5、霊安室
「エルドレッド!なぜ賛成したのですか」
マイアが叫んだ。イアンとレイノーラが木戸の奥に消えた一室。
「落ち着けマイア」
とダントン。
「ですがダントン。イアン様に何かあればどうするのです。彼がいなければ〈屍者の国〉もわれわれもおしまいなのですよ」
「マイアの言う通りです」とエマがうなずいた。「彼だけなのですよ、わたしたちを〈屍者〉としてよみがえらせることができるのは」
「イアン様が御自らご決断なされたことだ」
ダントンはにべもなくはねつけた。「エルドレッドもイアン様の意志を尊重して賛成にまわったのだろう」
「おれが?ぬかせよ」
エルドレッドは吐き捨てるように言った。「おれはお前らと違ってあいつを盲信しちゃいねえ。あいつが何をしようがおれの知ったことか」
「兄さんまたそんなこと言って」
隣席のエリーゼがたしなめた。「わたしも兄さんも、イアン様のおかげで生き永らえているのよ」
「生きてるって言えるのかよ、この状態が」
「エルドレッド!きさま!」
マイアが盾をかまえた。
「やるってのか、新参者の分際で」
エルドレッドも柄に手をかけた。
「やめて兄さん。おいたが過ぎるようだとげんこつですよ」
エリーゼは僧衣にかくした左腕をかかげた。着ぐるみからもぎとったようなふわふわの腕が露出した。
エルドレッドとマイアの顔が青ざめる。
「やめなさいエリーゼ」ダントンが細い目を開いた。「マイアとエルドレッドも。イアン様の前でのふるまいといい、少し目に余るぞ」
三人はしおしおとして武器をおさめた。ダントンは続ける。
「イアン様をめぐってわれわれが対立するようなことは、イアン様の望むところではあるまい。〈屍者の国〉の臣民たるわれわれは、静かに彼のご帰還を待てばよかろう」
「ご無事だといいのですけど」
エマの艶やかな唇からため息が漏れる。
「へっ。あいつに限って何かあるわけねえだろうが」
懲りないエルドレッドだった。いや、武器を床に置いているだけましかもしれない。
「口ぶりはともかくエルドレッドの言う通りだな」とダントン。「イアン様であればどのような敵であれ問題はなかろう。もっとも、あのレイノーラという使者に敵意があるとは思えないが」
「それもそうですね」とエリーゼ。「そもそもイアン様を手にかけられるような相手であれば、わたしたちが何人いたところで何の足しにもなりませんから」
エリーゼの言葉に一同ため息をついた。
ところかわって、古びた木戸の奥。
イアンにつれられてレイノーラが足を踏み入れたそこは、ダンジョン第9層の続きのようだった。
見慣れた洞窟が続いている。獣の匂いのまじる据えた空気にランタンの灯りがおぼろげに揺れている。
「つまり〈屍者〉というのは魔法の類でもモンスターの一種でもないということですか」
前を歩くイアンにレイノーラは問いかけた。うしろには執事の男が足音もなくぴたりとついている。
「そのとおりです。〈屍者〉は純粋な技術の産物です」
「そんな重要な事実をわたしに伝えても構わないのですか」
「問題ないのです。むしろ問題ないことが問題なわけですが」
とイアンは苦笑した。
「と、いいますと」
「屍者化は誰にでもできるものではない、ということです」
陽は西に沈む、とでも言うようにさらりとイアンは言ってのけた。
「〈屍者〉の技術を扱えるのはぼくだけです。あの場にいた〈屍者〉もみんなぼくが直接手を差し伸べ〈屍者の国〉に迎えたんです」
「〈屍者〉は量産できない、ということですか」
だとすれば〈ギルド〉にとっては朗報かもしれない。
「その言葉遣いは少し引っかかりますが、まあそのとおりです」イアンは答えた。「もっとも、可能だったとしても量産なんてするつもりはありませんが」
「なぜです」
もし〈屍者〉の量産化が可能になれば、死んでも死なない半永久機関のような兵力供給システムが完成するはずだ。
「ぼくは〈屍者〉を、いえ人間を愛しているからです。彼らをモノのように扱うつもりはありません」
イアンはきっぱりと言った。好き勝手に死体をよみがえらせている〈屍者の国〉の王にしては冗談のようなセリフだったが、本人は真剣だった。
「人間を愛しているのなら、なぜ遠征部隊を皆殺しにしたのです。それだけの実力があるなら、適度に痛めつけて撤退させることもできたのではないですか」
自分本位を承知でレイノーラは問うてみた。
「ぼくらには果たすべき天命があります。そのためには犠牲も必要でしょう」
とイアンは答えた。
「あの部屋でも同じことをおっしゃいましたね。その天命とはなんです。〈屍者の国〉の目指す場所は」
するとイアンは足を止めて振り返った。レイノーラを真正面から見据える。そして言う。
「黄昏者の安住の地。それが〈屍者の国〉の理念です」
安住の地。
レイノーラは心の中で静かに反芻して、イアンの言葉の続きを待った。
「この世には虐げられることでしか生きていけない者が数えきれないほどいます。誰からも愛されず、見向きもされず、無念のうちに死んでいく者たちが。そんな彼らが安らぎを得られる理想郷。それが〈屍者の国〉です」
虐げられた者たち。
黄昏者。
「それは」
それはあなたのことですか、とレイノーラが言いかけた瞬間だった。
ずっと続いているように見えた岩壁の一部がぐにゃりとゆがんだかと思うと、岩それ自体が溶けるように地面に垂れ落ちた。岩だった液体は重力に逆らうように天井に向かって伸びていくと何かを形成し始めた。
それはゾンビだった。
それも複数。力なく引きずる四肢、だらりと開いた口と焦点の合わない目。それでいてそれらは、間違いなくレイノーラたちを目指していた。
レイノーラは恐怖で足がすくんだ。
ダンジョンが生きている、という事実をテキストとして知ってはいたが、こうしてダンジョンがモンスターを生成するのを見るのは初めてだった。
ダンジョンは冒険者の遺体を喰らって成長するという。
目の前のゾンビたちも、もしかしたら元は・・・
「っ・・・」
レイノーラの眼前で何かがひらめいた。
前を歩いていたはずのイアンが、目で追えないほどの速さで次々にゾンビたちをたたき伏せていった。
武器も使わずに素手で一撃。
相手はダンジョン最下層、第9層のモンスターである。
「あなたは・・・」
「失礼。おじいさんへの指示が不十分でした」
袖で手をぬぐいながらイアンは言った。「おじいさん、ぼくらを襲うモンスターを排除して」
執事は四十五度の黙礼でこたえた。
「ダンジョン第9層の特徴として、先のようなアンデッド種が多く出現します。あなたにお見せできてちょうどよかった」
「ちょうどよい?」
「これからお見せする〈屍者〉との違いがよくわかる。われわれが目指す〈屍者の国〉はあのような低俗なゾンビの魔窟ではありませんから」
そう言ったイアンの前に鋼鉄製の重厚な扉が現れた。目線の高さにさげられたプレートには「霊安室」と記されている。
「このさきに、また別の〈屍者〉がいると?」
「半分は正解です」
イアンは扉を押し開いた。鳥肌が立つような冷気が白い息を吐きながら押し寄せてきた。レイノーラは思わず上着の前を合わせた。