12、マイアの剣術指南
イアンたちが旅支度を終えダンジョンを発つ頃。
ダンジョン第9層のはずれ。
目抜き通りとなる洞窟からすこしはずれた小部屋のような空間は、人工的なものが何もないむき出しのダンジョンのままだ。
中央のひときわ天井が高くなっている場所は、身体を動かすには最適だった。
愛用の盾を地面に突き刺すように置くと、マイアは練習用の木刀を突き出した。
メイベルはおぼつかない足取りで剣先をかわすと、一歩おくれて自分の木刀を振りかざす。しかし、それを振り下ろすよりもはやくマイアが払い落とした。
からからと音をたててメイベルの木刀が転がっていく。
「・・・あなた」
マイアは呆れた顔を隠さなかった。「本当に冒険者なの?第2層で死んだというから初心者なのはわかってたけど、田舎の自警団でももう少しマシよ」
「・・・すみません」
メイベルは肩で息をしながらかぼそい声をもらした。
メイベルが〈屍者〉として二度目の生を受けてからしばらくが経過していた。記憶の欠落は戻らなかったが、体力・気力は十分だった。
そこでマイアは、イアンからの要請どおりメイベルに剣術指南をやってみたわけだが・・・
「どうしようかしら」マイアはつぶやいた。「2,3日で片付くとは思ってなかったけど、これ長期戦したところでどうにかなるのかしら。ここまで剣術の才能がないと魔法に期待したくなっちゃうけど、わたしは魔法使えないしなあ・・・」
「あの、迷惑かけてすみません・・・わたしのことは、もう・・・」
「いやよ。わたしはイアン様直々の命を受けたのよ。死んでもあなたを手放さないわ」
マイアはにべもなくはねのけた。
「そ、そうですか」
メイベルは複雑な表情を見せた。
「それに、あなたのことを相談しようにも、イアン様は〈ギルド〉に向かわれたから、何をするにしてもご帰還を待ってからよ。それまではせいぜいあがきなさい。自衛くらいはできるようになるでしょう」
自衛と称して殺人剣を教えるあたり、マイアを不向きと断じたダントンの目は間違っていなかったと言えるだろう。
しかし、マイアのスパルタっぷりを加味してもメイベルの剣術の才能は絶望的だった。筋力不足とか反射神経の鈍さとかそういう次元ではない。動きの一つ一つが戦うことに向いていない。冒険者の素質はないのは明らかだ。
それだけに、マイアの頭から離れない疑問がある。
「あなた、どうして冒険者になったの?」
するとメイベルは申し訳なさそうに答えた。
「・・・わかりません。覚えていませんから」
この卑屈さ。
最初は記憶の欠落がもたらす不安感によるものだと思っていた。しかし、マイアはすぐに気づいた。これがメイベルの心の奥深くに刺さったかえしのついた棘だということに。
彼女が前世で送ってきた人生の輪郭が、まったくと言っていいほど見えてこなかった。
彼女はなぜ冒険者になったのだろう。自分が冒険者に向かないことくらい自覚できそうなものだけど。
あるいは、それを指摘してくれる同輩に恵まれなかったのか。
「こんな実力ですから、なりたくて冒険者になったわけじゃない・・・とは思います」
沈黙をごまかすようにメイベルは言い添えた。「そ、それより、わたしも一つお聞きしてもいいですか」
「なにかしら」
「〈屍者の国〉というのは、いったい何なのですか」
そういえば、〈屍者の国〉についても教えてあげてほしい、とイアンに頼まれていたことをマイアは思い出した。
「〈屍者の国〉は、イアン様がお創りになった、わたしたちの理想郷よ」
端的すぎる回答だった。
「ぐ、具体的には・・・」
困った表情を浮かべるメイベルを見て、マイアはしばし考えて言う。
「前世で虐げられながら人生を終えた者が、イアン様の御力で〈屍者〉としてよみがえることのできる国、それが〈屍者の国〉よ」
「〈屍者〉というのは、前世で不幸を味わった人たちでないとなれないのですか?」
「詳しいことはわからないけれど、たぶんそう。イアン様は黄昏者って言ってたかしら」
「マイアさんも、ですか?」
「前世で幸せになれなかった、という意味ではそうね。だけど、そのおかげでイアン様に選んで頂けたのなら本望だわ」
マイアにとっての前世、最大級クラン〈求道者の集い〉時代の記憶は思い出したくもない差別と排斥の連続だった。しかし、今となっては思い出そうとしても浮かび上がらないほど、当時の苦々しい思い出は薄れてきている。
こうして歴史上の聖女の名を抵抗なく名乗れるのもその証拠と言える。
それもこれもイアン様のおかげだ。
「わたしも、前世ではひどい扱いを受けたのでしょうか」
「たぶんね」
もしそうなら、記憶の欠落もあながち不運とは言えないかもしれない、とマイアは複雑な気持ちになった。
メイベルも思うところがあるのか、
「わたしたちを助けてくれたイアン様は、いったいどんな存在なのでしょう」
と遠くを見るようにつぶやいた。
「イアン様、尊い御心を持ったお優しいお方よ」
「ぐ、具体的には」
「神よ」
エンバーマー、ではなくマイアはそう答えた。
「神、ですか」
マイアの狂信的とまで言える姿勢は、〈屍者の国〉の面々のなかでも一歩引いた視線で見られることも多い。
しかし、メイベルは「神」という表現が腑に落ちた様子で、胸元のロサリオを握り締めて幾度かつぶやいた。
「あなた、修道女でもやってたの?」
マイアは問いかけた。
「わかりません。ただ、これを握ると気持ちが落ち着くんです」
「ふうん」
まあどうでもいいか、とマイアは疑問を放置した。それより今は、この才能ゼロの娘に形だけでも剣術を仕込むことが優先だ。
上手くやればイアン様に褒めてもらえるかもしれないし、とマイアは内心でほくそ笑んだ。