俺の言葉も届かない
妹は俺の顔を見てから、料理に視線を移した。
スープから湯気が上がり、彼女の眼帯をゆっくりと湿らせていく。
そして、もう一度俺を見た。
まるで何かを待っているかのような、そんな顔になって……。
「食べないのか?」
「た、食べても、いいの?」
「食べていいさ、お前の為の料理だぞ」
「許可ないと、食べられないから……いただきます」
感覚が麻痺してきたのか、もう驚かなくなってきた。
食事すらも支配されていたとしても、"ああ、それもか"と思うだけ。
妹はスプーンを持って、スープにスプーンを入れた。
スプーンを持つ手はかすかに震えていたけれど、彼女は、ゆっくりとスープを口に運び、そしてそれを口に運び飲み込んだ。
妹に食べて貰う為に作った料理は……。
「……っ!」
妹を、泣かせてしまった。
バカな、味は完璧なハズだ。
お嬢様からも認められて、屋敷の人からも認められたのに。
「悪い! もしかして味が変だったりしたか!?」
「違う、違うの!」
慌てて近づく俺に対し、彼女は首を横に振って違うと答えた。
そして、瞳から流れる物によってスープを少し薄めながら、彼女は二口、三口とスープを食べ、手に持ったスプーンを皿に置いてから。
「美味しいよ、お兄ちゃん」
昔のように。
いや、昔よりも輝かしい笑顔を俺に見せてくれた。
内面に昔の面影が無いと思っていたけれど、よかった、まだゆうこは生きている。
壊されていない、洗脳されていない彼女は間違いなくここにいる。
「そっか、全部食べていいからな」
「うん!」
トーストをスープに浸し、それを口に運ぶ。
滴り落ちるスープがテーブルを汚すが、妹は食べるのをやめない、やめないでいてくれている。
俺の努力を受け入れてくれているような、言葉じゃ伝わらなかった俺の気持ちが、封じられた彼女の心に届いたような気持ちになって、たまらなく嬉しい。
「お兄ちゃん」
今自分は笑顔だと分かる。
さっきまで怒りに燃え、それを表情に出さないように努力していたのに、今じゃ目の前の彼女につられて笑ってしまっている。
この笑顔をもう二度と、失わせたりしない。
大丈夫だから、お兄ちゃんがお前を守るから。
だからいつまでもその笑顔を見せてほしい。
「ん、どうした?」
「見られてたから……やっぱり全部は、その……」
「笑顔のお前を久しぶりに見たから見惚れてただけだ、気にすんな……ってスープもう殆ど無いな、おかわり持ってくる」
「ありがと……お兄ちゃん」
申し訳なさそうな顔はしないでくれ。
一番大切な時に、側にいて守ってやる事の出来なかった俺に気を遣わないでくれ。
優しさが……今の俺には辛いんだ。
結局、妹はスープを三杯食べた。
食べている最中に発した"暖かい物っておいしいね"とか、"インスタントじゃない料理って久しぶりだから"とかの言葉は俺に深く突き刺さった。
けれどそれより、トーストを使ってスープを綺麗に食べてくれる彼女を見ているのが楽しくて仕方ない。
「ごちそうさまでした」
「おう、また作ってやるからな」
「今日はお兄ちゃんの料理を食べさせてくれてありがとう……嬉しかった」
「明日のリクエストはあるか? 何でもいいぞ、作ってやる」
俺の提案に対し、妹は首を振ってそれを拒絶した。
「毎日外出なんてしたら、お母さんが殴られちゃうだろうし……明日の夜が怖いから……あ、もう夜……だよね」
彼女は服を着ようとしている。
それは普通の行動だけど、俺には自ら恐怖と暴力の支配する城に戻ろうとするようにしか見えない。
戻る必要なんか無いんだ、絶対にここから帰さないからな。
「ここの部屋、使っていいぞ」
「……えっと、この部屋って」
俺の借りているアパートは大きく無い。
台所にリビングに部屋が一つあるだけだが、この鍵のかかる部屋は、妹の部屋にすると決めていた。
お嬢様に協力してもらい、年頃の女の子らしい部屋として、ベッドや化粧台を揃えたんだぞ。
まぁ……めちゃくちゃ高かったけれど、お嬢様が選んだ物だからきっと質はいいし、気に入ってもらえるはずだ。
「ここはお前の、ゆうこの部屋だ」
「……お兄ちゃんの部屋は?」
「俺の部屋は……あー、リビングだ! ほら机どかせば布団をひけるだろ?」
「でもそれじゃ……その」
「お前の為に用意したんだ、喜んでくれるか?」
妹はキョロキョロとしながら部屋に入った。
そこには白を基調とした家具と、少し大きめのベッド、さらに俺には全く使い道の分からない化粧道具まで並んでいる。
しかしまぁ、何度見てもこの安アパートにはふさわしく無い部屋だ。
ここだけあの屋敷の一部みたいになってやがる。
「綺麗……」
そして、お嬢様のセンスは妹に通じたみたいだった。
さっきまで遠慮がちに動いていた彼女だが、一歩、また一歩と部屋中央に入っていく。
全身を写す大きな鏡に、横顔が映る。
そこには、喜びを表すかのような笑顔が広がっていて……。
『流石です、お嬢様!』
俺は内心、ガッツポーズをして心の中のお嬢様にお礼を言った。
まぁきっと、あの人は現実でも妄想と変わらず笑わずに"よかったですね"と言うのだろうが、それでも俺は本気で彼女に感謝しているんだ。
次仕事に行く時はお嬢様の好物を用意しよう。
お嬢様のお父さんは食べさせすぎるなと言うかもしれないが、今回ばかりは許してもらいたいね。
「気に入ったか?」
「うん……でも、ごめんなさい、私が帰らないとお母さんが……」
どうして母さんの心配をするんだろうか。
お前がそんな体になったのも、精神を蝕まれ、普通の生活や幸せと疎遠な生活をさせられているのを見てみぬふりをするような人間に、どうして気を使う必要があるんだ?
だけどそれを言っても彼女は聞かないだろう。
俺の言葉は届かない、だけど、ゆうこはまだ完全に死んでない。
ならば、それに訴えかけるしか無いんだ。
肉体的に押さえ込めば彼女を怯えさせてしまうのだから、これにかけるしかない!
「母さんは好きか?」
「……うん」
間があった。
絶対に嘘だ。
人間性が失われたお嬢様の側にいたからこそ、俺には分かる。
お前の瞳からは、嘘を感じる。
「話したくなったら聞くけど、お前に何があったのかは聞かない、その前提で言うが……母さんはお前を守れていない、そうだろ?」
妹は何か言おうとした。
しかし口は開くが言葉がついてこない。
そうだ、気付け、お前はもっと幸せになっていい人間なんだ。
「俺ならお前を守ってやれる、嫌な事、辛い事の全てからお前を守ってやる」
「……私だって、お兄ちゃんを信じたいよ、でも、怖いの」
「俺は嘘をついてない、金を稼いで部屋も借りて、俺だけで生きていける技術も手に入れたんだ、だから」
「幸せは……すぐ裏切られるの」
妹は俺をまっすぐに見ている。
お嬢様とは違う、闇しか無い瞳に捉えられて動けない。
動いてはいけない。
ここで下手に動けば、彼女はここを出ていくような気がする。
「俺を信じなくてもいい、だけどここまで環境を揃えて努力したこの結果を信じてくれ、俺の言葉は信じられないかもしれないけど、俺の行動で俺を信じてくれ!」
しばらくの沈黙の後、妹はうつむいた。
それは肯定でも否定でもない、しかし否定で答えない彼女なりの優しさを俺に見せてくれたんだ。
「少し早いけど、俺は寝るよ……あ、この部屋内側から鍵かけられるみたいだから……俺を信用できるようになるまでは、使ってくれていいからな」
今これ以上の言葉は意味がない。
きっと今、楽観的な考えだけど彼女の中で俺を信じる気持ちと、恐怖が戦っているに違いない。
今の俺に出きるのは、妹を守る為にどう動くのかを考える事と、彼女を信じる事ぐらいだ。
俺が部屋から離れると、がチャリと鍵の閉まる音がして……少しだけ、悲しい気持ちになった。
普通の事なのに、俺は信じられていないと、行動で拒絶されたような感情に襲われる。
そして、リビングに布団をひいて俺は横になる。
シャワーを浴びたいけれど、妹が勘違いして入ってくるかもしれないから……うーん、朝ならいいかな……。
とりあえず明日お嬢様に相談して……それから……。
睡魔が脳の動きを阻害する。
色々あったせいで、どうやら疲れているみたいだ。
「気を張ってたから……眠くなかっただけなのかな……」
ゆっくりと、重い瞼が閉じていく。
今日はこの睡魔に逆らわないでおこう。
どうか、妹がいい夢を見られますように。
おやすみ、ゆうこ。




