6,〈屍者の国〉の秘密
慣れた手つきで部屋を横切っていくイアンは、ランプに次々と火をつけていく。しだいに部屋の様相が明らかになっていくと、そこは手術室というよりは工房といった一室だった。
壁をぐるりと囲むように棚が取り付けられており、中には工具が詰まっている。床には棚におさまりきらなかった工具のほかにばらばらになった人形の四肢や義手、義足が散らばっている。
そして中央には木製の寝台。そのうえには
「これは・・・死体、ですか」
レイノーラはおそるおそる近づいた。強い冷気でごまかされていた腐臭が強くなり、レイノーラは思わず鼻を覆った。
「ダンジョン第2層で命を落とした冒険者です」
寝台の上の遺体は女性だった。第2層と言えば初級者が挑む低層階である。この遺体も初心者らしい安物の銅プレート装備をまとっている。痩せた身体、ダンジョンの空気でくすみきった金髪に幼げな顔立ち、静かに目を閉じている姿は今にも起きだしそうだった。
「彼女は第2層に生息するポイズンボアの毒にやられて命を落としました」イアンは淡々と言った。「対処方法さえわきまえていれば恐れるに足りないモンスターですが、彼女には指南役となるべき先輩冒険者との伝手がなかったようです」
イアンはいとおしげに遺体の髪をなでる。「あるいは、そのあたりが彼女の無念が関係しているのかもしれません。わたしが発見したとき、彼女は誰も通らないような袋小路の最奥で息絶えていました。あと少し回収が遅れていれば、誰にも気づかれぬままダンジョンの餌食になっていたでしょう」
イアンはその後も滔々と遺体発見時のエピソードを述べたてたが、レイノーラの耳には入っていなかった。
レイノーラの意識は現実感を失っていった。地に足をつけている感覚が薄れ、遺体を見つめる目がかすんでいく。
「あ、あの」レイノーラは口をはさんだ。
「おっとごめんなさい」イアンは苦笑した。「こんなことをお話するためにボナパルト氏をご案内したわけではないのです」
イアンはそそくさと工具を準備しはじめた。鋭利なはさみ、かぎ針のようなもの、その他雑多な道具を手元にそろえ、遺体に細長いチューブのようなものを各部位につなげていく。
「イアン様、何をなさろうとしているのですか」
「ボナパルト氏、あなたは〈ギルド〉の使者として〈屍者の国〉にやってこられたのですよね」
イアンはレイノーラの問いを無視した。
「は、はあ。そのとおりです」
「あなたは言いましたね。ぼくらの名前から〈屍者〉の存在には感づいていたと」
「ええ」
「では」
イアンは一言一言を区切るように言う。
「〈屍者〉のすべてを見る覚悟はおありですか」
レイノーラは言葉に詰まった。イアンは構わず続ける。
「ぼくら〈屍者の国〉は一切を隠し立てるつもりはありません。ぼくらの心に何一つとして後ろ暗いものはなく、たとえ〈ギルド〉と真正面から対抗することになったとしても、ぼくらの絆は固く結ばれています。たとえ血が通っていなくても」
イアンはそこで一息つくと、道具を使って遺体の皮膚を裁縫でもするかのように裁断しはじめた。
「ぼくはエンバーマーの家に生まれました。生まれながらに死体の専門家になることを義務付けられたぼくが、最初に祖父から学んだことは人体の構造です。骨を骨に、肉を肉に、皮膚を皮膚に仕分けることができなければ、エンバーマーは務まりません」
話しているあいだもイアンは片時も手を止めることはない。なめらかな手つきで遺体を分解していく。戸棚から小瓶をいくつか取り出す。
「父はわたしが生まれてまもなく死にました。ダンジョンで冒険者の遺体を回収する際の事故だと聞いています。だから、ぼくはエンバーマーのすべてを祖父から学びました。いかに効率よく遺体を回収するか、損傷の度合いに応じた保全方法、死に化粧の施し方、埋葬の作法にいたるまで、すべてをたたきこまれました」
「・・・」
「祖父は自分の仕事に誇りを持っていました。だが、ぼくにはその感覚が分からなかった。なぜならエンバーマーとは人々から忌み嫌われる日陰者だったから。冒険者の誰もが死ねば祖父の世話になるのに、冒険者も〈ギルド〉も祖父を顧みることをしなかった」
イアンは小瓶から絹布のようなものを取り出す。
「それはいったい」
「人工の皮膚です。これも祖父の業績の一つです。遺体を生前の状態に近づけるために、祖父はあらゆる研究をしていました。ぼくは祖父の仕事を手伝ううちに、そうした祖父の研究にもかかわるようになりました」
イアンは、遺体の傷んだ部分に継ぎをするように人口の皮膚をはりつけ、かぎ針のようなもので縫い付けていく。なめらかでいて繊細な手つきだった。
「祖父とぼくの研究は、遺体の処理から人体の解剖にいたるまで、人間の根源的な姿を徹底して突き詰めていきました。ボナパルト氏は人間の脳を生で見たことはありますか」
「い、いえ・・・」
レイノーラは吐き気をおさえるのに必死だった。それを知ってか知らずか、イアンは淡々と作業をしながら言葉をつむいでいく。
「ぼくらの研究は最終的に一つの命題にたどりつきました。それは〈人間を人間たらしめるものはなにか〉ということです。ぼくらはその答えとして〈魂〉を得ました」
「魂・・・」
「そう、魂です。人体の構造を調べれば調べるほど、ぼくらが機械的な存在であることを痛感させられました。ぼくらの身体は、馬車の車輪がまわるように動くべくして動いているだけなのです」
「・・・」
「では、何が人間を人間たらしめているのか。ぼくが祖父を想うこの心は、死者を悼むこの気持ちは、いったい何なのか」
それが魂です、とイアンは言う。「ぼくらは、人体を研究する段階で、魂の存在を確信しました。そして、その在り処を探しました」
「魂の在り処、ですか」
レイノーラは半信半疑で聞いていた。なるべく遺体から目をそらそうとして、イアンの話に集中していった。
「魂の在り処として、脳、あるいは心臓が古来から言われています。しかし、ぼくと祖父はこの仮説をすぐに否定しました」
「な、なぜです」
「見ればわかりますよ。心臓は筋肉のベルト、脳は灰色の細胞の集合体にすぎません」
冒険者の少女の遺体は、みるみる美しくなっていく。ぬいぐるみのように、ダンジョンで負ったであろう傷に人工皮膚のパッチがあてられていく。
「しかし、ぼくと祖父がいくら遺体を探しても、魂の在り処は見つかりませんでした。エンバーマーという仕事は、魂を探すうえではこれ以上ない職業でした」
「・・・」
「しだいに祖父は魂の探求にのめりこんでいきました。墓地にある研究室にこもるようになり、かわりにぼくがエンバーマーとしての仕事を担うようになりました。ダンジョンに潜入して遺体を回収し、処理をして埋葬する。毎日毎日この繰り返し」
「・・・」
「その繰り返しのなかで、ぼくは冒険者の最期の声を聴きました。何度も、何度も。彼らが口をそろえて言うのです。「死にたくない」「まだやり残したことがある」。そうしてモンスターの毒や傷の痛みに苦しんでいるのです。そういうとき、ぼくはひと思いにとどめを刺すことにしていました。最も確実なのは喉元を一突きすることですが、さすがのぼくでもそれはためらわれたので、心臓を・・・」
イアンは遺体の処理を終え、少女の姿勢や髪を整えてやった。
「しかし、冒険者の心臓を一息に突くとき、ぼくは違和感を感じていました。ただの筋肉であるはずの心臓、その感覚はよく知っていますが、なにか異物が混じるような、そんな感覚が伝わってくるんです」
「そ、それは・・・?」
レイノーラは血の気が引いていくのを感じた。思わず壁に手をついた。
「ぼくは仮説を立てました。魂が心臓に宿る、という古来の説は間違っていなかったのだと。ではなぜ祖父は見つけられなかったのか。魂は、死ぬとその形を失うのです。しかし、生への強い未練が少しのあいだ魂の形をつなぎとめるのだと」
「エンバーマーが遺体処理をするころには、それも霧消してしまっていた、と」
「そのとおりです」イアンはうなずいた。「ぼくはこの仮説を祖父に伝えようとしました。祖父はぼく以上に魂に執着していました。ぼくの何倍もの時間を死者と向き合っていた祖父は、人間に取りつかれているようでした。ですが」
祖父は死にました
イアンはそう言って道具を置いた。
「祖父は死にました。ぼくがダンジョンで遺体を回収しているあいだに、たった一人、研究室で。そしてそれは、ぼくが孤独になったことを意味していました」
イアンは遺体につながれていくチューブの先、子どもほどの大きさもある木箱に取りついた。イアンは何やら熱心に操作をしている。
「孤独は覚悟していたつもりでした。それはエンバーマーの宿命とも呼べるものでしたから」とイアンは言う。「だが、その恐怖は想像以上のものでした。わかりますか?この世の誰も自分と取り合ってくれない寂しさが。夜に一人で遺体に向き合っているとき、自分の死体がひとり朽ち果てる様が脳裏をよぎる恐怖が」
「・・・」
「だからぼくは、祖父をよみがえらせることにしたのです」
「ぼくの魂の理論は仮説段階でした。しかし、冒険者の遺体を処理するなかで魂の感覚はすでに知っていました。問題は、死とともに消えていくそれを固定する方法でした」
そのときイアンはじっとレイノーラを見つめた。
いや、ちがう。
イアンが見ていたのはレイノーラではない。
レイノーラの後ろにたたずむ男。
「ま、まさか・・・」
レイノーラは思い出した。〈屍者の国〉の〈屍者〉たち。生者と同じような感情の機微をそなえた冒険者たち。
だが、この男だけはちがった。命令に忠実すぎるほど忠実な存在。イアンが細かく命令しなければ護衛の役にすらたたない機械。
まるでできそこないのような、不完全な、試作品・・・
「まさかあなたは・・・」
「あなたは?」
とイアンはあえて続きを待った。
「あなたは、自分の祖父の遺体で実験を行ったのですか!」
しばらくの間があった。
木箱からはうなるような音が聞こえる。
「そんなつもりはありませんでしたよ」
イアンは小さな声で言った。「ぼくはただ祖父によみがえってほしかっただけだ。ぼくを一人にしないでほしかっただけだ」
「ではなぜ、この男はこんなにも不気味なのですか!」
レイノーラは執事の男を指さした。
「ぼくの魂の理論は不十分だったということです」イアンは言った。「魂の固定化は、そこまで難しいことではありませんでした。ぼくには人体の知識がありました。ぼくと祖父にかかれば、死者の顔を生者よりも生者らしくすることもたやすい。魂も人体の一部であるならば、ぼくに扱えないはずはなかった」
カギとなるのはこれです、とイアンは木箱に手をおいた。そして何やら操作を行うと、木箱はせきをきったようにひときわ大きなうなりを上げ始めた。
「祖父の魂が霧消していなかったのは幸いだった。ぼくは祖父の心臓にこの管をつないで魂を固定した。いや、固定したつもりだった。実際には、魂は心臓に宿ると言う説は誤りだったのです!」
木箱につながれたチューブのなかを何かが駆け抜けていく。それが少女の亡骸に到達したとき、その身体がけいれんしたようにはねた。
このときになってようやく、レイノーラの重い頭は目の前で起こっている事態の恐ろしさに気付いた。
今、自分が何を目にしているのか。
「すべてを見るんです、レイノーラ・ボナパルト」
イアンが叫んだ。レイノーラははりつけになったように動くことができなかった。
「魂は心臓にある、それは間違いだった。正確には、魂の一部が心臓にあるに過ぎないのです。人間の魂は、人体を戸棚のように見立てて分散して収納されているのです。もしぼくが祖父の完全な復活を望むなら、それら魂のかけらすべてを丁寧に拾い集めて固定しなくてはならなかったのです」
少女のからだがまた大きくはねた。人体構造上、ありえないような動きだった。
「この、この少女は大丈夫なのですかっ」
「だが、もう遅い。祖父はこうして不完全な形で復活してしまった。もう魂のかけらは霧消してしまった。今そこにいるのは、祖父だった何かです。命令どおりに動く機械です」
そしてわたしは孤独になったのです、とイアンは続ける。
「その時です。ぼくの脳裏に〈屍者の国〉の構想が浮かんだのは。すでに魂の在り処はわかっていた。その固定の方法も。実験を繰り返せば、きっと蘇生の精度は上がっていくはずだ。ぼくならできる。ぼくは世界で一番死者に近い存在、エンバーマーだから」
「あ、あなたは・・・」
「ぼくは確信した。これこそがぼくが生まれてきた理由、天命なのだと。ぼくのように陽のあたる世界から虐げられる存在、無念のうちに死にゆく者たちをつなぎとめ、彼らの理想郷を作るのだと!」
少女の身体が小刻みにけいれんしている。死体のくせにまるで生きているようだった。徐々に木箱の振動音が小さくなっていく。
「やがてぼくは、自律した思考を持った〈屍者〉を生み出すことに成功した。あなたがあの部屋で見た冒険者たちがそうです」
「・・・」
「ぼくはついに家族を手に入れた。でも、まだ完全じゃない」
ついに木箱が完全に動きを止めた。
そして恐るべきことが起きた。
物言わぬ骸、死者だったはずの少女の上半身がゆっくりと起き上がった。肩肘をついて、凝り固まった体に苦戦するようにぎこちなく。
「おはようメイベル。気分はどうかな」
イアンは優しい微笑みを浮かべた。恐怖で足がすくんでいたレイノーラの心すら癒すような慈愛に満ちた表情だった。
ああ、この少年はこれほどに〈屍者〉を愛している。
レイノーラは感動すら覚えた。口元から感嘆の吐息がもれる。
「あなたは言いましたね。ぼくの目的はなんなのか、と」
イアンが問いかけた。
「は、え、ええ・・・」
「わたしの目的は二つです」
イアンは決然とした表情をレイノーラに向けた。
「一つ、ぼくは〈屍者〉の技術を完全なものにします。今の技術もまだ不完全なのです。ぼくはぼくの家族を、祖父を完全な存在に昇華させます」
「ふ、不完全・・・」
イアンはその詳細に言及しなかった。
「二つ、ぼくは彼らのような黄昏者が堂々と陽の下で暮らせる安住の地、〈屍者の国〉を止揚するでしょう」
規定事項だ、とでも言いたげな物言いにレイノーラは焦った。
「そ、それは〈ギルド〉の反発を招きます。〈ギルド〉は徹底してあなたがたをつぶしにかかるでしょう。ダンジョンは〈ギルド〉の生命線です。それを占領したあなたをアイゼンハルト総帥が看過するはずがない」
「ならば戦います」
イアンは断固とした調子で言った。「それは強欲というものでしょう」
「強欲・・・?」
「すでに居場所を得ている人間がそれ以上を求めることが強欲でなくて何なのですか。この世界は〈ギルド〉の所有物ではない。ぼくらは、ぼくらの居場所を手にいれる」
「戦争になりますよ・・・」
「勝てるものならどうぞ」
イアンは少女の遺体を、いや少女の身体を抱き上げた。
「今日のところはお引き取りを。ぼくはこれから、仲間にこの娘を紹介しなくてはいけませんから」
イアンは微笑してドアの方角をうながした。
レイノーラは背中を気持ちの悪い汗が伝うのを感じた。
これが〈屍者の国〉
これが〈屍者〉を統べる王
しかしレイノーラには、ここが地獄なのか天国なのか判断することはできなかった。