人ではなく所有物
夜が明けた。
今日は土曜日だから学校は無い、だけどもう少ししたらお嬢様の所に朝食を作りに行かないといけないんだ。
今寝たら間違いなく起きられない。
少し早いけれど……行くか。
まずシャワーを浴びて、軽くジョギングをしながら向かえばきっと目も覚めてくれるだろう。
「ゆうこが起きてくる前にシャワー浴びないと……今のアイツなら一緒に入ってお礼がどうのこうの言いかねない」
ぬるいお湯で烏の行水を終えてからすぐに着替え、妹が起きていないかを確認する。
ゆっくりと妹の部屋のドアノブに触れ、回してみると引っ掛かりがあって動かない。
起きているのなら鍵を開けて出てくるだろうし……あ、そうだそうだ。
午前中には帰ってくるけど、アイツ用の朝食作んないと!
「って、まともな食材ねぇな」
コーンスープの残りは……まだある。
これを温めて食べてもらおう。
一応……念のために……。
"コーンスープの残りを温めて食べる事! あと午前中に帰ってくるから、外出しない事!"
そうメモに書いてから、俺は外に出た。
妹とのキスの事は……流石に相談出来ないけれど、お嬢様なら俺の話を聞いてくれるはず。
頼るのが危険なのは分かっているが、俺の知り合いの中に彼女程知恵と力を持つ人はいないし……仕方ない。
その為、機嫌を取る為にも喜んで貰わないとな。
屋敷に着いてからの裏口のインターホンを鳴らす。
少しの間の後でガシャッと音がして、俺の背丈よりも高い黒色の柵の一部が開いて、押して通れるようになる。
重厚な見た目に反して、出入りする際にはそこまで重さを感じないのは、きっと素材から違うんだろうな。
見慣れた道を進むと俺の職場が見えてきた。
屋敷の端の厨房は、大きな屋敷に相応しく大きく綺麗で、それでいて最新の設備も揃っている。
ここで働けるのなら、ホテルやレストランでも働けると言われていたし、俺もそう思っているが、こんなにも設備が揃っている職場はそう多くないんだよね。
使い方を覚えていても、他では使いたくても使えない。
厨房の近くの更衣室で綺麗な服に着替えてから、中に入る。
「おはようございます……って、誰もいないけど」
ここはお嬢様の食事を作る専用の場所。
だから住み込みで働く使用人用の食事を作る人は別の厨房にいるし、一食分作るだけだからお嬢様当番になっている人だけがここで働く。
最初は静かで落ち着かない場所だと思っていたけれど、今のこの空気が落ち着く。
「さてと、やるか!」
お嬢様の朝食まであと二時間。
手の込んだ料理は作れないけれど、朝からそこまでの物はいらないだろう。
しかし、だからと言って手を抜ける訳じゃない。
『美味しいですよ、ゆうま君』
好きな人に褒めてもらいたい。
彼女に受けた恩を返したい。
感謝とすこしの下心を抱きながら、俺は包丁を握る。
お嬢様、待っていて下さいね!
冷蔵庫から取り出したお嬢様の大好きなソーセージをビニール袋から出していると、カタンと小さな音がした。
その方向を見ると、そこには……お嬢様がいた。
まだ殆ど日が登っていないのに。
今日はパーティーやイベント事が無いはずなのに、彼女は煌びやかな装飾が施された真っ赤なドレスを着て、宝石輝くネックレスを付けている。
「え、ちょっと……お、お嬢様!?」
「……フフッ」
真っ直ぐに俺を捉える瞳からは……不思議と何も感じない。
怒りも悲しみもない、何を考えているのかまったく分からない。
だけど、あの笑顔は凄い。
例え着ているのが安物のジャージだとしても、アクセサリーが無かったとしても、彼女はそれらを影に押し込めるような綺麗な笑顔を見せている。
「どう?」
「どうと言われても……似合ってますよ」
「リアクションが薄いですね……驚かせようと思って一時間かけて用意したというのに……」
「しっかり寝て下さいよ……え、まさか驚かせる為にそんな綺麗な服を着たんですか!?」
「そうよ? びっくりした?」
びっくりしたよ。
驚かされた、それは認める。
しかしこの驚きはいきなりの事に驚いたって意味じゃない、何て暇なんだこの人って意味のびっくりだ。
「……どれだけ暇なんですか、まったく」
「この為に夜中メイドを起こして用意したのに……うーん、やっぱりあのメイドは駄目ですね」
「メイドさん達も疲れてるんですから、夜中に起こしてこんな事をしなくても」
「あら、あれらは私の所有物ですから、私がどう使ってもいいでしょう? ゆうま君は自分の手に動かしてもいいか、なんて聞きますか?」
その言葉に、俺は何も言い返せなかった。
彼女の言葉には悪意が無い。
あまりに純粋で、あまりにも歪んでいる。
少し離れていただけなのに、彼女の綺麗で歪んだ常識を忘れてしまっていた。
妹の事を相談しようと思っていたけれど、相談なんてできるはずがない。
「一週間ぶりですわね、ゆうま」
「学校でも会ってるじゃないですか」
「でも貴方は学校じゃ話しかけてくれませんから、ノーカウントです」
満面の笑みを浮かべる彼女に妹を会わせれば、彼女はきっと"面白いオモチャ"を見つけたかのように、無邪気に、そして残酷に、妹の心をかき乱すかもしれない。
善意で接してくれるかもしれないが、彼女の全ての善意が妹にとっていい方向になるかどうかは分からないのもある。
「それで、昨日は妹さんを見つけたみたいですね」
「知ってたんですか?」
「ええ、貴方がボロボロの女性の手を握って学校から早足で帰っていくのを見ましたから……私の下着を見ても動揺するだけのヘタレな貴方があんなに大胆に動けるんですから、あの女性が妹だと簡単に分かりましたわ」
お嬢様は満足そうに微笑むと、厨房のテーブルに腰掛け、足をぶらぶらとさせた。
真っ赤なドレスの裾が、塵一つない床に触れている。
汚れてしまう事なんてお構い無しだ。
「念願の家族との再会を果たしたというのに随分と顔色が悪いようですけれど……まるで寝ていないみたいな顔ですわよ」
「はは……まぁ……」
「お互いが見えない中で育った兄妹が、成長した姿で再会した……そして寝不足……もしかして、一線を超えちゃった?」
俺は一瞬、言葉を失った。
違う、俺はそんな事はしていない。
妹の義父のような事を、する訳がない!
お嬢様の問いに対する答えがこみ上げるのと同時に、昨夜の事も思い出される。
妹の柔らかな唇。
絡まった体温を感じる舌。
そして俺の知らない育った体。
それらにメスを感じてしまった俺の罪を知っているかのように、今にも読み上げるのではないかと思ってしまう。
「どんなに久しぶりの再会とはいえ兄妹ですよ、そんな関係にはなりません」
「ふーん……」
お嬢様はそんな俺の反応を、少しも笑っていない瞳で、ただじっと見つめていた。
数秒の無言の後、彼女はテーブルから静かに離れて俺の目の前まで歩み寄る。
そして、氷のように冷たい指で、俺の汗ばんだ額をそっと撫でた。
「そうですよね、どんな理由があれど二人は兄妹です、絶対にそんな関係にはなってはいけないですから」
「当たり前ですよ……まったく」
冷静になれ。
普段通りに振る舞えばいい。
例え今、これまでと比べ物にならない程のプレッシャーを感じていたとしても、この罪には形が無いんだ。
証拠だって、俺の心にしかないのだから、俺が認めない限りそれを責められるような事がある訳がない。
「ねぇ、ゆうま君」
「何ですか、そこに居られると朝食が作れませんから早く済ませて下さい」
「やはり、変ですわね」
「普通ですよ、確かに寝不足なのは認めますけど、これは昔話で盛り上がってしまったせいです」
「あら、そこまで盛り上がれる期間を共に過ごしていないのに、ですか? うーん、思い過ごしでしょうか……私もまだまだです」
「あはは……まぁアレです、中学の話とか、離ればなれになった後の話をしてたんですよ」
お嬢様は俺の額に流れた汗を指でぬぐった。
そして、それを口に含む。
可愛らしい所作とは違い、彼女の瞳は俺の心を見つめるかのような鋭い光を見せた。
俺がボロを出すのを待っている、そんな予感がする。
「ならその話、聞かせて下さい」
「……えっ」
「貴方の妹の話を、私に聞かせて下さいな」




