第17話 魔法訓練
私は続いて、屋敷の前庭へと足を向けた。
そこには広大な面積いっぱいに、芝の絨毯が青々と敷き詰められている。
芝刈りに勤しむ庭師の使用人たちが何人か芝刈りに精を出していた。季節は秋だが、芝はいまだ青々と茂っていて手入れに余念がない。
私はここでも魔法を駆使して勝手に芝刈りを飼って出た。
速攻で芝刈りを終えてしまうと、ぽかんと立ちすくむ使用人たちを横目に次の雑務はないかと屋敷中を徘徊する。
しかし、屋敷の使用人たちは皆、熱心で勤勉なようだった。私の手を借りずとも仕事をきっちりこなしており、なかなか次の仕事が見つからない。
ふと、思い立って私は屋敷の外にある雑木林の方へと入っていった。
この屋敷は、屋敷を背にして後ろに高い山がそびえ立つ斜面に建てられている。裏手は広大な森になっており、その山を含めてが屋敷の敷地ということになるのだ。
迷子にならないように獣道を少し進んでいくと、遠くの方から何やらガサガサと何かが動く音がした。
私は心臓がどきりと高鳴るのを感じた。
恐る恐る振り返ると、前方に野生の鹿が出現した。
(……なんだ、ただの鹿だったのね。)
私はホッと胸を撫で下ろした。
鹿は、こちらに気付いて最初は警戒して様子を伺っていたが、私が何もしないとわかると、傍にあった草をかじり始めた。
その穏やかな姿を眺めているうちに、ふと私は昨日読んだ書物の一節を思い出した。
(この世のすべての物質には、その中心に“核”と呼ばれるものがあり、それを破壊されたものは内側から崩壊し、二度と再生することはない――)
その言葉が頭の中で鮮明によみがえる。
好奇心に駆られた私は、試しに鹿に意識を向けてみた。
魔法が発動しないよう注意しながら、そっと手をかざして意識を集中させる。
すると――不思議な感覚に包まれた。
再び目を開けると、先ほどと世界の見え方が変わる。鹿の体の輪郭が薄く透けて見え、その内側で鼓動する心臓の音や、静かな呼吸までもが感じ取れるようだった。
さらに目を凝らすと、鹿の胸のあたり――心臓の上に、かすかに光る塊のようなものが見えた。
(あれが……“核”なの?
もし、あれを破壊したら――。)
一瞬、そんな考えが頭をよぎったが、私はすぐに手を下ろした。
(まさかね。私なんかに、そんな上級魔法が使えるはずないわ。)
核を破壊する魔法は、破壊魔法の中でも最上位に分類される。いきなり私なんかにできるわけがないだろう。
そう思って、私は果樹園をあとにした。
* * *
再び仕事を探して屋敷の方へ戻ってくると、資材置き場のあたりで庭番たちが薪割りをしているのが目に入った。
私はちょうど良い機会だと思い、彼らの作業を手伝うことにした。
あっという間にそこらにあった丸太は全て小さく切り揃えられ、今季の冬を乗り切るには十分すぎるほどの薪を割り終えてしまった。
こうして、いよいよ本当にやることがなくなってしまったのだ。
日も傾き始め、空が茜色に染まりつつある。
そろそろ屋敷へ戻ろうと腰を上げたそのとき――
背後から、誰かの気配を感じて振り返った。
「……ここにいたのか。」
穏やかな低い声が響く。
振り返ればそこには、ユリウス様が立っていた。
彼は執務を終えたばかりなのだろう。
今日はいつものフロックコートのよそ行きではなく、よくのり効いたシャツにウェスタンベストというラフな装いをして佇んでいる。
私が駆け寄ると、ユリウス様は淡紫の瞳を細めると、まるで私をたしなめるように言った。
「使用人たちが話していたぞ。
君が、あちこちで使用人たちの仕事を買って出て回っていると」
「ええと……はい。
でも、そろそろ屋敷に戻ろうと思っていたところなんです」
私は、もじもじと後ずさった。
本来なら一端の貴族令嬢であり、しかも――たとえ仮初めとはいえ――彼の婚約者である身。
そんな立場の人間が、使用人の仕事を手伝っているなど、叱られても仕方がない。
彼は小さくため息をつき、呆れたように肩をすくめた。
「まったく……。能力を試してみたい気持ちは分かるが、あまり無理はしないように」
そう言いながら、彼はおもむろに私の手を取った。
不意の行動に驚いて顔を上げると、ユリウス様が握りしめていた私の手先は、雑務を手伝ったせいで擦り切れていることに気がついた。
(こ、これは…。
またしても婚約者として失格だわ……。)
私は恥ずかしさで頬が熱くなる。
「すみません…」
言い訳のように呟くと、彼は何も言わずに私の手を両手で包み込んだ。
すると、その掌からじんわりとした温もりが広がる。ユリウス様が治癒の魔法で私の手の擦り切れた傷を直してくれているようだった。
「__今回に関しては、使用人たちも皆、喜んでいたようだから許そう。
たしかに、屋敷の管理は彼らに任せきりにしていたのは私の責任だ。
人数も少ない中でよくやってくれているが、負担が大きいようなら、もう少し人手を増やすことも考えなければならなかった」
「だが_。」
と彼は少しだけ声を引き締める。
「_今後は、危険なことは控えるように」
「……はい。」
そう言って、ユリウスはおもむろに私の方にかがみ込んで、顔を覗き込む。
菫色の澄んだ瞳がかすかに光って、私は思わずどきりと心臓がはねた。
私の身を案じて、諭すつもりだったのだろう。しかしそんなふうに至近距離で顔を覗き込まれながらそう言われ、私は気が気ではなかった。




