どうか、捨てないで
重い足取りで、俺は部屋に帰ってきた。
お嬢様への恋が終わったから。
異性どころか、人として見られていなかったから。
色々と理由はあるけれど……。
一番問題なのは、妹をお嬢様に会わせないといけないからだ。
何が起こるか分からない。
お嬢様は……直接人に何かする人じゃないし、俺に対しても体罰や暴力は一度たりともなかった。
だけど……ううん、とにかく今は玄関を開けよう。
妹が部屋から勝手に出て行ってるかもしれない訳だし。
「ただいま」
昼間なのに締め切られたカーテン。
付けられていない電気。
薄暗い部屋を見た瞬間、妹がいないのではないかという恐怖と不安に襲われた。
まさか、父親の所に帰ったのか?
何で、帰る理由なんて無いだろう。
「ゆうこ! いるか!」
靴を脱ぎ散らかし、部屋に入る。
すると、彼女はちゃんとそこにいた。
俺が使っていた布団で、すやすやと眠っている。
なんだ……よかった。
てか玄関に妹の靴あるじゃん。
落ち着けよ、俺。
「ゆうこ、ただいま」
声をかけるが、彼女は動かない。
布団の少しの動きと寝息があるだけだが、彼女は笑顔で眠っている。
"おかえりなさい"って誰かに言ってもらいたかったが、俺のささやかな願いで彼女の安眠を妨害する訳にはいかないな。
お昼ごはんでも作りながら、起きるのを待とう。
冷蔵庫から卵を取り出して、炊飯器のごはんの量を確認する。
いきなり妹を連れてきたせいで、あんまり材料が無い。でもこれなら天津飯ぐらいは作れる。
よし、既製品じゃない旨さを教えてやるからな!
「お兄ちゃん」
「お、起きたか? それとも起こしちまったか?」
「うーん……むにゃむにゃ」
「……って、寝言かよ」
でも夢でも俺に会ってくれている。
父親じゃなくて、俺にだ。
夢の中の俺よ、頑張ってくれ。
どうか、少しでも妹を幸せに……。
「体……使っていいよ……お兄ちゃん」
俺は振り返った。
確かに妹は寝てる。
少し近づいて、彼女が寝ている事は確認した。
どれだけ……眠っている時ですら、彼女は苦しまないといけないのか?
これは彼女を痛めつける相手が父親から俺に変わっただけみたいな夢を見てるって事だろ?
「俺は……お前の父親とは違うからな」
俺が再開を心から願っていた家族。
彼女にどんな呪いのような洗脳があったとしても、俺は決して諦めたりしない。
体に刻まれた傷が消えるまで、俺が守る。
そして二度と傷付かないように、その後も守る。
……お嬢様の件、どうしよう。
やはり連れていかない方がいいんだろうか。
でも、今日会わせなかったとしても平日の学校で接触してくる可能性は残る。
なら、俺が隣にいてあげられる今日の方がいい。
「すて……ないで……」
「捨てないよ、ゆうこ」
元々お嬢様に話をするだけだったのになぁ……。
妹もどこかに行ってしまうんじゃないかって心配もあるし……最近疲れてる。
いっそ……ゆうこをここから出さなければ、全てから守れるのに。
俺が稼いで、料理を作って、妹はそれを食べて……。
「って、なに考えてんだ俺、そんなの監禁だろうが」
守る事と縛る事は紙一重。
だけど、俺は縛りたい訳じゃないだろ。
変な考えを打ち消すように両手で自分の頬を叩く。
俺の守るってのは、彼女が自由に暮らしていく前提にある。
そんな事考えるな、俺。
寝ている妹のずれかかった布団を直してから、俺は起こさないようにゆっくりと昼食を作り始めた。
昼食を作り終えた所で、妹は目を覚ました。
本当に丁度皿に盛り付けた所だった。
匂いで起きたとかだろうか、まぁ昨日スープとパンだけだったし、無理もない。
「おはよう……お兄ちゃん、それ、お昼ごはん?」
「ああ、お前の分もあるから一緒に食おうぜ」
「うん、ありがと」
それにしても……コイツめちゃくちゃ寝起きいいな。
目もパッチリ開いてるし、フラフラもしていない。
まるで起きてからしばらく経っているような……。
いや、無い無い。
隣で見て寝てるって確認したんだから、それは深読みしすぎってもんだ。
「今日も自信作だぞ、さ、冷めないうちに食べろ」
妹は蓮華を握り、ふわふわの卵と熱い餡、それにごはんを一匙にすくい、それを食べた。
予想より熱かったのか、あたふたした後で水でそれを冷まして……ふふっ、子供みたいだ。
普通ぐらいの温度のはずだが、熱いのはあまり得意じゃないのかな。
「ゆっくり食え、逃げないからさ」
「……別に、焦ってない」
慌てている姿を見られたのが恥ずかしかったのか、彼女はフイとそっぽ向いてしまった。
両手で水をいれたコップを掴み、舌を冷やすようにチビチビと飲んでいる。
小動物みたいな事してんな。
「わかってるよ、猫舌ゆうこ」
「む……お兄ちゃんのいじわる」
俺の笑顔に対して、彼女は少しだけ頬を赤くする。
ふふっ、ああそうだよ、こういう日常を待っていた。
酒に溺れて自堕落に暮らす俺の父親との日常は悲惨な物だったが、家族らしいこの風景とやりとりは、まさに俺が望んでいた物そのもの。
その後黙々とご飯を食べながら、妹は。
「お兄ちゃん、寝てる私を襲わなかったね」
「ごふっ!? うげ、ゲホッ……ゲホッ……!」
絶対に食事時にするような話題じゃない話をし始めやがった。
おいさっきまでの感動を返してくれ、そんな会話はしたくない。
っての。
「ゆっくり食べて、逃げないから」
むせて咳き込む俺の背中を擦りながら、妹はニヤニヤとしている。
一瞬だけ不安そうな表情を見せたが、彼女はそれすらも吹き飛ばすような可愛さを振り撒いている。
さっき俺がちょっとからかった事に対する小さな復讐のつもりか?
かわいい奴め、そんなんじゃ復讐にはならないっての。
「お前なぁ、俺はそんな事しないって言ったろ?」
「……うん、ありがと」
「ああ、だからもうそんな話はすんなよ」
「ならせめて、お兄ちゃんの役にたちたい」
俺の役に……?
「何もしなくていいんだよ、お前を守る為に俺が勝手にやってる事なんだからさ」
「それじゃ、捨てるでしょ?」
捨てる?
俺がお前を?
バカな、何度も言ってんだろ。
そんな事する訳がない。
やはりまだ心に言葉が届いていないのか?
彼女は笑っているけれど、もしかしたら内心は怯えているのかもしれない。
何もしなくていい平和の対価を支払うと言っているのに、受け取って貰えないという彼女に刻まれたのルールに反する事を俺がしているからだろうか。
「妹を捨てる兄がいるわけないだろ」
「……キスだけでいいの? 本当に?」
「まぁ……あ、そうだ!」
ならば、さらに妹に対価を払わせよう。
彼女の弱みに漬け込むようで申し訳ないが、利用させてもらおう。
「何でも言ってね」
ゆうかは手を膝に置き、腕で胸を強調する。
自分の価値を精一杯アピールするように、男の視線の動きを熟知しているように。
上目遣いで、自分の"メス"としての武器をアピールしてくる。
見てはいけないのに、視線がチラチラと胸にむかう。
「お兄ちゃん、どうしたの?」
「えっと……あのだな」
「ふふっ、お兄ちゃんどうしたの? 顔真っ赤だよ、どこ見てるのかな?」
妹の胸に視線を奪われる兄。
なんともまぁ情けなく、変態ちっくな話だけど……。
彼女が少し回復しているような、元気になっているような気がする。
昨日の彼女は、怯えて体を差し出そうとしていた。
殴られない為に、自分を守る為に自分を傷付けていた。
だが今は、そんな体を使って俺をからかっている。
それが俺には、嬉しかった。
まるでまた少し、洗脳から彼女を取り戻したような気がしたからだ。
「からかうなよ、ゆうこ」
「本気、だけど?」
「役にたちたいってんなら、これから一緒に来てほしい所があるんだ」
「お出かけ、デートって事?」
「俺の職場に、一緒に来て欲しいんだ」




