貴方は妹を救う英雄になるの
綺麗なお嬢様の部屋にある大きな窓から、月が俺の罪を覗いている。
そして部屋の、屋敷の主も俺の罪とその結末を聞いて頭を抱えている。
じめじめとした空気が気持ち悪く、虫やカエルの鳴き声すらもうざったい。
俺の犯した罪が形を持ってしまった事で、もう俺はどうしたらいいのか分からなくなって、ただ行き場のないイラつきに襲われている。
妹にイラついている訳でも、お嬢様に対してでもない。
弱い自分が、ただただ憎い。
「渡したメモの内容は全て一致している……ですか、それで妹さんはどうすると?」
「……俺を、パパと呼んで笑ってました」
「産むつもりですか、成る程……」
妹にパパと呼ばれ、意識が薄く倒れるんじゃないかってぐらいフラフラになりながら、ここに来るまでの間に色々な事を考えた。
そのどれもが、"もしも"の話であり過去を変えられるならって物ばかりだったが、ただ一つだけ。
『お義父さん以上の事をしておいて、責任取らないなんて言わないよね』
その言葉がずっと脳内でループして消えずに、妹を壊した男よりも酷い事をしたという現実と、もう手遅れかもしれないがあの男よりも酷い人間にならずに済む方法はある。
とても残酷な未来しか待っていないが、俺が人であり続ける方法が一つだけ浮かんでいた。
「お嬢様……俺は……」
妹は色々な物を奪われてきた。
少女らしい笑顔も、日常、青春や倫理観。
それらは義父が奪った物だが、俺は妹の未来を奪い取ってしまった。
もうこれ以上、奪うわけにはいかない。
何度も産ませるべきじゃないと考えたが、その度に子供という最も重い物を……小さな命を奪う事を選べなかった。
「……考えがあるなら聞きます」
「俺は……妹をこれ以上傷付けたくないです」
「それは分かります、家族を守るという想いはきっと……私には分かりませんがとても大切な物でしょうし」
お嬢様は腰かけていたベッドから立ち上がり、床に座る俺の隣にやってきて、隣に座った。
彼女の爽やかで上品な香りに包まれて、右手には彼女の手が重ねられている。
とても冷たい、だけど彼女らしい手だ。
「貴方は罪を犯した、そして今それは最悪になってしまった……それでも貴方は妹さんを守ると言うのですか?」
「……俺だって怖いです、でもこれはもう俺だけの問題じゃありません」
「最終確認です……私を見なさい、ゆうま」
彼女は俺の言葉を聞いてから、手を握ってくれる。
小さくて、完璧な人形のように綺麗な肌をしたそれは俺の手を強く握っている。
少し痛いぐらいだが、彼女は俺の目をしっかりと見ていて、手の痛みに反応する事すら忘れてしまう程の美しい瞳を見せていた。
ずっと、お嬢様は表情と瞳が一致しない人だった。
笑っていても目は笑わず、泣いていても笑っていたり、人間性という物が喪失しているような人だと、ずっと思っていた。
「貴方は妹さんを守る、そうですね?」
だけど、今は違う。
彼女は俺を心配してくれている。
恋人である貴女を裏切り、法や社会に反し、妹の未来をこれから恒久的に奪う俺が罪で押し潰されないかと、心配をしてくれているんだ。
初めて、貴女のそんな潤んだ瞳を見ました。
とても……綺麗ですよ、お嬢様。
「はい、俺は……妹を守ります」
もはや守ると言う言葉も、これまでの事情を知る他人が聞けばどの口が言うんだと笑うだろう。
もしくは、強く非難し怒るかもしれない。
だがお嬢様は俺の言葉を聞いてから、数秒間俺を見てから、ただ頷いただけだった。
「分かりました、きっと貴方ならそう言うと思っていましたが……ここまでしっかりと言われるとは思わなかったです」
「……逃げられませんからね」
「もし、貴方がこの状況から逃げると言ったら……フフッ、きっと貴方を痛め付けてでもその言葉を引き出していたかもしれませんが、貴方が最後の最後、人間で良かったです」
お嬢様は俺から離れて、自分のベッドに戻っていく。
その後ろ姿はトゲだらけの綺麗な花の彼女が、今だけはただの花になり俺を応援してくれているような気がした。
枕元の小さな箱から何かを取り出して、彼女はゆっくりと戻ってくる。
そうだ、謝らないといけない。
俺は……お嬢様を裏切ったんだから。
「お嬢様」
「何? いまからさっきの答えを変えるなんてナシですよ?」
「それは変えません! ただ、俺は貴女を……」
俺の右手を彼女の両手が包む。
冷たい中に、違和感があった。
何かを……手に置いた?
「どうぞ、貴方の妹さんを守る為に使って下さい」
お嬢様がそう言って、手を包むのを止めた。
そこには小さな白色の錠剤が置かれていて……意味が分からない。
これは何だ?
これで、どうやって妹を守るって……。
「お父様に用意してもらいましたが、とても困らせてしまいました……誰の子供なんだ、その男を殺してやると怒っていたので誤解だと説得するのに時間がかかってしまいました」
彼女の満面の笑み。
満月のように綺麗なその笑顔とは真逆に、瞳はまったくもって笑っていない。
さっきまでの彼女は既に消え、ここにはいつものお嬢様がいる。
そしてそんな彼女が話す言葉の意味が理解できずにいた。
説得……お嬢様のお父様を……それとコレに何が……。
「そのまま飲ませるのは……難しいですよね、砕いて……でもそれだと効果が薄まったりするかもしれませんし……」
少しづつ、コレの正体の輪郭が見えてきた。
白くて小さいはずなのに、とても軽く吹けば飛ぶような物のはずなのに、輪郭を捉えた途端に全てが真逆になっていく。
凄まじい重さと、小さくても大きな存在感を放っているように感じて、さっきまでかいていなかった汗が全身から吹き出しているような気がしてくる。
「お嬢様……何を……言ってるんですか? こんなの使わなくても妹を守る事は……」
「すごい汗……窓開けますね」
生暖かな風が部屋に入ってくる。
お嬢様は髪を抑えながら、空に浮かぶ星を眺めながら続けた。
「法や道徳、社会の全てを敵に回して産まれる子供なんて、幸せにはなれませんし、そんな子供を産んだ妹さんが幸せになる道なんてあるはずがありません」
夜空に浮かぶ星を掴もうと、手を伸ばす彼女はどこか幼くて、それでいて空を握る手はあまりにも力強かった。
「貴方は私の所有物、そんな不幸に巻き込まれるなんて許しません」
握った手が開かれて、風と共にお嬢様がくるりと俺を見た。
「貴方は妹さんをそんな不幸から、ううん、貴方達兄妹が不幸にならないように妹さんを守ると決めたのです、きっとつらい決断でしたよね」
手が震える。
薬を持っていられない。
コレは……コレは……!
「私の所有物として、兄として、そして自分の罪を無かった事にする為、全てにおいて満点の回答でしたよ、ゆうま君」
違う。
俺はそんな意味で言ったんじゃない。
それをすれば、妹は本当に壊れてしまう。
彼女の人生からこれ以上奪うなんて、出来る訳がない!
「ヒィッ!」
この状況で笑顔を見せるお嬢様が怖くて、俺は倒れてしまった。
立ち上がろうとしても足に力が入らず、せめてもの抵抗として薬をその場に投げ捨てた。
怖い、お嬢様が怖い。
この人とさっきまで妹を守る話をしていたはずなのに、彼女にとっての"守る"は、"妹に中絶させて罪から自分を守る"と言う意味にしか捉えられていなかったこの現実が信じられない。
「あ、落としましたよ、まったく……仕方ない人ですね」
お嬢様が薬を拾って、もう一度俺に持たせようとしてくる。
嫌だ、それはしたくない。
義父よりも酷い事をしたくない!
罪から逃げたい訳じゃないんだ、ただそれを受け入れようとしただけなんだ。
「……まさか、この期に及んで堕胎させるのが怖くなりましたか? さっきの決意はどうしたのですか?」
「堕胎させるなんて……俺は望んでません」
「よく聞いて下さい、ゆうま」
動けない俺を、彼女は抱き締めた。
とても力強く、逃げられないように抑えられている。
逃げようにも、体は動かない、動いてくれない。
「堕胎させる事は辛いと思います、妹さんは悲しみ苦しむかもしれませんが、周囲から責められて暮らす未来避ける事が出来る唯一の方法なんです」
「それじゃ……俺は……妹を傷付ける事になります」
「それでも、もはやこれは貴方や妹さんだけの話じゃありませんよね? 産まれた時から罪人の子供として、忌み嫌われる世の中に産み落とされる子供が可哀想だと思いませんか?」
「それは……」
何か言い返さないといけないのに、言葉が見当たらない。
妹が世間から責められる未来も、子供がまともな生活ができない未来も、どちらもはっきりと見えてしまうせいで言い返す言葉が何も出てこない。
「さっきも言いましたが、これは貴方が救われる唯一の方法であり、妹さんを守る唯一の方法でもあり、まだ見ぬ子供を地獄に産み落とさない為の唯一の方法なのですよ」
…………。
「ゆうま、貴方一人で妹さんと子供の二人を今以上の不幸にするつもりですか?」
今以上の……不幸に……。
ダメだ、それはダメなんだ。
守るって決めたのに、そんな不幸にしちゃダメだ。
でも、これでいいんだろうか。
これで……。
「それで……救われるんですか? 本当に、これでいいんですか!?」
俺の心からの叫びに、お嬢様は一段と強く抱き締めて答えてくれる。
「貴方の所有者、この神目あてらが保証します」
そして、言葉も俺の望む答えを出してくれた。
もう一度渡されたコレが、悪魔のように見えたこの白色の小さな物が俺や妹を救う物だと、彼女がそれを保証した。
「さあ、これをしっかりと持っていって下さい、そしてこれを溶けやすいように……口移しで飲ませてあげて下さい」
どんな方法でもいい。
俺は、妹を守るんだ。
一度獣に堕ちて、人である事を捨てた俺でも、まだ妹を守る事ができるのなら。
その為に、一度妹を傷付ける事になったとしても。
「妹を救う英雄になって帰ってきて下さいね、私のゆうま君!」
もはや、お嬢様への恐怖は不思議と消えていた。
あるのはただ、妹を守るという想いだけ。
「必ず、守ります」
これ以上の不幸から、妹を守るんだ。




