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16、エルドレッドとエリーゼの過去

 ダンジョン第7層最下部。

 エルドレッドの眼前には血にまみれたエリーゼの姿があった。

 少し離れたところに、無残にちぎり取られた右腕がある。その腕は、今も錫杖を握り締めている。

「エリーゼ・・・」

 かすかな声を発すると、エルドレッドの口内に錆びた鉄の味が広がった。

 身体中から力が抜けていく。腹から生暖かい血の感覚。血が流れすぎてもはや痛覚が正常に働いていない。

 ・・・いや、自分のことなどどうでもいい。

 妹が、妹が死んでしまう。

 もうずいぶん長いこと動いていない気がする。貴族の間でも評判だった髪にこびりついた血が赤黒く固まっている。右腕からはもう血が流れだしていない。

「エリーゼ・・・起きてくれ・・・」

 死なないでくれ。

 こんな薄暗いじめじめとした場所で。

 無垢で純情なおまえがこんなところで死ぬなんて、そんなのあんまりじゃないか。

 もはやこの世に希望も期待もなかったが、こんな最期はあんまりだった。

「誰か、妹を助けてくれ・・・誰か、誰か!!」

 エルドレッドの叫びがダンジョンの洞窟にこだまする。

 力を使い果たしたエルドレッドは力なく地面に顔をつける。自分の叫びの反響が遠くに響いていくのがわかった。それに交じって、遠ざかっていく仲間たちの足音が聞こえた。

 いや、仲間だった者たちの足音が。

 今にも力尽きようとしていたエルドレッドの体内に怒りの炎が湧き上がる。

 エリーゼは白魔法師、後衛職のはずだった。それなのに、なぜモンスターの直撃で致命傷を喰らったのだろう。

 エリーゼの右腕を食いちぎった狼型のモンスターの姿。

 おびえるエリーゼの顔。

 その両者のあいだにいるはずのタンク職は、離れたところに立っていた。

 そのときの、表情。

「くそお・・・」

 負傷したエリーゼと彼女をかばおうと無茶な特攻をしたエルドレッドを、仲間たちは放置した。

 まるで仕組まれているようだった。

 エルドレッドの憎しみの炎がさらに燃え上がる。

「くそ、くそ、くそ・・・」

 誰か。

 誰か。

「誰か、せめて妹を助けてくれ・・・」

 エルドレッドの脳裏を走馬灯が走り抜けた。


 エルドレッドの人生には三つの転機があった。

 エルドレッドは、代々王家の近衛兵を務める貴族、リーエルン家に生まれた。

 貴族の多くが古くから世襲されてきた歴史ある一門なのに対し、リーエルンは新興貴族の一角だった。

 武芸の達人として知られていたエルドレッドの曽祖父が戦場で武勲をあげ、先々代の王から褒章を賜ったことが始まりと言われている。

 それ以降、代々リーエルンの男たちは王族の身辺警護を担うようになり、その当主は議会の末席を獲得するに至った。

 リーエルン家の長男として生まれたエルドレッドも、幼いころから鍛錬を積み重ね、やがては次期当主として政界に進出する予定だった。

 エリーゼはエルドレッドの誕生から三年後に生まれた。とても愛らしい娘で、将来の美貌の片りんをすでに見せていた。

 エルドレッドは妹を深く愛し、深く愛された。

「兄さま、次のお休みはいつですか?」

「兄さま、わたしお裁縫を覚えたんです」

「兄さま、収穫祭の日のご予定はおありですか?」

 エルドレッドは鍛錬の合間を縫ってエリーゼを訪れ、暇を見つけてはエリーゼを連れて近くの湖畔に連れ出した。

 エリーゼが成人の儀を迎える15歳のころには、各地からこぞって求婚者が押し寄せた。家を継ぐ立場にないエリーゼは、やがて実家に利益をもたらす()()()()()によって他家に嫁いでいくだろう。

 それでも幸せであってほしいと願いながらエルドレッドは鍛錬を重ねた。彼の腕前は周囲から一目置かれるほどの実力だった。エリーゼがその美貌で周囲を虜にしたのに対し、エルドレッドは類まれな武術の才をもって周囲を圧倒した。

 兵役の条件にある20歳を過ぎたとき、エルドレッドは無事に近衛兵の仲間入りを果たした。

 兵、とついてはいるが、革命の気配のない国家にあっては近衛兵は専ら儀礼的な存在だった。重要な式典のにぎやかしが主な職務だったりした。エルドレッドがこれまで培ってきた技能を使う機会がないことだけが残念だったが、彼の人生はおおむね順調だった。

 そんな彼に不運な一つ目の転機が訪れたのは、それから約一年後のことだった。

 議会での発言力拡大をもくろむ左派と王権への忠誠を誓う右派の衝突が激化し、リーエルン家はその争いに巻き込まれた。

 というより、出遅れてしまった。

 左にも右にも身動きが取れなくなったリーエルン家は、わずか3代で築いた今の地位をたった3か月で失ってしまった。

 近衛兵の職は召し上げ、広くはないが美しい領地も取り潰し、エルドレッドに嘱望されていた議会の一席ももちろん失ってしまった。

 エルドレッドは衝撃のあまり目の前が真っ暗になったような思いだった。

 しかし、何より恐ろしかったのはエリーゼが身売り業者に引き渡される、といううわさを聞いたことだった。

 理由は借金だった。

 父は政変の波にあらがおうと方々をかけずりまわった挙句、失敗した末に多額の借金を負ったということを、エルドレッドは初めて知った。

 近衛兵の職に就いていたエルドレッドの給与や貯蓄をすべて切り崩しても、その借金を帳消しにすることはできそうになかった。

 現実的な解決策として浮かんだのが、エリーゼの身売りという名の嫁入りだった。

 エルドレッドは急いでエリーゼのもとを訪れた。

 エリーゼはすでに売りに出された邸宅の一室で一人泣いていた。

「兄さま!」

 エリーゼはエルドレッドに抱きついた。「父上が、リンドオ家との縁談をまとめたと・・・」

 リンドオ家と言えば、ここから遠く離れた港町を仕切る豪商として有名だった。

 エルドレッドはいつかの宴席で遠目に見たリンドオ家の当主の姿を思い出す。金銭欲と自己顕示欲にまみれた下卑た目をしていたが、羽振りはよさそうだった。

 たしかにリンドオ家にエリーゼが嫁げば、リーエルン家の抱える目下の財政問題はたちどころに解決するだろう。だが、エリーゼ自身は・・・

「父上から聞きました。リンドオ家の街は緑のない海の街だと」エリーゼは涙にうるませた目をエルドレッドに向けた。「わたし、生きていける気がしないのです。わたしは生まれてこのかた、この街とこの屋敷で育ちました。ここのどこに海があるというのです?」

「エリーゼ・・・」

「なにより、その街には兄さまはいらっしゃらないのでしょう?わたしに一人で生きていけと父上は仰るのでしょうか!」

「・・・」

 エルドレッドは逡巡した。

 リンドオ家に嫁いでエリーゼが幸せになる未来は、どう頭をひねっても出てこない。エリーゼは金貨や宝石に囲まれて悦に浸るような下賤な女ではなかったからだ。

 だが、ひるがえってエルドレッド自身を見ても、曽祖父の代から受け継いだ家柄のほかには武術の才能だけしか持っていなかった。

「兄さま、助けてください」

 エルドレッドの脳内に、一つ考えがあった。

 エルドレッドはエリーゼを見て言った。

「楽な道ではないぞ」

「構いません」

「後悔しないか」

「絶対に」

 エリーゼの強いまなざしを見て、エルドレッドは覚悟を固めた。


 その後のエリーゼをめぐる御家騒動は、あまりにも醜く語るべきことはない。

 エルドレッドとエリーゼは、リーエルンの名を捨てることで父が抱える借金から解放された。

 もちろん、そのかわりに生活の糧をすべて失うことになったのだが、エルドレッドには考えがあった。自分の眠っていた武術の才を活かす機会が訪れたのだ。

 これが二つ目の転機である。

 二人は素性を伏せて〈ギルド〉を訪れ、冒険者としての登録を済ませた。エルドレッドは冒険者として日銭を稼ぎながらエリーゼを養うつもりだった。エリーゼを冒険者登録したのは、素性不明よりは冒険者という身分が何かと都合が良いからだった。

 エリーゼをダンジョンという危険な場所に連れていくつもりはなかった。エルドレッドはソロの冒険者として繰り返しダンジョンに潜っていった。

 冒険者としての生活は想像以上に過酷だった。もともと貴族として不自由ない暮らしをしていた二人にとって、夜の灯りにも事欠く生活は苦しかった。エルドレッドは肉体労働にあえぎ、エリーゼはのみだらけの毛布に愕然とした。

 これが民衆の生活だということに二人は気づいた。

 寝食を満たされた人生を送っていた自分たちがいかに恵まれた立場だったのか、そしてそれがいかに限られた地位だったのかを、二人は目の当たりにした。

 世間になじんでいくにつれて、二人はこうした階級格差の根本原因が、貴族による独占によるものだということに気付いた。

 港街のリンドオ家に限らず、貴族たちは私腹をこやすためには荒っぽい手段もいとわなかった。利益のほとんどを独占したうえに多種多額な税を徴収した。逆らう人間は金にものを言わせて雇った傭兵たちの餌食になった。

 そうして身を持ち崩した市民も少なくなく、彼らは今のエルドレッドのように冒険者として身の危険にさらされながら日銭を稼ぐ生活を送ることになる。

 リーエルン家だけは例外だと思えるほど、二人は能天気ではなかった。特にエリーゼは、自分の罪を痛感する出来事を経験していた。

 冒険者の身分を得て間もないころ、二人は郊外の安宿に部屋をとって生活していた。エルドレッドがダンジョンに潜入している日中、エリーゼは食材の買い出しをしたり繕い物をしたりして時間をつぶしていた。

 しかし、裁縫はともかく買いものなど貴族出身のエリーゼには未知の冒険だった。

 お金の単位がわからない。

 どこで何が購入できるのかわからない。

 なにより、商品の相場がわからない。

 エリーゼの足元を見た商人たちが法外な値段をふっかけるのを見かねた一人の少女が助けてくれなければ、エリーゼは市井での生き方を知ることはできなかっただろう。

 少女はエリーゼに日々のこまごまとした、しかし不可欠なことを何くれとなく教えてくれた。

 銀貨にも悪貨と良貨があること。表通りよりも路地裏の露店のほうが安く食材を仕入れられること。ろうそくの寿命を延ばす方法など。

 エリーゼは少女と友達になった。貴族の位を捨てて初めてできた友達だった。貴族だったころの自分では、出会うことすらできなかった存在。

 エリーゼと少女は毎日のように顔を合わせ、エリーゼはエルドレッドのいない時間の寂しさを埋めていった。

 しかしあるとき、事件が起こった。

 少女がエリーゼの首にかかっていたネックレスに気付いた。それは、エリーゼが母から誕生日にもらった思い出の品で、これだけは捨てることができなかったものだ。

 少女はエリーゼにネックレスを見せてほしいと頼んだ。年ごろの少女の好奇心だった。エリーゼは特にためらいもなく彼女に見せた。

 それが誤りだった。

 少女の態度が一変した。エリーゼを指さして、

「おまえ、貴族の娘だったのか!」

 と激高した。「わたしを騙したのか!友達だと思っていたのに」

「だましたって・・・な、なんのこと・・・」

 エリーゼは困惑するばかりで状況がつかめなかった。

「うるさい、黙れ!」少女は叫んだ。「そのネックレス!バラの紋章は貴族の証だわ。貴族の分際でどうしてこんなうらぶれた場所にいるの。わたしたちの貧しい生活を見て内心で笑っていたのか。貴族らしい意地汚い趣味だこと」

「ち、ちが・・・」

 少女はエリーゼの言葉に聞く耳を持たず、二度とわたしに近寄るな、という捨て台詞を残して去っていった。

 時が過ぎてから知ったことだが、少女は税の滞納で父を徴用され、母を病気で失っていたのだった。原因は飢餓だった。

 その夜、エルドレッドはエリーゼの異変に気付いた。最初は環境の激変に心身を摩耗している様子だったが、ここ最近は笑顔も増えていたのに。

 エルドレッドが何を訊いてもエリーゼは答えなかった。ただ、胸元のネックレスだけがなくなっていた。

 やがてエリーゼはエルドレッドに言った。

「わたしも冒険者として生きていくわ」

 それがわたしの罪だから、と。

 彼女は二度と貴族らしい言葉遣いをしなくなった。

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