10、〈ギルド〉談合
レイノーラによってもたらされた〈屍者の国〉の実態は、その内容の衝撃度合いを鑑みて一部の上級幹部のみで共有された。
上級幹部とは、総帥アイゼンハルトをはじめ財務理事、実務理事、教育理事である。小さな会議室にはこの4名が顔をつきあわせ、壁際にレイノーラが控えるという配置だった。
「冒険者の死体を回収して私兵化するなど、おとぎ話にもほどがある」
ふんと鼻を鳴らしたのはとびだした腹部が特徴の財務理事だ。
「それは私兵と〈屍兵〉をかけているのですか」
くつくつと笑い声を漏らしたのは、ひょうきん者で知られている実務理事である。
「言葉遊びをしている場合か」財務理事が机をたたいた。「死体がよみがえって襲ってくるなど、世間に知られれば大混乱を招きかねない。ましてやわれわれが討伐に失敗したことが露見すれば、〈ギルド〉の失墜を招きかねない。今年の資金融資をひっぱるのにわたしがどれだけ苦労したと思っている」
「財務理事、われわれはまだ討伐に失敗したわけではありません。撤退のうえ、再度遠征の機会をうかがっているだけです」
黒縁めがねの教育理事が言葉をさしはさんだ。彼女の主要な仕事は新規冒険者への教育と中堅冒険者のスキルアップなど、〈ギルド〉の戦力的な側面なのだ。
「ふん。それを世間では失敗というのではないのかね」
「財務理事は手厳しいですねえ。まあ、あの遠征が悪手であることはぼくも同意見ですが」
「ですから、再度遠征の計画を練っていると言っているでしょう」
レイノーラは彼らの内輪げんかを傍観していた。内心で彼らを小ばかにしていたことは言うまでもない。ほめるべき点があるとすれば、アイゼンハルト総帥が徹底して不参加の態を決め込んでいたことだろうか。
大規模組織の宿命ともいえるが、この〈ギルド〉も決して一枚岩ではない。財務と実務と教育で戦争ごっこのような内輪もめを続けている。互いが権力と予算を奪い合い、決着が訪れる様子はない。今のところは財政権限をにぎっている財務一派が優勢だという。
かくいうレイノーラも財務一派の一員なのだが、〈屍者の国〉への片道切符を渡されるあたりその立場は推して知るべしというものだ。
「レイノーラ君」
と、財務一派筆頭の財務理事がレイノーラを愛用の万年筆で指さした。
「本当なのかね。〈屍者の国〉が冒険者の死体を集めて私兵団を築いているというのは」
どうやら侃々諤々の議論の末、話題は振りだしに戻ったらしい。
「事実です」レイノーラは答えた。「付け加えるなら、冒険者のなかでも一握りの手練れを集めた集団、それが〈屍者の国〉の実態です」
「にわかには信じられないね」と実務理事。
「お言葉ですが、すべて事実です」
この目で見ましたから、という言葉をレイノーラは呑み込んだ。
〈屍者の国〉の実態を目の当たりにしたレイノーラでさえ、〈屍者〉が復活するあの場面だけは信じ切ることができないでいた。
「幸いなのは、彼らがまだクラン程度の規模しかないということでしょう」
かわりにレイノーラはそう締めくくった。
「それは有益な情報ですね」と教育理事。「前回は、われわれも〈屍者の国〉と同じくクラン単位で編成を行いましたから。数の優位がない状態なら、熟練度でまさる相手側に軍配があがるのも道理です」
「それは言い訳ですか、教育理事」
「純然たる分析です、実務理事」
「ではなにかね、次は一個師団レベルの冒険者を引き連れて第9層までおりようというのかね」と財務理事。「それだけの規模の遠征にどれほどの予算がかかるか、承知しておりますかな」
「お金を集めるのはあなたの仕事でしょう、財務理事」
またみつどもえの醜い争いである。いったい彼らは〈屍者の国〉を肴にして何と争っているのだろう。
さすがに見かねたアイゼンハルト総帥が口を開いた。
「そのへんにしておけ。理事が一同にあつまるこの時間はそう安くはない」
感情による抑揚がみられないのによく響く、不気味な低音だった。
「いやはや、お見苦しいところをお見せして申し訳ありません」
典型的なごますりのセリフを吐いたのは財務理事だった。「お忙しい総帥の身に時間を割かせるとは、〈屍者の国〉の連中も分をわきまえるということを知るべきですな」
「わたしが見苦しいかはともかく」と教育理事。「彼の者たちが立場をわきまえないというのはその通りですね。死者は死者らしく土の中で肥やしになっていればいいものを。なんとおぞましい。ましてや彼らを率いているのは〈ギルド〉専属のエンバーマーというではありませんか。教育してやった恩をあだで返すとは・・・つくづく学のない者にはあきれ果てますね」
いったいあなたがなにを教えてやったというのか、とレイノーラは心のなかで毒づいた。魂の地図を書くか、それとも皮膚をキルトのように縫う方法を教えたとでも言うのか。
「しかし、実際的な問題として彼らの存在は脅威でしょう」
と冷静な発言をしたのは実務理事だった。頭の後ろに手をやり、天井を見上げる。
「われわれを脅かしうるほどの戦力が、われわれにとって生命線であるダンジョンの最下層を占領しているのです。生理的な嫌悪を催している場合ではないでしょう」
「あなたに言われなくても、そんなことはわかっています」
「そうですか?では、教育理事としてはどう対処するおつもりで?」
「むろん、武力による討伐です」
財務理事がふんと馬鹿にするような笑みを浮かべた。それをあえて無視して教育理事は言う。
「彼らと共存することはおろか、ほんの一部でも承認することなどありえません。であれば、討伐しかないでしょう。いい機会です。師団と言わず軍団単位で冒険者を派遣して、愚鈍な市民どもにわれわれ〈ギルド〉の威光を示そうじゃありませんか」
「ぐ、軍団だと?」財務理事が目をむきだした。「ずいぶんと手軽そうに言ってくれるが、きさま、これは地図のうえのおままごとではないのだぞ。駒をつまんで動かせば兵士が瞬間移動するとでも思っているのか」
「そんなことは当然わかっています。軍団規模であれば、第9層到達までに丸1か月ほどはかかるでしょうね」
「馬鹿を言うな。その期間、兵站を維持するためにどれだけのコストがかかると思っている」
「まあまあ、お二人ともそのへんで」
実務理事がへらへらと無責任な笑みを浮かべていさめる。「教育理事の仰ることもよくわかりますが、財務理事のお言葉にも一理あります。どうですか、ここは財務理事の主張を聞いたうえで判断するというのは」
教育理事は肯定のかわりに腕を組んで沈黙した。
「では、僭越ながら失礼して」と、財務理事はわざとらしく咳払いした。「わたしが提案させていただくのは、ずばり和解に見せかけた裏工作です」
「ふん、下賤な」
「まあまあ教育理事、最後まで聞きましょう」
「よろしいですかな」財務理事は教育理事をにらんだ。「われわれはすでに冒険者を三度〈屍者の国〉に派遣してますが、いまだ彼らの撲滅には至っていません。これ以上同じ試みを繰り返すのは愚行というもの。ここは平和的な解決をしようじゃありませんか」
「具体的には」
アイゼンハルト総帥が口をはさんだ。財務理事は、総帥の反応を引き出せたのが嬉しいのか口角泡を飛ばすいきおいで続ける。
「レイノーラから〈屍者の国〉の実態については詳しく聞き及んでおります。それによると、どうやら〈屍者の国〉は堅牢な一枚岩というわけではないようです。しょせんは死体どもの寄せ集め、ということですな」
「それで?」
「レイノーラによると、どうも王と不仲とみられる冒険者が一名存在するようです。ずいぶんなケンカ腰で王に歯向かっていたとか・・・レイノーラ、間違いないな」
「ええ」
「われわれにとって幸いなことに、その反逆者は〈屍者の国〉の首謀者の近くに控える近衛兵のような風体だったとか。そこで」
「そこで、彼をわれわれの陣営に引き込んで〈屍者の国〉の王を屠ってしまおう、と?」
実務理事が後を引き取った。肝心なところをとられて財務理事はひどく不満げだったが、すぐに気を取り直して言う。
「この方法であれば、われわれは駒一つ、金貨一つ失うことなく〈屍者の国〉を壊滅できます。レイノーラの話が本当なら〈屍者〉を復活する技術を持っているのは首謀者ただ一人。仮にそうでなくとも、首魁を失った盗賊どもがどうなるか、言うまでもありますまい」
財務理事は酒を飲んだように頬が紅潮し、鼻の頭から汗が噴き出している。満足気な顔をして発言を終えた。