最終話 夜明けと共に
体が酷くだるい。
そして、無数の手が俺の体にまとわりつくような体の重さに襲われている。
あの薬が効いているのか、それとも今さら罪悪感に襲われているせいなのかは分からないけれど……多分薬のせいだろう。
その証拠に、妹は眠っている。
『苦いキスになったけど……絶対に忘れられないキスになったよね、パパ!』
そう言って最悪の結婚式ごっこが終わり、残った料理を流し込み、それを見終えた彼女はとても満足そうにリビングでお茶を飲みながらテレビを見ているうちに眠ってしまった。
少し前から、おそらく彼女が妊娠した初期症状で眠る事が多かったが、ここまで急に眠るなんて……どれだけ強力な薬なんだろうか。
詳しい事は何も知らないが、この今の体の状態を考えると、きっととてつもない劇薬なのだろう。
「ゆうこ……幸せそうに寝てるな」
この劇薬は、必ずお前を助けてくれる。
それは分かっているが、彼女からすれば俺は一つの命を奪った殺人鬼に見えるのだろう。
辛かった、苦しかった、後悔や絶望といった感情に飲み込まれるかと思っていたけれど、俺は自分でも驚く程何も感じていなかった。
「なあ、ゆうこ」
俺が話しかけたって、こいつは何も答えてはくれない。
こんな卑怯な真似をして、この真実を知った時に君はどれだけ怒るだろうか。
どれだけ悲しむだろうか。
俺の罪を、許してくれる日はくるのだろうか。
「大好きだよ、ゆうこ」
俺の布団を彼女にかけて、テレビを消して部屋の電気も消して眠りやすい環境を整える。
もはやできる事はこれぐらいだが、あの笑顔はきっと……いや多分だがいい夢を見ているかもしれないんだ。
現実で君の夢を破壊した俺だが、夢ぐらいは守らせて欲しい。
どうか、いい夢を。
部屋を出て、俺はお嬢様の所に戻ってきた。
もうすぐ夜が明けようとしているのに、彼女は俺を見送った時と同じく公園の古びたブランコに座り、静かにゆらゆらと揺れている。
待っていると言ってはいたが、本当にこんな時間まで待っていてくれるとは……。
「あっ」
そんなお嬢様の隣に、こんな公園にはふさわしくない綺麗なメイド服を着た……藤川さんがいた。
「ほらお嬢様、暖かいココアを買ってきたぞ」
「わざわざすいません……ティーセットを持ってくるべきでしたね、ここまで肌寒いとは思ってませんでした」
「それを誰が運ぶのかってのを考えてから発言して欲しいもんですが……」
咄嗟に隠れてしまった。
お嬢様はともかく、藤川さんは……どう接すればいいのかがわからない。
彼女は俺を途中まで守ってくれていたが、最後の最後で……俺を捨てた人だ。
「ゆうまは……大丈夫でしょうか」
「またその話ですか?」
「心配なんです、彼が一人で苦しんでいるというのに、私はここで待つ事しかできませんし、信じて待つなんて初めてですし……ねぇ、藤川」
「なんです?」
お嬢様はブランコから降りて、藤川さんの前に移動してからペコリと頭を下げた。
「ちょ……え、止めて下さいよ」
藤川さんも驚いているが、俺も驚いている。
彼女が頭を下げる事は珍しい事じゃない、学校で何度か見たことがあるんだけど……使用人に対しては一度たりとも見たことがない。
そりゃ藤川さんも鳩が豆鉄砲をくらったような顔をするわな。
「まだ上手くいったかどうかわかりませんが、貴女のおかげで、私はゆうまを助ける事ができました」
「アタシは……アイツに酷いことをしただけです」
「貴女にゆうまの事を調べさせたのは私ですし、貴女は貴女のやるべき事をしただけではありませんか! それに、罪人だったゆうまを助けたのは貴女ですよ」
「そうとも言えるかもしれませんが……」
藤川さんは……自分と家族の為に俺をお嬢様に売った。
俺は絶対に味方だと思っていた彼女に裏切られたような気持ちになって……それからお嬢様にバレて……。
「ですから、私の物として立派な働きをした藤川に何かお礼をしようと思っていたんです! 例えば貴女の夫の昇進が望みなら私から口添えしておきますし、貴女自身が異動を望むなら貴女の旦那と同じ会社で働けるように手配させます」
「……っ! ほ、本当ですか!?」
「はい、さあ望みはなんですか?」
だけど、お嬢様にバレたから俺は妹を救う事が出来たんだ。
お嬢様は最初から最後まで、俺を非難する事はあれど拒絶する事は無かった。
厳しい言葉と共に、彼女は常に解決策を提示してくれていた。
妹に対する言葉だって、彼女なりに気を使った物なのだろう。
それを俺は……ずっと被害者みたいに受け止めていて……。
「戻りました、お嬢様!」
「うおっ!? ゆ、ゆうまか」
お嬢様はいつも、俺の味方だった。
ただ少し分かりにくくて……ううん、俺が鈍感で彼女の言葉の意味が分からなかっただけなんだ。
じゃなきゃ、俺がやってきたことはただの騙し討ちと殺人に成り下がる。
お嬢様が、あてらが英雄と呼び救いだとする俺の行動がそんな下衆な行為な訳がないんだ。
「藤川……さん」
「……お前にゃ悪い事をしたと思ってる」
藤川さんに対する暴力だって、何か意味があったんだ。
そうせざるを得ない、彼女なりのメッセージが込められていたに違いない。
だけど藤川さんはお嬢様の言葉に意味があるという真実に気付いていないから……酷い人だと思い込んでいるかもしれないけれど……。
どうか、いつかお嬢様の素敵な一面が伝わりますように。
「気にしてません、結果的に俺は……」
「私のゆうま君……どう、でしたか?」
お嬢様は不安そうな表情で俺と藤川さんの間に入ってきて、ソワソワとしている。
彼女らしくないけれど、年相応の少女らしい姿はとても綺麗で、見ていて心が晴れやかになっていく。
相変わらず瞳は鋭く、表情と一致してないない。
それでも、俺だけは彼女がどんな人間なのか分かっている。
「上手くいきましたか? それとも……失敗しましたか?」
お嬢様、いやあてらは……俺の特別な人、恋人で、冷徹で優しくて歪んでいて……それでも。
俺が大好きな人だ。
「あてらから貰った薬は……飲ませたよ」
「……ッ!」
「……よかった、よかったです!」
藤川さんは目を見開いて驚いているが、そんな事はどうでもいい。
ただ俺に抱きついてきた恋人を受け止めて、抱きしめ返す事だけに集中しよう。
「お前……そっか、殺したんだな」
「殺した……ううん、この人は私に対して愛を示してくれたのです、そんな睨まないであげて下さい」
藤川さんは大きくなったお腹を撫でて、俺と目が合った途端にそれを守るような姿勢を見せた。
まるで自分の子供に手を出すなと、近づくなと警告し警戒しているような、敵に向ける視線を俺に浴びせている。
それに対してあてらは、キラキラと輝く宝石のような瞳と笑顔を見せて、力を込めて抱きしめてくれる。
「ゆうま、貴方が私の愛に答えてくれた事を嬉しく思います……貴方を愛して、貴方も愛される事を望んでくれて……こんなにも、嬉しい気持ちになるとはおもってなくて……」
「あてら……?」
「ゆうま、ありがとうございます」
夜空にオレンジ色が広がってくる。
長い夜が終わり、これからスタートの朝が始まるんだ。
闇の中でしか生きられない月ではなく、あてらは日の当たる所を歩けるように導いてくれた恩人なのだから。
俺はこの日の光と共に、あてらと共に生きていく。
「私の為に、妹さんを救ってくれてありがとうございます! やっぱり貴方は、妹さんだけじゃなくて私の……」
藤川さんは俺を軽蔑しているだろう。
妹も俺を恨むだろう。
だが、俺は正しい事をした。
二人にわかってくれなんて言うつもりは無い。
だって。
「私の愛する英雄さん!」
彼女だけは、俺を理解してくれるから。




