初デート
白くて小さく重い物を受け取り、少しの間お嬢様に抱き締められて励まされた後で、俺は重い足を無理やり動かして、お嬢様の部屋を出て家に帰るつもりだった。
彼女に頭を下げて、屋敷から出ようとすると少し待つように言われて……五分程玄関と呼ぶには広すぎる場所で、綺麗な花や絵画と共に主人を待っていた。
「おまたせしました」
物音一つしない静寂にお嬢様の声が響いて声のする方向、エントランスからすぐ近くにある二階に上がる為の大きな階段を見るとそこには、学校の制服を着たお嬢様がいた。
スマホを見なくても、空を見れば明らかにあの服を着るべき時ではない事は分かる。
何故……この時間に制服を着ているんだ?
いやうん、可愛いとは思うけど。
「えっと、着替えたのはいいとして、なぜ制服なんですか?」
「すぐに着られる服がこれしか無かったんですよ! むぅ、本当はもっと綺麗なドレスにしたかったんですが、外を歩くには適していないとメイドに言われたので、仕方ないんです」
頬を少し膨らませ、プイとそっぽを向いてから、彼女は階段を降りてきた。
ブーツではなく、普段学校に通う時に使う靴を履き、学校で見慣れた彼女の姿になってやってきた。
さっきまで着ていた寝間着からわざわざ着替えたのか?
いや、何で?
「お嬢様、何故制服に着替えたのですか?」
「この格好の方が歩きやすいからです!」
歩きやすい?
「歩くと言われても……どこに?」
「貴方と外を歩くに決まってるじゃないですか」
彼女は俺の隣にやってきて、また冷たい手で俺の右手を握った。
これから俺は、妹を傷付けに行く。
見方によっては、殺人をしに行くというとても重い空気の中で、彼女はニコニコと笑っている。
「それじゃあ行きましょうか」
「行くって……何処に行くんですか?」
「貴方が人間に戻る為の場所、貴方の家の近くまで私がついていってあげます!」
「……え」
「あ、言っておきますけど車を使わずに異性と外出なんてこれが初めてですから……私の初めてを奪った男になりますね、お父様が聞いたらどんな反応をするでしょうか……ウフフ」
玄関の扉を開くと、お嬢様は空を見上げてから俺の顔を見た。
笑顔だったが、また瞳と一致していない。
そこにあるのは……なんだろうか、分からない。
哀れみ? それとも悲しみ?
なんだろう、彼女が何を考えているのか、どう感じているのかなんて瞳を見ればある程度分かるつもりでいたけれど、まったく分からない。
「それじゃあ、行きましょうか」
「何故、お嬢様がついて来るのでしょう……」
「あてらと呼んで下さい、ゆうま君」
彼女はウインクをしながら、俺の口に人差し指を当てた。
"お嬢様"と呼ぶなと、そして"あてら"と呼べと言わんばかりに俺の言葉を遮って彼女は俺にお願いをしている。
これまで一度もあてらなんて呼んでこなかった。
関係性が恋人になった時も、神目さんやお嬢様と呼んできたから名前の呼び捨てなんて慣れなかったし……でも。
その非日常感は、不思議と俺の気分を高揚させる。
「あてら……さん」
「あ•て•ら!」
「それは少し恥ずかしいと言うか……その」
普通の恋人同士のやりとりみたいで……凄く恥ずかしい。
いやいつかこんなやりとりができたのなら、かっこよくキメてやるとか思ってたけれど、まさかお嬢様を名前で呼ぶ事がここまで緊張するとは……思わなかったな。
そもそもこんな不意打ちみたいなやり方は、いい意味で卑怯ですよ。
「貴方にとって、私は特別ですか?」
「それは……その……はい」
「だったら、自分が私の物だと自覚があるのならそんな恥ずかしい気持ちに負けずに、さあどうぞ!」
「わかりました……あてら、これでいいですか?」
「……その敬語も止めて下さい、もっと普通に呼んで下さい」
敬語を使わずにお嬢様と……あてらと話したのは高校に入学した当初、彼女の屋敷で働き始める前ぐらいだ。
いや分かるよ、恋人同士でそんな言葉使いは似合わないって事ぐらいは分かる。
だがこれは俺にとっての非日常なんだ。
はっきり言って礼儀とか雇用主とかそんな事はこれっぽっちも考えてない。
ただただ、恥ずかしい。
しかし……俺はこんな会話を待っていたのも事実な訳で……。
「これでいいか、あてら」
「上出来ですよ、私のゆうま君」
「……慣れないな」
「でも男らしいですよ、私はいいと思います」
「そこまで言うなら、これで通すけど……」
屋敷を出て、あてらは色々な話をしてくれた。
脚を止め空を見上げて星座の話をしたり、今俺達に見えている星の光は何万、何十万年も前に光った物が見えているのだとか……意外な一面を知る事が出来て、思わず俺も笑ってしまって、それを見たあてらは笑顔で"ちゃんと聞いて下さい"と俺をポコポコと叩いたりしていた。
「ちゃんと聞いてるよ、でもあてらがこんな話をするのが珍しくてさ」
「私とした事が……まったく、貴方の隣だと調子が狂います、謝って下さい」
「え、これ俺が悪いの?」
「ふふっ、はい、ゆうま君と話していると楽しくて、無駄話に花を咲かせてしまいましたから、ぜーんぶゆうま君のせいですよ」
楽しい時間は早く過ぎると言われている。
あまりそれを実感した事は無かったけれど、今夜は違った。
既に俺達は俺の住むアパートが見える小さな公園についてしまっている。
あてらともっと話して、笑いあっていたかった。
だけど、これからの事を考えるとさっきまでの明るくて楽しい気持ちが嘘のように消えていく。
あの部屋の先にいる、妹と向き合わねばならない。
やると決めた事だし、これは妹の為だ。
頭では分かっているが、やはり……。
「ゆうま君、怖いですか?」
「……そうだな、怖いよ」
「じつはここまで着いてきたのは……少しでも貴方を罪悪感や苦しみから助けてあげたかったからなんです」
「俺を……助ける?」
「私がゆうま君の為にしてあげられる事はもう、少しでも沸き上がる恐怖心を麻痺させる事ぐらいですから」
まさか……あてらは、俺を励ます為にこかまで一緒にここまで着いてきてくれたのか?
「貴方は一人じゃありません、周囲が貴方を責めたとしても、妹さんが貴方を非難したとしても……私は、誰も理解しなくても私だけは理解しています」
「あてら……」
「貴方が特別と呼ぶ私ができるのはここまで、ここからはゆうま君一人の戦いです」
繋がれた手が離れていく。
そして彼女は寂れたブランコに座り、まっすぐに俺を見た。
そこには光が宿り、この瞬間だけは本当に表情と瞳が一致していて、彼女が俺の背中を押してくれているのが分かる。
誰にも理解されず、これから行う全てに反する行為を彼女だけは肯定し、受け入れると言ってくれている。
「少しは、役にたてましたか?」
「……ああ、ありがとう」
「これが終わったら、次はもっとちゃんとしたデートをしましょうね」
キィキィとブランコから音がする。
こんな夜遅い時間帯で、普段なら補導とかを考えてしまうはずなのに、不思議と今はそれが心配にはならない。
ここにはあてらの優しい心だけが広がっていて、それが堪らなく好きになっていく感覚があった。
点滅を繰り返す公園の照明が照らす彼女は、それよりも明るい笑顔を見せてくれている。
これから闇に進む俺が帰る場所を見失わないように。
彼女の事をずっと人間性希薄なお嬢様だと思っていたけれど、誰よりも優しくて、こんな俺を見捨てずにいてくれる。
「ここで、待っていてもいいですか?」
「ここで、か?」
「これからゆうま君は苦しむと思いますし、強い自己嫌悪や罪悪感に襲われると思うので……少しでも早く、そんな貴方を助けてあげたいの」
あてらはブランコから降りて、俺に手を振った。
「どんな時も貴方には私がいる事を忘れずにいて下さい」
「……ありがとう、あてら」
「いってらっしゃい、私の……ゆうま君!」




