助けて
藤川さんは俺の話を聞いてくれた。
ただ、視線は手元のスマホや大きな窓から空を見ていたりと、途中で一度も目をあわせてくれなかったけれど、全ての事情を聞いてくれた。
そして全てを話し終えた後、彼女は「そっか、よく話してくれたな」と言いながら立ち上がって、ゆっくりと俺に近づきギプスをしていない手で俺の頬を叩いた。
「お前のせいで……ッ!」
「……え?」
普段のような、冗談半分な行動じゃない。
目の前の彼女は、イケメンを通り越して人を殺しそうな視線を俺に浴びせている。
それにさっき聞こえた独り言も……なんだ?
こんな目をしながら殴られた事なんて一度もなかった。
その混乱で、俺は動けず、それでいて言葉が出ない。
「お前のやった事は、はっきり言って異常だ」
分かってた。
この反応は分かっていた。
理解は絶対にされないし、辛かったなと肯定されるような事でもない。
だけど、不思議と自分の心が軽くなったのを実感している。
誰かに罰せられる事、罪の告白をする事で押し潰されそうなソレから解放されていくような気さえしてくる。
「……すいません」
「すいませんじゃ……ハァ、とにかく事情は分かった、理解はできねぇけど把握はした」
藤川さんはため息をついて、再びベッドに腰かける。
俺の罪の告白を聞いて、彼女はどうすべきか悩んでいるのか、頭を掻いたり、天井を見たりした後で俺を見ながら口を開いた。
「アタシの旦那さ、お嬢様の会社で働いてんのは知ってるよな?」
「藤川さんの旦那さんですか? 知ってはいますけど……えっと」
あの身長が高くてカッコいい旦那さんだよな。
確かあの人はお嬢様の会社の……商社だっけか?
とにかくグループの会社で働いている事は知っているけれど……。
「そこでさ、今リストラの話が上がってるらしくて、うちの旦那ポンコツだからヤバいんだってさ」
「あの……さっきから何を……いえ気持ちは分かりますけど」
「お前に……お前みたいなガキにわかってたまるか!」
藤川さんは怒っていた。
だけど、それと同時に……怯えている。
本物の社会を知らない俺の返事が気に食わなかったから、そして……旦那さんの件で、追い詰められいるのかもしれない。
これまで彼女が旦那さんの話をする事なんて殆ど無かったが、今の彼女は俺なんかより、自分の家族の心配しかしていない。
「……っ、す、すいません」
とっさに頭を下げるが、藤川さんは止まらない。
「お前がお嬢様の気持ちを察する事が出来ないから、お嬢様に嘘をつくから……お前が、お前なんかが最初アタシに惚れるから、アタシがどんな辛い思いをしてきたか知らねぇだろ!」
人妻に惚れた事はダメな事だと分かってる。
だからこそ、すぐにそんな感情は消えていったんだ。
それは理解してる、でも、少なくとも俺は藤川さんに何か悪い事をした記憶は無い。
仕事で迷惑はかけたかもしれないけれど……ここまで言われる程の事は、絶対に無い。
「お前がミスをすればアタシが殴られて、刃物で切られて、逆らえばアタシと旦那の職が危ないこの状況で、お前の事まで見てらんねぇんだよ!」
そんな俺の脳内の予想を裏切るように、藤川さんは証拠を並べ続ける。
前に見えたあのバンドエイドの答えが、俺がミスした事で彼女が罰せられていたという最悪な答え合わせによって繋がっていく。
「そんな事を……お嬢様が!?」
「本当に一回もおかしいと思わなかったのか? アタシが料理で手をケガするなんてまずあり得ないし、あったとしても切り傷なんて一つだと思わねぇの? なのに……見ろ!」
長袖以外の、メイド服以外の彼女に会う機会はあまり無かった。
執事服で男装してもらった時も長袖だったし、彼女の腕を見る機会は確かに無かった。
袖をまくった彼女の腕には、無数の切り傷がとても生々しく、中には白く膿んでいる場所さえあった。
「アタシの不安は的中した、料理すらマトモに作れなくなったお前のせいで……アタシは……この子すら失いかけたんだぞ!?」
彼女は自由に動く片腕で大切そうに、鋭く睨みながらお腹を守るように手を当てている。
その先には小さな命があり、それは藤川さんにとっては分身のような存在であり、愛する旦那さんの分身でもあり、新しい未来と愛の結晶だ。
それを何としてでも守ろうとする強い母のような瞳をしている。
「アタシは……必死に耐えたさ、本気でお前がかわいそうで、ひたむきに努力して成長する姿が美しいとも思っていたし、目をつけられたお前が可哀想にも思っていたから……でも、もう無理だ、ごめん」
「何を……言ってるんですか」
藤川さんがポケットから取り出したスマホの画面には、お嬢様とのメッセージが表示されていた。
心臓が止まりそうな、この世界から酸素が消えたのでは無いかと思える程の息苦しさと、苦しみに襲われる。
「もうお前をだまし続けるのは辞める、途中でお前を守るって役割を勝手に辞めてお前をお嬢様に売り続けてた事は悪かったと思ってる」
彼女が何を言っているのか分からない。
だけど、見せられているスマホには……。
『今日のゆうまのミスは四回、貴女は随分と自分を痛め付けるのが好きみたいですね』
『もう許して下さい、ちゃんと教育します、だからもう産まれてくる子供の命が危なくなるような事はしないで下さい』
『それは貴女次第でしょう?』
俺の恋人の……愛しい彼女が直接見せた事のない、言い訳のしようがなく、微かな光すら飲み込んでしまうようなどす黒い悪意が並んでいた。
上にも下にも、スクロールすればする程に彼女の悪が見えてくる。
俺がお嬢様の好物を用意しなかったとか、彼女の望む反応をしなかったとか、酷い物では必要以上に会話時間が長くなったからという理由で、藤川さんは罰を受けていたという証拠がここにある。
そして一番下のメッセージ。
最近のメッセージには。
『ゆうまは何かを隠しています』
『それを探せって事ですか?』
『言わないと分かりませんか? 私は今も貴女が新しい家族に会える事を祈っていますよ』
「俺が何かを隠している……って、それは……つまり」
藤川さんはスマホを見せるのを止め、片手でメッセージを打ち込んでいく。
それは俺が止められないぐらい早いような……もしかしたら強烈な悪意にさらされて動けないだけなのかは分からない。
だけど、彼女を止める事が出来なかった。
嘘だ、藤川さんが俺を裏切る訳がない。
この現実を受け入れないと、これは悪い夢か冗談に決まっていると微かな期待を抱き、現実を避けようとする瞳をむりやり彼女にむけた。
そこには。
『ゆうまは妹を抱いたみたいです』
端的かつ明確に、それでいてお嬢様には隠しておきたかった正確な事実が送信されている画面があった。
明るいはずの病室なのに、真っ暗に感じてしまう。
ここには、心から信頼していた藤川さんがいるのに、俺は彼女から感じていた暖かさや光が急速に消えていくような気さえしてくる。
「お嬢様に……何で、秘密って約束したじゃないですか!」
「お前の抱える秘密を暴かねぇと、アタシも旦那も職を失うんだぞ!? なぁ、アタシはこれまでお前の為に頑張ってきたじゃねぇか、頑張って耐えて、お前を教育して、お嬢様を裏切るなって教えたつもりだった、やれる事はやったんだ……」
目の前の彼女は笑っていた。
いつもの笑顔が、まるで作られた物だったといわんばかりに、この状況で見慣れた笑顔を見せている。
嫌だ、そんな笑顔を見せないで下さい。
貴女に捨てられたら……俺は、俺は本当に……。
「今度はお前が、アタシを助けてくれるよな」
静かな病室に、バイブ音が響く。
その残酷な音は俺のポケットから響いていて。
画面には、お嬢様からのメッセージが映っていた。
「あはは……」
乾いた笑いが、病室に響いた。




