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19、エリーゼの不安

 エリーゼが自室に戻ると、カーテンがぱたぱたとはためていていた。

 窓際の小さな椅子に、一人の少年が腰かけている。

 イアンだった。

 エリーゼは驚きのあまり発しそうになった声をすんでのところでとどめた。

「い、イアン様・・・驚かさないでください」

「ごめんね」

 イアンは肩をすくめた。

 エリーゼは辺りを警戒しながら扉にカギをかけてイアンの向かいのベッドに腰かけた。近くでイアンを見ると、服のいたるところが汚れており、特に指先は凝固した血や泥がこびりついている。

 地下安置室で死体処理に励んでいたのだろう、と思いつつ、エリーゼは言う。

「イアン様、どうしてこちらに。というか、なぜ窓から・・・」

「見張りがついていたから、正面から訪れるわけにはいかなかったんだ」

「よく見張りを撒けましたね」

 教育理事がエリーゼとエルドレッドにあんな提案をしたあたり、イアンの監視は徹底されたものだったはずだ。そうでないと、こうしてエリーゼとイアンが顔を合わせてしまえば暗殺計画が露見する恐れがある。

 事実、昨日はイアンはちらりとも姿を見せなかった。

「見張りなんて形だけだよ」とイアンは言った。「死体のある部屋にすき好んで入りたいなんて、生身の人間ではそうそういないから。扉の外でうたたねしているのをやり過ごすなんて、子どものかくれんぼのほうが難しいくらいだよ」

「そ、そうですか・・・」

 エリーゼはすでに〈屍者〉の身だから、死体への恐怖心はとうに忘れてしまった。しかし、冒険者として生きていた時代には、ダンジョンで見つけた死体には近寄らなかった気がする。

 そういえば、レイノーラというあの男は、緊張はしていたがおびえてはいなかったな、とエリーゼは思った。

「ですが、児戯とはいえ見張りを撒いてまでわたしの部屋へいらっしゃったのはどうしてですか」

「きみたちの様子が気になって」

 イアンの言葉には含みがあった。

 もちろんエリーゼには心当たりがあったが、まずはジャブとして別の話題を振ってみた。

「お気持ちはありがたいですが、死体処理のほうは大丈夫なのですか」

「大多数の方はきれいになったよ。まだ2,3人、化粧が済んでいない方がいるけれど、そう時間はかからないと思う」

 イアンはどこの誰の死体であれ、決して粗末に扱うことはない。たとえ対立する組織の人間であったとしても。エンバーマーとしての職業精神が口ぶりにあらわれていた。

 その姿勢を好ましく思いつつ、エリーゼはさきほどの教育理事の態度との差を考えた。そして、あの場でのやりとりをどう説明したものかと頭を悩ませた。

 おそらく顔に出ていたのだろう。イアンは、

「何かあったようだね」

 と話題を差し向けてきた。

「イアン様は、どこまでご存じなのですか」

「まだ何も」

 そう言いつつ、イアンは大方のことは予想しているのだろう。

 エリーゼはさきほどの教育理事とのやり取りをかいつまんで伝えた。

「ふうん・・・教育理事は離反工作というわけか」

 話を聞き終えたイアンは、大して気にもとめていない様子だった。

「気になるのは兄のことです」エリーゼは言った。「兄はわたしに先んじて裏切りの勧誘を受けていたようです」

 あの陰鬱な〈ギルド〉の男。エルドレッドがあの男とどんな会話を繰り広げたのかは知らないが・・・

「それなのに、わたしには一言も相談がなくて・・・」

「妹の立場としては気になる?」

「そんなんじゃありません」と、エリーゼ。「ただ・・・そう、不穏なんです。兄に限ってないとは思いますが、まさか・・・」

 すると、イアンはきっぱりと言った。

「それはないよ。不可能だ」

 それはさっきエリーゼが言ったことと同じだった。しかし、〈屍者〉の王たるイアンが言うと説得力がちがった。

「そう、でしょうか」

「そうだよ。それが〈屍者〉の宿命なんだから」

 イアンがそう言うとき、彼の顔が少しだけ曇った。「ともかく、エリーゼが心配することはないよ。エルドレッドはきっとうまくやる」

「わかりました・・・」

「?ほかに気になることでもあるのかい?」

「い、いえ・・・」

 エリーゼは慌てて手を振った。

 エリーゼの脳裏には、いつぞやエルドレッドと交わした意味深な問答を思い出していた。

 あのとき、エルドレッドは「〈屍者〉になって後悔しているか」と訊いた。エリーゼには、そういう質問をすること自体に違和感があった。

 貴族としての位なんて、エリーゼに未練があるはずがなかった。そんなことはエルドレッドにだってわかっているはずなのに・・・

「わたしたち二人で背負うって決めたはずなのに・・・」

 エリーゼは心の内でつぶやくと、窓の外を見やった。

 今頃エルドレッドは何をしているのだろう。

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