自己嫌悪に襲われて
眠りについた俺は、体に触れる何かによって目覚めた。
時計は午前二時を指している。
重い瞼を開けるのにはいつも苦労するけれど、今日は自分でも驚く程素早く目を開く事が出来て、意識も夢の世界からすぐに追い付いてくる。
こんな夜中に……何が……!?
「あ……起きたの」
「ゆうこ……お前、何してんだよ」
「素敵なお部屋をありがとう、暖かくて美味しいご飯をありがとう、お兄ちゃん!」
笑顔の彼女は、俺の布団の中にいる。
俺の上着ははだけて、妹は下着姿で俺の上にぴったりと引っ付いている。
腹に当たる下着の感覚と、柔らかな感覚に襲われ、逃げようとしても体重をかけられている。
本来ならば男と女の力の差という抗えない物で抵抗出来るはずなのに、俺の体は動いちゃくれなかった。
豊満で、掴みたくなるような胸が今、手を伸ばせばそれが叶う場所にある。
まるでこの機会を逃がすなと、本能が叫んでいるみたいだ。
「お礼に来たよ、お兄ちゃん」
ダメだ。
手を伸ばしちゃダメだ。
それをすれば、彼女を傷付ける奴と、俺が憎む男と同じ事になる。
冷静に……彼女を拒絶しろ。
彼女は女性だ、それも魅力的な女性。
しかし、守る為にその誘惑すら超えるんだ。
女性である以前に、彼女は俺の妹だぞ。
「自分のベッドがあるだろ、早く戻れ」
「私ね、お兄ちゃんが守ってくれるって言葉、信じてみる」
「そっか、ありがとな」
「だからね、ちゃんとお礼をさせて欲しいな……お兄ちゃんは動かなくていいから、私がお兄ちゃんにご奉仕するね」
その言葉に、少しだけ、本当に少しだけ喜ぶ自分がいる。
獣のように、理性を捨てれば彼女が手に入るのだと喜ぶクズの片鱗が自分の中にある事が気持ち悪くて、会った事のない義父と同じと言われているような気持ちになってしまう。
違う、俺は人間だ。
家族を守ると決めた、この女性の兄だ!
そう言い聞かせて、それを押し殺した。
「言っただろ、お前はそんな事しなくていいんだ」
「えっと、ならお兄ちゃんが動くの?」
「違う、そうじゃない、お前は何もしなくていいんだ」
「どうして? 優しくされたらお礼が必要でしょ?」
やはりまだ、洗脳の奥に"ゆうこ"は閉じ込められている。
そう演技するように言われたのか、歪な笑顔を浮かべて胸を押し付ける彼女はとても……見ていられない。
「お礼はいらないよ、兄妹でしちゃいけない事はしなくていい」
俺が彼女にそう答えると、ゆうこの瞳に一瞬だけ光が戻ったような気がした。
けれど、それはすぐに深い闇に囚われて、消えていく。
「……なら、殴るの?」
「殴らないよ」
「おかしい、こんなのおかしいよ!」
ゆうこは立ち上がった。
傷だらけの肌をカーテンの隙間から射した月光が照らし、痛々しい傷をより鮮明に見せると同時に、流れる涙に反射する。
その光が俺に届いた時には、ゆうこは大量の涙を流していた。
「優しくしてもらった、なのにお礼はいらない、なら次は普通暴力だよね!? なのにそれも無い! ならその次は……どうなるの!?」
「ゆうこ、俺はお前を妹として大切に思ってる、だからそんな事はしたくないんだよ、もう不安に思わなくていいんだ」
「だったら不安を取り除いてよ! おとなしくお礼されてよ!」
優しさを与えられたら奉仕をしないといけない、自らの体を差し出して喜んで貰わないといけない。
そして、それが拒絶されると次は暴力が待っている。
なんて……地獄のようなルールに縛られているんだろうか。
「俺は……」
「ね、ほら、お兄ちゃんも男の人だから"シ"たいでしょ? 何でも言ってよ、私何でもやるから!」
どう救えばいいんだ。
分からない、俺には分からない。
彼女の不安は取り除きたい、でもそれは出来ない、しちゃいけない。
俺にとっても、彼女のルールは地獄のように働いている。
進めば、俺は獣になり、最も忌避する男と同じ事をして彼女を傷付けてしまう。
引けば、彼女は恐怖に襲われ続ける。
安心して暮らせる環境を揃えたのに、それらを全て無意味にしてしまう。
「……お願いします……お兄ちゃん……お礼を、受け取って下さい」
「なら……」
俺は彼女が恐怖の中で暮らす事を望んではいない。
望んだのは失われた普通の兄妹の日常であり、彼女が怯えたり、俺を誘惑したりするのは間違っているに決まってる。
だが俺の理屈だけを押し通す事は、彼女のルールが許さない。
ならばせめて、"お礼"のレベルを彼女に妥協してもらうしか無いだろう。
「ハグでいい」
「……それで、それからどんなプレイをするの?」
ハグじゃダメか。
彼女の中じゃハグと俺の与えた物は釣り合って無いみたいだ。
釣り合う物でまだ許容できる物……。
兄妹として、越えてはいけない一線を越えずに済む方法は……。
「やっぱりキスだ、キスにしてくれ」
何も浮かばなくて、咄嗟にキスと答えたが、妹は少しだけ考えるように首を傾げた。
「それはもちろんする、わかってるよ」
これでもダメか。
なら……!
「違う! ここに住んでいる間は必ず俺の頬にキスをするんだ」
「……それから、何をすればいいの?」
「何もしなくていいけどその代わり、絶対に毎日キスをしろ、夜寝る前と起きてからの二回だ」
かなりギリギリのラインを出してみた。
お互い高校生の兄妹がするにはおかしい行為だが、これならまだ仲のいい、良すぎる兄妹として通せる。
これ以上は俺も引けない、引いちゃいけない。
だから……これで妥協してくれ。
「それ……だけでいいの?」
「ああ、だけど毎日だ、絶対に毎日キスしろ……キツイと思うけど……これがお前のするお礼だ」
「毎日……キス……うん」
妹は俺の提案を……頷いて、受け入れてくれた。
よかったと思うと同時に、安心させる為とはいえキスを強要した自分に嫌気が差す。
もっといい話の持っていき方があったんじゃないかとか……自分もキスを楽しみにしているんじゃないかとか、自分から言っておいて思考がぐちゃぐちゃになっていく。
「それなら、わかった」
「良かっ……ッ!?」
安堵した俺に抱きついた妹は、俺の唇にキスをした。
いきなりの事で動けない俺は暖かくて、とろけそうになる感触襲われる。
そして、口の中に入ってくる舌を感知した時になってようやく、体が動いた。
「お、お前っ!」
「今日の朝の分、出来なかったから……二回分」
「兄妹でこんなキスはしたらダメなんだ、二度とするなよ」
「……うん、わかった、ごめん」
妹はペコリと頭を下げた。
怒っても……仕方ない。
とりあえず、俺は彼女に施された洗脳を一つ解除する事に成功した。
地獄のようなルールを、キスする事に置き換えてやったんだ。
まってろ、絶対にお前を助けてやる。
この地獄から、俺がお前を解放する。
キスすらしなくていいように……そしていつか。
普通の生活をさせてやるからな。
「おやすみ、お兄ちゃん」
「ああ、おやすみ」
ふぅ。
とりあえず今日はもう疲れた。
さっさと寝よう。
明日も学校だし、バイトもあるし……お嬢様に眠そうな顔見られたら何言われるか分かんないし。
「明日からちゃんと、頬にするから」
「ああ、期待してるぞ」
待て……俺、今何て言った?
気を抜いた途端に、俺は妹のキスに期待してると言ったよな?
彼女を守る為に妥協ラインを探って、それが認められたとほっとするとかじゃなくて、期待してるって言ったんだよな?
妹は何も気にせず、部屋に戻って鍵を閉めたけれど……クソッ!
「オェッ……」
自分が気持ち悪い。
さっきのキスが心地よかったとか、キスを期待してるとか、そんな事を心の奥、本能レベルで考えてしまう自分が気持ち悪い。
俺は生まれて初めて、自分の内からくる感情に吐き気を感じた。
ゆうこは妹で守るべき人だ。
俺は、彼女を傷付けるような事はしない。
そう念じつつ、時々吐き気に襲われて、俺は布団にくるまった。
この姿を妹に見られないように、嗚咽が聞こえないように、俺はただ、耐える事しかできず……。
気付けば、空は青くなっていた。




