9 連写男
「何かおかしいなーとは思ったんだよ。起きた記憶もないし、いつの間にか葉流はいるし、何か記憶抜けてんなー、みたいな?……チクショウッ!!」
俺は羞恥に悶えながら、壁に頭を打ち付けた。
だってあの不思議キャラが俺に憑依する訳じゃん?
あの空虚で吸い込まれそうな瞳……、怖いわ!!
別にまもるを嫌ってるとかではないのよ?
でもさー、それとこれとは話が別っていうかー。
ほら、戦隊ヒーローのブラックとレッドが……ってあれ、この例え話、昔もした気がするなぁ。
――まぁ、どうでもいいけど。
兎に角。
まとめると、俺は恥ずかしい訳です。
あーもう。何故出て来たし、まもる君。
後で脳内?会議で問いただすか。
返答あるかは知らんけど。
「兄さん、落ち着いて。うるさいから。ゴンゴンうるさいから」
葉流は腕を組みつつ、壁に頭を打ち付ける俺に、冷ややかな視線を送った。
ああ、葉流の目が半目だ。
「……コホン。えっと、何か用――、」
「その前に、兄さん。……何があったか、聞いてもいい?」
俺の言葉を遮って、葉流は躊躇う口調ながらも真剣な表情で問いかける。
まもるが出てきたことが引っかかっているのだろう。
それにしても、無理に聞き出そうとはせずに、「聞いてもいい?」と問う辺りが実に葉流らしいなと俺は口元を緩ませた。
「……何笑ってるのさ」
「ふふ、いや別に?……そうだな、何か変な夢を見た気がする。あんまよく覚えてないけど。暗かったり、煩くなったり、暑かったり?」
「……それって、布団に包まってたせいとかじゃなくて?現在進行形で下も騒がしいし」
「かなー?その影響は多分大いにあるだろうなー」
あははー、と笑う俺に、葉流は溜息を吐きつつ、またもや冷たい視線を向けてくる。
まぁ、うん。心配して損した、的な気持ちは分かるけども、別に俺に非はないからね?
冷や汗を掻きつつも、しばらく半目の葉流から視線を逸らし続けていると、葉流はもう一度深く溜息を吐き、口を開いた。
「分かった。何か思い出したら、何か言いたくなったら、また教えてくれる?」
「……!!ああ、分かったよ」
一瞬、目を見開いてしまった。
そうだった。こういう奴だったな、お前は。
気ばっか使って、俺が話す事以上の事は聞いてこない。
「シャツ、汗で色変わってる。着替えたらリビングに下りて来て。愛樹が心配だから、俺はもう行くね」
「さっきから下が騒がしいが、何かあったのか?」
「松下さん来てる」
「ばっ……!それを先に言えよ!」
葉流は俺を一瞥し、鼻でフッと笑った後、部屋から出て行った。
何、そのささやか過ぎる仕返しは。
口元を引きつらせながら葉流の背を見送った俺は、肩の力を抜くと同時に、大きく息を吐いた。
「――はぁぁ……」
静かに響く息の音。
カーテンが閉められた薄暗い部屋で、俺は自分の手の平を見つめた。
気が抜けたのか、今更になって、その手は微かに震え始める。
夢の内容は覚えている。――が、その内容の意味は分からない。
外的刺激の影響もあるのだろうが、どこかリアルで、酷く恐ろしい夢だと感じた。
いや、そもそも夢なのだろうか。
過去の記憶が再現させたものではないのか。
もしそうなら、何て――、
「糞みたいな世界……」
……って、何つってね!ふはははは!
いかんね。自分に酔ってたわ。
前世の記憶が……!的な勢いで厨二に走るとこだったわ。
さーてさてさて、着替えて早く下に行かにゃ、葉流の絶対零度の眼差しが降り注ぐことになるだろうて。
――てなわけで、はい!リビング到着でーすよっと!!
そんな心の掛け声と共に引き戸を勢いよく開けると、わお。何これシュール。
まず、戸を開けた瞬間に聞こえる携帯の連写音。
何事!?と思って視界を彷徨わすと、その音の主は、食卓の椅子に腰かける、生真面目そうなお兄さんの持つスマホからのものだと瞬時に把握した。
そしてそのスマホは、隣に腰かけるある存在に焦点が向けられていた。
机に顔を伏せ、項垂れるおっさん(松下)に。
心なしか、ちょっと泣いてるようにも……、いや、40過ぎのオッサンだしな、流石にそれはないだろう。 うん、気のせいだ!
きっと眠いんだろう。
全く仕方ない奴め。俺が明るく元気に眠気を吹き飛ばしてやろう。
「おっひさー!!ミッ●ー!」
その瞬間、ミッ●ーこと松下幹夫は顔を勢いよく上げると、顔を真っ赤にして怒鳴り出した。
額には血管が幾筋も浮かび上がり、正に鬼の形相。
相変わらず短気である。
「幹夫だっ!!拳銃ぶっ放してやろうか、このクソガキャ!!」
あ、何か、目がちょっと濡れてるような気がしたけど、見なかったことにしておこう。
……て、コラそこ。また連写しないの。
「まぁまぁ。そんな怖い顔じゃ、子どもたちに逃げられますよ?ほら、笑って。『ハロー、僕ミッ●ー!(裏声)』さぁ、ご一緒に……」
「……チッ!!」
松下は大きく舌打ちを打つと同時に、椅子を引っくり返す勢いで立ち上がり、俺の胸倉を掴みにかかった。
もう一度言おう。短気である。
あと口臭い。鼻息荒い。顔面アップもキツイ。
「あっははー。いつにも増して気が立ってますねー。こんな悪人面のゴリ……っこほん、刑事さん、見た事ないなー」
「フー、フー……。クソガキが、いい加減にしろよ?余裕ぶった態度で人をおちょくりやがって。最近のガキ共は本当に教育がなってねぇな?」
……あ、ヤバい。愛樹ちゃんが殺気立ってる。
血管が破裂しそうな松下さんにニコニコと笑顔で対応しながらも、俺は只ならぬ気配を感じ、横目で愛樹をチラリと見遣った。
ああ!鞘に手がかかってますがなー!!かかってますがなぁぁ!!
抜刀、ダメ、絶対。
てか松下さんのこの激怒振りって、絶対そこの連写男のとばっちりじゃね?
どれだけ苛められちゃった?
可哀想に、まっつん……。
とりあえず愛樹ちゃんがヤバいので、この状況を早く打開することにしましょうか。
「まぁまぁ、まっつん。落ち着――」
「……ああ。教育も何も、親がいねーんだから仕方ねぇのか?」
俺はすぐさま愛樹に顔ごと目を向けた。
あーー!!完全に刀身がぁぁああ!!鞘に納めて、愛樹ちゃん!!
って、葉流も殺気立ってないで愛樹ちゃん止めろやボケェェ!!!
……ダメだ。ダメだこの兄妹。
脳内に『刑事殺害事件』という単語が浮かび上がる。
あの馬鹿兄妹(特に愛樹ちゃん)が殺害行為に及ぶ前に、松下の血圧を下げつつ、馬鹿共の殺気を宥める。残された時間は数秒。
……ああ、詰んだ。
そう思った矢先、横から聞こえる携帯の連写音に、何事かと俺と松下さんは反射的に顔を向けた。
案の定そこにいたのは、連写男。
いつの間に移動したのか、俺と松下の真横に立ち、スマホの画面越しにこちらを見つめていた。
「……あのー?」
「あ、すいません。妹がこういうの好きなもんで」
……こういうの、とは何だろうか?
スマホに目を落とし、何やら画面を操作している連写男に目を向けながら、暫し思考を巡らす。
そして、戸に背を着きながら、松下に胸倉を掴まれているという現在の状況を再確認し、なるほどと理解した。
周囲を見回すと、状況についていけない他3名はポカンとした表情を浮かべている。
何か知らんがグッジョブだ、連写男君!!
これで場の空気を変えられる!!
かくして俺は、更なる換気に努めようと、連写男の行動に乗ることにしたのであった。
「――ああ、なるほど。んじゃあ、こんなのはどうだろうか」
そう呟く俺に、連写男はスマホから顔を上げて反応し、松下は何しでかすつもりだと警戒しながら俺を見遣る。
俺は一度だけニヤリと笑った後、直ぐに顔を引き締め下を向いた。
急に俯いて表情が見えなくなった俺に、松下は何事かと眉間に皺を寄せる。
「おい。今度は何企んでやがる」
そう怒気の孕んだ声で松下は言い放つと、胸倉を掴む手に力を込めた。
俺はそんな逞しいゴリ…、松下の腕にそっと手を置き――、
「やめ、やめて下さい……」
体を震えさせながら、松下を涙目で見上げた。
「――!?てめぇ、何ふざけてやがる!!」
急に態度が変わった俺に、松下は更に警戒心を強め、胸倉を掴む手を自身に引き寄せ、更に顔を近づけた。
そして聞こえるシャッター音。
近い近い。ゴリ顔ヤバい、キツイ。
「ああっ!!やめっ!犯されるぅぅ!!」
「はぁ!?」
松下は、わざとらしい態度をとる俺と、横に立って写メを撮りまくる部下とを交互に見比べ、暫し固まった。
そして、漸く状況を把握したのだろう。
目に見えて分かる程の鳥肌を全身に立たせたかと思ったら、胸倉から手を離し、ズザザザザーーーっと後ろへと後退った。
「き、気色悪い事してんじゃねーよ、クソガキ共がっ!!」
やれやれ。これで換気は出来ただろうか。
そう思い、俺は横目で愛樹と葉流を一瞥する。
……うん。呆けた馬鹿面をありがとう。
俺はホッと息を零し、何やら喚き吠えている松下を放置して、横に立つ連写男に向き直った。
スマホ画面に目を向けていた連写男も、そんな俺の様子に直ぐ気付き、視線を向けてくる。
暫し見つめ合った後、互いに口角を上げ、ガシッっと強く握手を交わした。
なるほど、こいつは中々の策士である。
助かったぜ。まじ、助かったぜ。
そんな念を飛ばしていると、連写男は口元に笑みを浮かべたまま、
「あのー。妹にこれ、送っていいですか?」
あれ……。
さ、策だよね?換気を手伝ってくれたんだよね?んんーー?
そう疑問に思いつつも、俺はこう答えた。
「写メ、見せて貰ってもok?」
松下さん、いい人なんですけどね……。
因みに桐先(連写男)は腐ってる訳じゃありません。