていたんでしょう?」


 静かに、問う。

 舞華は上を見上げながらも、視線を俺へと移動させると、呟くように答えた。


「……未来よ」

「未来?」


 聞き返すと、舞華は吐き出す吐息に笑いを乗せて、小馬鹿にするような笑みと共に顔を俺へと向けた。


「……あの、忌々しい事件。それが起こる事を、優美は分かっていた。きっと自分は、死ぬんだろうと。……だって、あの子は賢いもの。賢過ぎる子だもの。……だからあの子は、笑ったの。だから最後に、『ありがとう』って、言ったのよ。“助けて”でも、“さようなら”でもなく、唯、“ありがとう”って……」


 涙を零す。

 震える声と共に。

 けれど俺は、淡々と、問いのみを口にする。


「何故、優美さんは、それを悟っていたのでしょうか」

「……もう、限界だったのよ」

「何が?」

「全て。家庭も、優美自身も、全てが。だから、悟った。自分の終わりを」

「……黒沼優美さんは、父親との二人暮らしでしたよね。聞けば、父親から虐待を受けていたとか。……そしてその父親は、あの事件が起こるひと月ほど前、優美さんに一千万円もの死亡保険を掛けていた。3日後に背負う、借金800万。明らかに、それを見越しての行動。優美さんは、その事を知っていたんですか?」

「父親?……ああ、あのゴミのこと?……はっ。虐待だなんて、そんな可愛い表現は止めて欲しいわね。あれは、唯の犯罪よ。……親が子を殴りつけた?違うわよ。オッサンが、女の子を殴ったの。何度も、何度も、頻繁に。私物化し、奴隷の様な毎日を彼女に強いながら。家族という鎖で繋いで、決して逃げ出さない様に、そして自ら戻って来る様に、心を縛り付けて教え込む。……あははっ!まるで変態ね。暴漢と何が違うの?監禁魔と一緒じゃない。それなのに、警察ってば本当に無能。家庭で起きてる犯罪には、一切関与しないんだもの。いつだって、事が終わってから騒ぎ出す。……いいえ。違うわね。無能なのは大人だからで、そして私は、子供は、無力で……。手遅れになるまで、何も、出来ない。出来なかったわ……。だって私は、大人でもあるから。大人でも子供でもある半端な私は、無能で無力で、……最低だもの」


 悲痛に顔を歪め、拳を握りしめる舞華。

 俺は、問う。唯、それだけ。


「質問を変えます。自分が殺される可能性を知って尚、どうして彼女は逃げなかったのでしょう」

「……もう、どうでもよかったんだと思うわ。全てを、諦めていた。でも同時に、まだ希望も持っていたから。だから、……それさえも全て、捨て去る為に、あの子は選んだの。命を賭けて、信じたかったの。裏切られる事も、分かっていた筈なのに。……だから、死にに行ったの。……希望を、捨てに行ったの」

「……そうですか。……ですが何故、彼女は事件が起こる日まで把握していたのでしょうか」

「知らないわ。だってあの子は、そういった事は何も言わないから……。でも――」


 舞華は一度言葉を区切ると、眉を顰めながら目を伏せる。


「――あのゴミが、呼んでいたらしいわ。“今夜は絶対帰って来い”って、ゴミが言っていたんですって。普段そんな台詞言わない奴が、よりにもよって誕生日の日によ?優しいあの子の事だから、きっと、……僅かに期待を抱いたと思うの。でも、それは絶対有り得ない事だとも、あの子はよく分かっていた筈。……だから、悟ったのかもね。もしかしたら、ゴミが自分の誕生日を覚えてて、何かサプライズを――とか、そんな儚い夢を僅かに描きながらも、きっと自分は殺されるんだろうって」

「……その父親ですが、殺されたのは御存知ですか?」

「ええ。喜ばしい事よね」

「ニュースにもなっていないのに?」

「優美の家なら知っているもの。そこまで遠い距離でもないし。この辺りでも噂になっていたわよ?」

「なるほど。……では、事件の犯人が皆殺しにされた事は御存知で?」

「っ、……知っているわ」


 若干の言い淀みを生んだ後、肯定する舞華。

 これもまだ、報道はされていない。

 投獄中の犯人も殺されていた為、この件は特に秘匿されている。

 世論からの批判を避ける為……という理由もあるだろうが、混乱を避ける意図もあるのだろう。

 事件後5日目の夜に判明した、黒沼優美の遺体の消失。

 そして翌日、黒沼優美の父親と、逮捕されていた連中が殺された。

 それから僅か2日の間に、主犯格の男とその取り巻き、未逮捕だった残りの犯人たちが殺される。事件に関わっていたとされる人物らも含めて。

 何れも惨殺。

 その数、24。――これだけの数を、犯人はたった3日間で成した。

 ……これは最早、人間業ではない。

 報道しても、いたずらに恐怖を煽るだけだろう。

 といっても、これだけの大事件をこの情報社会で隠し通せる筈もなく、既に一部のサイトでは大きな騒ぎとなっていて、拡散も進んでしまってはいるが。

 だから、まぁ、事件の犯人達が皆殺しにされている事を、舞華が知っていてもおかしくはない。

 遺体の消失の件までは漏洩していない事が、せめてもの救いだろうか。

 その為、富裕層を狙ったものだとか、黒沼優美の死を悼んだ人物の犯行だとか、人々の間では今のところ、その程度の憶測で留まっている。

 俺は小さく首を傾げると、笑んだ瞳を鋭くさせて舞華を見つめた。


「御存知でしたか」

「ええ。だって、私が殺すつもりだったから」

「ほぅ」


 目を瞬かせる俺の顔に、気を持ち直した舞華が微笑みかける。

 それから、再びソファに脚を上げて胡坐を掻くと、「殺す相手の生死ぐらい、把握していて当然でしょ?」と、薄い本を広げながら言い放った。

 表紙に写る、カラーなそいつと数分振りに再開。

 やめろ。こっちを見るな。


「先を越されてしまったのは不満ではあるけどね。でも、それなりに苦しめて殺してくれたみたいだから、まぁいいわ」


 ページを捲りながら、舞華は小さく吐息を零す。


「……その実行犯に、何か心当たりは?」

「ふふ。……知りたぁい?」


 舞華は、本から俺へと視線を移すと、小首を傾げながら微笑んだ。

 まさかの返答に、俺は目を瞬かせて「ええ」と気の抜けた返事を返す。


「どうしよっかなぁ?一応、秘密だよって言わてるのよねぇ」

「っ!?……それは、誰にですか?」


 まさか、犯人と面識が?

 こうも簡単に手掛かりが掴めるだなんて……。

 逸る気持ちと、警戒心とが入り混じりながらも、俺はやや前のめりになって彼女に詰め寄った。

 舞華は俺の反応に対し、「ふふふ♪」と面白可笑しそうに笑う。

 それから――、


「神様♪」


 ――と、明るい声色で、彼女は答えた。



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