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第九話

 新樹の秘書となった百花の生活は、ガラリと変わった。一番の変化は、新樹と共に食事をすることになった点だろうか。食事の時間も情報交換の場だと言われてしまえば、百花としては断れない。今までは食堂まで移動する間に、今日の予定を伝えていたのに、今では食事中に確認する事案となっている。


 また、百花が女中から秘書になったため、他の使用人に迷惑をかけるかと思いきや、どうやらそうでもなかったらしい。という事実を知ったときは、安堵したのと同時にあそこでは大して役に立っていなかったのだろうかというひねくれた考えが浮かんできた。


「百花。今日の予定に、旭野採石場の視察を組み込めるか?」

「はい。今日は、午前中に謁見の予定しか入っておりませんので」


 今までも新樹の予定は百花が調整していたが、秘書となったことでより細かい調整などを求められるようになった。今までは、当日、急遽入った予定などを調整していたのは航平の仕事だったのだ。他に資料の確認やら事務的処理やら雑務やらと、彼の仕事は多岐にわたっていた。そこに百花が加わっただけで、ずいぶん楽になったと、航平は喜んでいる。


 百花としてはその自覚がないため、実はあまりピンときていないのだが。 


「旭野採石場で事故があったと、朝一で連絡が入った。すぐに現場へ向かいたい」


 どうやら百花の知らぬところで、そのような事件が起きていたらしい。


「では、今日の謁見を後日にずらします」


 謁見といっても、暁陽家に資金援助を頼みたい分家筋の人間がやってくるだけだ。そこに継続的に援助をするかどうかを判断するための資料は揃っており、あとは本人たちから事業展開における展望を確認すればいい。そのため緊急性は低いものだった。


 朝食後、すぐに百花は相手に連絡を入れ調整をした。


 それが終われば、新樹と共に旭野家が管理する採石場へと自動車で向かうこととなった。こういった場合、運転をするのは航平である。


「これが採石場の見取り図だ。事故が起きたのはちょうどここ。この部分が崩落した」


 崩落という言葉で百花は最悪の事態を想像してしまうが、新樹は「怪我人は出たが、今のところ死者はいないが」と言う。


 移動中、事故現場の状況を確認しつつも、百花はなんともいえぬ不安に襲われていた。怪我人が出たとのことで、その場で応急処置ができるようにと、シーツや包帯などはできるかぎりトランクに詰め込んだ。


《おいおい嬢ちゃん、そんな不安そうな顔をするんじゃないよ》


 百花の膝の上には昂焔が行儀よく座っていて、事故の状況を一緒に確認していた。


「……そうですね」


 いつもであれば、百花の膝に座っている昂焔を鋭く注意する新樹なのに、今日に限ってそれがない。百花は、不安をやわらげるかのように、昂焔の背をずっとなでていた。


 採石場へ到着すると、渇いた風が吹き、土埃が舞う。それにのって、人々の怒声や叫び声が聞こえてきた。


「航平、すぐに現場に向かう。荷物も持てるだけ持て」 


 トランクから取り出した荷物を、百花も両手で抱えた。昂焔は、ちゃっかり百花の肩に乗っている。

 事務所のような建物の中へ入ると、指示を出している一人の男がこちらに気づき、緊張に包まれる表情をゆるめた。


「暁陽様!」


 彼はこの採石場の責任者で、旭野家の当主である。


「状況はどうだ? 必要なものは持ってきた。まだ車に積んである。足りなくなったら取りにいかせる」


 するとすぐに人がやってきて、百花が手にしていた荷物を奪っていく。


「今は動ける者が怪我人の治療にあたっている状況です。医師も来てくれていますが、この状況ですから……」


 旭野の苦虫をかみつぶしたような表情が、現場の状況の悪さを物語っているのだろう。


「事故現場は確認できるか?」

「……はい」

「逃げ遅れた者はいないのか? 埋もれている者は?」


 新樹の問いかけに、旭野は顔を曇らせる。


「……今のところ、死者はおりません」

「つまり、全容が把握できていないということだな? 航平、現場に向かう。百花、おまえもついてこい。旭野、おまえは必要な所に必要なものを割り振れ」


 新樹の声に従おうとする百花だが、その前に責任者に「名簿の控えはありますか?」と声をかける。

 旭野は慌てた様子で百花に採石場で働く者の名簿と、顔を覆うための布を手渡した。


「まだ砂埃が多く、喉を痛めますので」


 目から下を布で覆うように指示された。新樹や航平も同じように、顔に当て布を当ててから外へ向かう。


 建物を出ると、目の前には大きな石灰岩が切り出された壁が見える。崩落したのは、ここからしばらく歩いた場所。現場へ向かう百花たちだが、向こうからもたくさんの人がやってきて、荷物や怪我人を台車で運んだりしている。


 だが、現場に近づくにつれ、新樹の視線が鋭くなる。


「……航平、わかるか?」

「不自然な霊力を感じますね」

「鬼人も人も、これだけ集まる場所だ。狩るにはちょうどいいっていうことか?」


 二人の会話は人狩りをにおわせるようなもの。


 現場では動ける者たちが右往左往していた。見知った顔を見つけた新樹は「状況を端的に説明しろ」と命じる。


 重傷者は現場から運び出し、治療を受けられるよう手はずを整えたところで、今は、生き埋めになっている者がいないかを確認しているという。


「名簿をお借りしてきました。本日、現場で作業をしていたのはどちらの方になりますか?」


 混乱している現場に響く百花の凛とした声が場を引き締める。


「はい」


 一人の男が手をあげ、立てかけてある石盤を示す。ここに今日の当番の班員が書いてあるらしい。


「まだ、早朝ということもあり、ちょうど作業の準備をしていたところ、事故が起きました。だから、現場にいたのはこの者たちになります」

「怪我人は把握してますか?」


 百花の言葉で男も次第に冷静になったのか、状況が飲み込めてきたようだ。


「新樹様」


 百花の声が鋭く響く。


「なんだ」

「お二人、不明のようです」

「それは、鬼人か、人か」


 新樹の斬るような問いかけに、男は答える。


「鬼人と人、一人ずつです。鬼人は、下位ではありますが……鬼族です」


 新樹は航平に目配せをし頷き合い、すぐに言葉を放つ。


「おそらく、人狩りの仕業だ。その二人は俺たちがなんとかする。おまえたちはできるだけ早くここから離れ、安全な場所に。百花、誘導してやれ」

「わかりました」


 新樹の言葉に頷く百花の肩には、昂焔がちょこんと座ったまま。


「昂焔、頼むぞ」


 たくさんの人の前ではぬいぐるみの振りを続ける昂焔だが、その視線はしっかり新樹に向いていた。


「みなさん、事務所のほうに移動してください。動けない人はいますか?」

「重傷者は先に運んでいます」

「一人で移動するのが不安な人には、手を貸してあげてください」


 百花の声に従い、作業員たちが声を掛け合って避難し始めたとき、百花はふと違和感を覚えた。

 避難する人たちの後方にいる男性。


「あの……」


 作業服を着ている二十代くらいの男性だ。


「なんでしょう?」


 男は立ち止まり、いぶかしげに見下ろしてきたが、百花は怯んだり弱みを見せたりはしない。


「作業員のバッジはどうされました?」


 今まで会った作業員たちは、作業服の胸ポケット部分に所属を意味するバッジを縫い付けている。不慮の事故に備え、所属や身分を明らかにするものだ。

 男が軽く舌打ちしたのを百花は見逃さなかったが、昂焔がぴょうんと先に動いて、男の顔に張り付いた。


「うわ。なんだ、これは」


 視界を奪われた男は、昂焔を引き剥がそうと暴れ始める。百花は男を拘束できるようなものがないかと周囲を見回したが、岩石を砕くためのハンマーくらいしか見つからなかった。

 ないよりはマシだとそれを手にしたとたん、昂焔がベシッと派手な音と共に床に叩きつけられる。


「昂焔さん!」

「くそっ。式神か! おまえ、小娘だと思っていたが……鬼人、いや鬼族か? ま、ちょうどいい」


 ハンマーを身構えた百花は、男と真っすぐ睨み合う。


《嬢ちゃん、オレ様の背をなでてくれ》

「なっ……式神がしゃべっただと……?」


 男が動揺している間に、昂焔はむくっと起きて百花のもとへと跳躍する。


「背中? なでればいいんですか?」

《オレ様、嬢ちゃんになでられるのが好きなんだ》


 男の顔に張り付いたときと同じように、今度は百花の腹にしがみつく昂焔の背を、やさしくなでる。

 するとかわいらしいぬいぐるみ姿だった昂焔の身体はみるみる大きくなり、その姿を大きな狼へと変えた。


「きゃっ、昂焔さん?」

《坊と約束したからな。嬢ちゃんはオレ様が守ってやる。かっこいいだろ? オレ様の本当の姿》


 百花には式神がどういう存在かよく理解できていないが、昂焔の言葉にコクコクと頷く。


「なんなんだ、おまえは。下っ端の鬼族ではないな。もしや、おまえも――」


 男がすべてを言い終えぬうちに、昂焔が飛びかかって噛みついた。悲鳴と血が飛び、その光景に百花の足が震える。


《嬢ちゃん、今のうちに逃げろ》


 昂焔の言葉に従い、逃げようと振り返ったとき、ぬりかべのような影がぬぅっと現れた。


「おまえ、十九番だな?」


 有無を言わさぬ勢いで見知らぬ男に腕を掴まれ、手にしていたハンマーは振り落とされる。


「だ、誰?」

「オレが狙っていたのに、まさかあんな大金で横取りされるとは思っていなかったが……まぁ、いい。ここで会えたのだから、やはりおまえはオレの運命の相手だったというわけだ」


 ぎりぎりと腕をひねられ、百花は男の手から逃げ出せない。


「は、放してください」

「ちょっと静かにしてくれないかな。じゃないと、二、三発殴って黙れせてしまうぞ」


 男が不気味ににぃっと笑い、百花は恐怖のあまり「ひっ」と小さく悲鳴をあげた。さらに男は百花の腕を引っ張りどこかへ連れていこうとしている。


《ギャン!》


 昂焔が百花に気づき、追いかけようとしたようだが、逆に尻尾を掴まれてしまった。


「昂焔さん!」


 百花はその場で踏ん張るものの、やはり男の力は強い。


「反抗するなら、眠らせるだけだ」


 男が手を振り上げたとき、百花は恐怖で身体を硬くして、目を瞑った。

 しかしくるべき衝撃がなかなかやってこない。


「百花、無事か?」

《遅いぞ、坊!》

「おまえ、人のことを言えるか。百花を守れと言ったよな? なに、ちんたら遊んでんだよ」


 百花の腕を掴んでいた男は、口から血を流しながらその場から動かない。さらにその男の後方には、初めて目にする二十代前半くらいの男性の姿がある。

 光に当たれば茶色っぽく見える黒髪、黒曜石のような瞳には見覚えがあり、どこか懐かしい感じがした。


 それに昂焔は、彼を「坊」と読んだ。昂焔がそのように呼ぶ相手一人しかいない。


「新樹様……ですか?」


 百花が知っている新樹は、百花より背が低く態度の大きい男の子だ。しかし目の前の彼は、すらっとしていて背が高く、肩幅もがっちりしていてどこからどう見ても大人の男性。


「百花。これを始末するから少し離れていろ。昂焔!」

《合点承知!》


 男から解放された百花だが、その後の記憶がパタリと途切れた。


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