こんな夢を観た「窓の外に」
町の公会堂で、「自分とは何か」をテーマにした講義が開かれていた。この深遠な議題は思いのほか人気を呼び、席はほぼ満席に近い。
「えー、コホン。つまり、なんと言いますか、あれです。『自分』というものは、この世にもあの世にも、ただ1つと申しますか、ほかには存在しないと言うべきか、何しろ不思議なものでして」
「自分学」の権威と称する、どこぞの大学の教授がそう述べ始めた。話がよほど退屈と見え、かしこまって座っていた町民たちも、次第に姿勢が崩れてきて、そのうちあくびまで出る始末。
「そもそも、『自分』とは何か? ずばり、それは己自身という解に立ち戻るわけでありまして、それすなわち、無数に広がった枝葉の、たった1点に焦点が当たった様を思い浮かべてもらえばわかるのですが、要するに実はそのようなものなど、本当は存在しないという結論に至るわけなのです」
教授が熱弁を振るうほど、わたし達には強烈な催眠効果となって襲いかかる。
誘惑に打ち勝てず、夢の国へと連れ去られ、気持ちよさそうな寝息を立てる者も少なくなかった。
隅の席で、ひそひそとささやき声がする。
「この公会堂は、建ってからもう、50年になるんだよな」
「聞いた話では、建設中に作業者が7名、事故で亡くなったそうだ」
「それだけじゃないぞ。ここで式を挙げるはずだった花嫁が、来る途中に交通事故に巻き込まれてな。這うようにしてたどり着いたが、その直後に息を引き取ったんだって」
「ここの職員の1人がさ、横領の疑いをかけられ、それを苦に自殺したって」
「そう言えば、以前から、ここには『出る』って言うしな」
「出るって、何がだい?」
「そりゃあ、決まってるさ。なあ?」
「ああ。幽霊だよ、幽霊」
初め、わたしはほとんど気にしなかった。古い建物にまつわる言い伝えなど、どこにでもある。珍しくもなかった。
けれど、私語はさざ波のように広がっていき、静まる気配がない。誰かが口を開くたび、無気味な噂話がまた1つ、語られていくのだった。
「深夜、公会堂の前をクルマで通ったら、赤いドレスを着た若い女性が立っていたんだ。こんな時間に何だろうと、クルマを止めて振り返ったら、頭から血を流してるじゃないか。服はその染みだったんだ」
「この2階に談話室があるだろ? 204室だけ、今も開かずの間になってるんだ。変だろ? 職員は誰も訳を教えちゃくれない」
「その部屋の話は聞いたことがある。なんでも、異空間に通じているそうだぜ」
「地下のボイラー室は、身元不明者の遺体を焼却するのに使っているらしい」
ここまで話が集まっている場所もほかにはあるまい。たとえ噂だとしても、ただ事ではなかった。
突如として、会場がしーんと静まり返る。
「天使が通った――」どこかの席で、そうつぶやく声がした。
偶然にも、居合わせた全員の話が途切れた瞬間だ。教授までもが、一息ついて、コップの水を口につけたところだった。
わたしは説明のつかない薄気味悪さを覚えた。さっきまでの怪談が懐かしく思えたほどだ。
「……ねえ、窓のところ」1人が、震える声で言う。「あれ、いったい何なのかしらね」
全員が一斉に窓を見た。
急に冷房が効いたかのように、空気が張り詰める。
わたしは、もう少しで叫び声を上げるところだった。