親孝行
親子の確執を描いた短編です。
「よし、今日も売れたな」
大量の物が煩雑に置かれた部屋で男がスマホから顔を上げながらつぶやく。男は椅子から立ち上がると、部屋の中をぐるりと見回す。中背の男の身長と同じくらいの高さまで物が積み上げられているが、どの品も未開封の新品であり、場合によっては同じ物が数十個あるものもある。明らかに使用目的ではなさそうな物品の数々からひとつ選んだ男は、部屋の隅にある段ボールにそれを入れると、慣れた手つきで梱包して部屋を出る。玄関に着き外に出ようとしたところで扉が外から開けられる。そこには男がそのまま歳を取ったような姿の老齢の男がいた。
「タロウ、出かけるのか?」
老齢の男の言葉にタロウは何も答えず玄関を出ようとする。老齢の男は戸惑いつつも横にズレてタロウに場所を譲る。その拍子にタロウが段ボールを持っていることに気付く。その途端表情を険しくしてタロウの腕をつかむ。
「まだそんなオママゴト商売をしているのか? いい加減定職に就かないか。私だっていつまでも働ける訳じゃないんだから、一人でも生活できるようになりなさい」
怒りと心配の滲んだ声。だがタロウはぞんざいにその手を振りほどく。
「こんな風に育てたのは親父だろうが。俺のせいにするんじゃねぇ!」
タロウは吐き捨てると同時に家を出る。タロウの父親はタロウの小さくなっていく背中を見つめながら呆然と立ち尽くす。やがて姿が見えなくなると、おぼつかない手つきで扉を閉める。
タロウは近場のコンビニで発送手続きを済ませると、コンビニの外に併設されている喫煙所でタバコを吸い始める。
顔を合わせると小言を言われるのが分かっているため、普段は遭遇しないように父親の行動時間を避けて行動している。だが今日は珍しく早く帰宅してきてしまったせいで、無駄に不快な思いをしてしまった。苛立ったタロウはスマホを取り出すと、SNSに書き込む。
『クソよりも役に立たない会社しか経営してないくせに偉そうに説教してくるクソ親父がウザい。仕事ばっかしてきて家族を省みなかったせいで自分の妻に逃げられたくせに、何がオママゴトだよ。お前の方がオママゴト経営者だろ!』
だがこのくらいでは今までの恨みつらみは収まらない。タロウはありとあらゆる罵詈雑言を使って父親への恨み言を書きまくり、満足する頃にはタバコを五本吸い終わっていた。
目の疲労を感じたタロウは夜空を見上げる。
都心部とは到底言えないが、田畑しかない田舎みたいに過疎化はしていない。そういう土地柄だとチラホラと星は見えるものの、満天の星空とまではいかない。うすら笑いのような三日月と風前の灯火のような街灯はタロウの心を明るく照らしてはくれない。タロウは白いため息を吐き出すと、重い足取りで帰路に就いた。
帰宅したタロウは扉を開けるために鍵を回す。だが解錠された感覚がしない。
用心深い性格の父親は在宅中であろうと必ず鍵をかける。だからタロウも幼少期から鍵を持って外出するのが習慣になっているし、家の鍵がかかっていなかったことは今まで一度たりともなかった。それなのに今は明らかに鍵がかかっていない。これはどういうことなのか。
嫌な予感がタロウの胸をざらりと撫でていく。だがタロウはその感覚を無視していつも通り扉を開ける。すると玄関には血の海に倒れ込む父親の姿があった。
それからはもう駆け抜けるようにあっという間だった。震える手で救急車を呼んだときも、血反吐にまみれた父親が救急隊員たちに救命活動されているのをただ見守るしかなかったときも、大きな病院でストレッチャーに載せられて運ばれているのを見送っているときも、タロウの中では永遠であり一瞬であった。
誰に連絡をすればいいのか、誰にも連絡をしない方がいいのか、それを相談する相手すらもいない。物心つく前には祖父母が亡くなっていたタロウにとって身近な人間が生死の境をさまようという経験はこれが生まれて初めてで、急激に足元が崩れ落ちてしまったかのような絶望感がタロウの全身にのしかかってきた。
深夜の人気のない待合室で時計が時を刻む音をただ聞いていることしかできない時間はタロウの精神を極限まですり減らし、手術中と書かれた看板の赤い光がタロウの網膜だけでなく心まで蝕んだ。
だがどんなことにも終わりは来る。看板の光が消え、医師が手術室の中から出てくると、父親が一命を取り留めたことをタロウに知らせる。タロウは思わず膝から崩れ落ち、床にうずくまって安堵の涙を垂れ流す。ソファに座って休むように促す看護師の声すらも遠くの出来事に感じるくらい心の底から安堵し、そして思ったよりも父親を憎みきれていなかった自分を自覚して気恥ずかしさも覚える。しかしそれすらも生きていてくれたという何よりも代えがたい喜びに比べれば些末なことだった。
――このときのタロウはこれが終わりではなく始まりであることなど微塵も思っていなかった。
手術を終え入院が決まってからタロウに渡されたのは、目が飛び出るかと思う程桁違いの金額の書かれた請求書であった。その請求金額は、タロウのオママゴトのような収入ではとてもじゃないが払えないようなものだった。
タロウは父親の貯蓄でなんとかできないだろうかと思って父親のスマホを見るが、溜まっていたのは支払い期限が過ぎていることを警告するいくつかの金融会社からのメールだけだった。
多額の医療費と借金。売上金の振り込み日は二週間以上先だし、そもそも今ある在庫を売ったところで焼石に水だ。定職に就いていないタロウではこんな大金を借りることもほぼ不可能だろう。
タロウは病室で様々な生命維持装置に繋がれた父親を見つめる。すると走馬灯のように幼少期に記憶が頭の中を駆け巡った。
物心がついてから小学校に上がる頃までのタロウの記憶の中で父と接した記憶はほぼ無い。小学校に入ってからも父は会社の経営に奔走し続けていたため、たまに眠れなくて夜更かしをしている日に帰宅する物音を聞くくらいでしか存在を認識していなかった。
タロウですらその程度の認識ということは、タロウの母親も似たようなものだったのだろう。幼少期に両親が話している姿はほとんど見たことがなかった。
まだ小学生になる前、専業主婦だった母親はたった一人で親族に頼ることもできずにタロウを育てていた。かなり神経質な性格だったためいつもピリピリとしていて、子供だったせいでまだ物事の道理を理解していなかったタロウは、母親がなぜいつも疲弊して怒っていたのか分からず、母親を慰めるつもりの行動で空回りして火に油を注いでいた。保育園にも通っていなかったため五歳になるまでは母親と二人きりの世界で過ごしていた。母親の機嫌がタロウにとって世界のすべてであり、母親以外の存在は夢や幻のように不確かなものでしかなかった。母親が機嫌がいい日はタロウにとっては最良の日であったし、母親が機嫌が悪い日は台風が過ぎ去るのを待つことしかできない子羊のようだった。
だから母親がこつ然と姿を消したときの絶望はまさにこの世の終わりとしか言えなかった。
母親は、タロウが学校に行っている間だけ働くことにしたパート先で出会った男と恋に落ち、やがてタロウとタロウの父親を捨ててその男と駆け落ちをした。
置き手紙にはタロウヘ宛てたものと父親に宛てたものがあったが、タロウは父親に宛てたものも勝手に読んで、母親がいなくなったのは父親のせいだと確信した。
その日、日付が変わる頃に帰宅した父親をタロウは泣きながら責め立てた。仕事ばかりしていたせいだ、お前なんて大嫌いだ、と言ったときの父親の沈痛な面持ちは今でも脳裏にこびりついている。だがそれ以上に最愛の母が消えてしまったことの方が辛かった。
それから父親は心を入れ替えたのか、今まで一度もしたことがなかった定時退社をし始め、当たり前のようにしていた休日出勤も辞めた。タロウと過ごす時間を増やし、ずっとやってこなかった家事や学校行事の参加などを積極的にするようになった。
はたから見ると母親がいなくなった子供に寄り添う優しい父親だっただろう。だがタロウにとってすべてが遅かった。取り返しのつかないことが起きてから挽回をしようとしているのが見苦しく思えた。父親が親らしく接してくる度に嫌悪感が募るだけだった。
父親への不快感や、母親の喪失感が不信感にまで変化した頃にはタロウは人間不信に陥り引きこもりになった。引きこもってからは父親の金で買ったものを転売して小遣い稼ぎをし、浮いた金で酒やタバコをのんで一人の時間をただやり過ごしていた。このくだらない人生が早く終わりますようにと祈りながら。
だがいざ父親が倒れてみると、父親が生きていてくれるだけで喜ぶ自分を知ってしまったし、金がなくてにっちもさっちもいかないとなるともはや乾いた笑いしか出ないことも知った。
人生とは本当にままならないものなのだなと考えていたら、不意にタロウのスマホに一件の通知が来る。何か緊急の連絡かもしれないと思い念のため見るが、来ていたのは入れるだけ入れたがもうほとんど使わなくなったオークションアプリの通知だった。どうせ手数料のキャンペーンとかだろうと思って通知を消そうとしたが、疲れた脳でも購入されたという文言だけは見逃さなかった。
タロウの記憶ではここ最近出品したものはない。では以前出したものだろうか、と思ったがそれも心当たりがない。何が売れたのだろうかと思ってみると、そこには『タロウ』が載っていた。
「なんだよこれ」
商品説明の写真には自分の顔写真が載っているだけでなく、フルネームや出身地、身長、体重に加えて血液型や健康診断の結果から過去の経歴までありとあらゆる個人情報が載っている。
デジタルタトゥーになりかねないこんなものをタロウ自身が出品する訳もない。なぜ出品されていたのかと考えると同時に出品取り消しをするために操作しようとする。だが消す直前、取引額の桁数が異常に多いことに気付く。その瞬間、心臓がギュッと締めつけられた。
タロウはドクドクと脈打つ心音にはやし立てられながら取引額を確認する。するとその額はちょうど借金と入院費を合わせた額だった。
「これだけあれば……」
タロウはベッドで呼吸器をつけられながら眠る父親を見る。
ここ数年、ほとんどまともに顔を合わせていなかったから気付かなかったが、改めて見るとかなり老け込んでいた。
日に焼けて健康的だった肌はどちらかと言えば土気色と言えるような血色の悪い顔色になり、シワだらけの顔や手からは苦労が滲み出ている。筋骨隆々だった体も今はすっかり痩せ細ってところどころ骨が浮かんでいて、どこからどう見ても老人としか言いようがない姿になっていた。
加齢に逆らっていつまでも若々しくいられる人間もいるから一概には言えないが、それでも父親は年齢の割に老け込み過ぎているように見えた。
こんなに老け込む程自分の存在は重荷であったのだろうか。――自問するまでもなく間違いなく負担だっただろう。でなければあんなにも若々しくハツラツとしていた人間がこんなにも早く老い衰えなかっただろう。なんだったらこんな風に突然倒れるなんてこともなかったのではないか……?
ぐるぐると考え込みながらタロウは父親の手に触れる。
カサついた指。だがまだそこには確かな温もりがあった。
「父さん、ごめん、俺、こんな親不孝者で――」
タロウの目から涙がこぼれる。
嫌いで嫌いでたまらなく、もはや憎いとすら思っていた父。だが父は父で、一生を共にしようと誓ったはずの妻に裏切られ、逃げられたというのに、腐ることなく、残された息子に愛情を注ごうとしてくれた。
だと言うのに自分は父を助けることをせず、むしろ負担が増えるようなことばかりしてきた。しかも小言を言われることはあっても、叱り飛ばされたことは一度もない。どれ程のストレスだっただろうか。
今まできっとずっと迷惑をかけてきた。ならば今こそ恩を返すチャンスなのではないか?
タロウは涙を拭うと、オークションアプリを開いて落札者にあるコメントを送った。
その後、二人の人物が助かった。
一人はタロウの父親。最新の医療を受けたおかげで、後遺症に悩まされることもなく退院し、社会復帰した。退院後には借金もなくなり、資金繰りに苦しむこともなくなった。
もう一人はある資産家の息子。奇跡的にドナーが見つかったことで大病が完治した。生まれてから一度も病院の外に出たことがない子だったが、今では運動も楽しめるようになった。
そして一人の男が死んだ。彼の人生は教科書や歴史に刻まれるようなものではない。親との確執があっただけで働くことを放棄し、転売で楽して小遣い稼ぎをしてその場凌ぎで生きていただけの男だった。
しかし親の死に目に遭って初めて自分の人生を後悔した。親に大切に生かされていたことに気付くことができた。
だから最後に親孝行することにした。
職場で大量の転売ヤーと接客していたら浮かびました。
面白い(?)転売ヤーもいれば無礼な転売ヤーもいたのでなんとも言えない話にしてみました。




