捌:王太子
部屋に飛び込んで来たのは、金髪碧眼の青年だった。
身なりから、衛兵などではなく高貴な身分であることがわかる。
「うげ」
リスティが、思わず顔を歪めて呟く。
ゼインも、彼のことは知っていた。
「まさか、王太子が駆けつけてくるとはな……」
彼はルカス・エルドラド。現国王の第一子にして、王位継承権第一位の王太子である。
年齢は二十三歳。リスティを見て一目で気に入り、彼女を婚約者にすると騒いでいた人物だ。
ルカスはリスティを見てぱっと表情を明るくした。
「リスティ! 戻って来てくれたんだな!」
「私は殿下のために戻って来たんじゃありません!」
「ん? その男は誰だ? おいお前、俺のリスティから離れろ」
リスティの言葉を聞くこともなく、ゼインを見るなり心底不愉快そうな顔をするルカス。
リスティはゼインの背後に隠れながら「誰がアンタのよ。冗談じゃないわ」と小声で反論する。
と、ルカスの言葉を受けた《予言者》が、わなわなと震え出した。
「リスティ……アンタが、私から謳姫の座を奪った女……?」
「謳姫の座を奪う? 何のこと?」
《予言者》の呟きを聞き取ったリスティが首を傾げる。
リスティはそもそも謳姫になりたいなどと思ったことは一度もない。
というか、自分が謳を操れるということを認識したのでさえ、つい最近だった。
謳を操れるとわかった直後、突然国王の遣いの者がやってきて、城に連行されてしまったのだ。
と、ゼインが、何か察した風情で頷いた。
「なるほどな。お前、自分が謳姫になるつもりで『謳姫が現れる』って予言したはずが、別人が見つかって計算が狂ったから、『謳姫は破滅を呼ぶから見つけて処刑しろ』なんて予言をしたのか」
「おい、それは本当か!」
ルカスもゼインの言葉に食いつき、《予言者》を振り返る。
彼女は初めて動揺した様子を見せた。
「る、ルカス様……わ、私は……」
弁解しようとしたが、自分を見るルカスの瞳に、明らかな侮蔑と憤怒の色が浮かんでいるのを目の当たりにして、彼女は息を呑んだ。
それから、何を思ったか彼女は、血走った目でリスティを睨み、大きく息を吸い込んだ。
何かする気だと察したゼインが、素早く自分とリスティを取り囲む防御魔術を展開する。
直後、彼女はリスティに向かって大声を放った。
「『謳姫、リスティ・コルベットは死ぬ』!」
びりびりと、空気が振動した。
それは、魔術の一種であるとゼインはすぐに理解した。
謳が使えるだけで魔術の見識の無いリスティにも、それは直感でわかった。
これは、予言などではない。
予言も魔術の一種であるが、これは全く別物だ。
「……おいおい、これのどこが予言だよ。これでコイツを《予言者》だなんて持て囃していたんだとしたら、エルドラドの王族の目はとんだ節穴だな」
ゼインは心底呆れた様子で嘆息する。
「なっ! 貴様! 我ら誇り高きエルドラド王家を愚弄するのか!」
ルカスがすかさず反論するが、ゼインはまるきり無視して《予言者》を振り返った。
彼女は、リスティに何も異変が起きないことに愕然としていた。
「な、何で、死なないのよ! 私が死ぬと予言しているのに!」
「お前のそれは予言じゃなく、操作魔術の一種だな。どちらかというと呪いに近い。だから、自分より魔力量が多い奴、ましてや防御魔術の中にいる奴に通じる訳がねぇんだよ」
「そ、操作魔術だと? ば、馬鹿な……では、シアンナ嬢は、これまで王族に操作魔術を……?」
ルカスも驚いた顔で、ゼインを振り返る。
《予言者》の本名はシアンナというのか。
その名前には、ゼインも聞き覚えがあった。
「シアンナ……ウトピア公爵家の長女だな」
「……そうよ! そこの女が現れなければ、私こそがルカス様の妃になるはずだったのに……!」
ゼインは、冷静に今回の事件の経緯を頭の中で整理していた。
王太子妃候補は、三大公爵家が皆自分達の娘を推挙しており、十年以上膠着状態で決まらないでいた。
そんなある時、ウトピア公爵家の長女シアンナが、自分に謳と予言の才があることに気付いた。いや、もしくは謳だと思っていただけで、実際は彼女が『予言』と称していたのと同じ力かもしれない。いずれにしても声や言葉に魔力を乗せて発動させる業なのだ。
これで自分が『謳姫』となれば、他の公爵家を差し置いて王太子妃になれると思ったシアンナは、『間もなく謳姫が現れるだろう』という予言をしてみせた。
そして自分が謳を披露する機会を伺っているうちに、リスティが現れてしまったのだ。
おそらく、リスティの謳の才にエルドラド王家が気付いたのは、シアンナの『予言』の力のせいだろう。
ルッソに潜んでいる時に、ゼインはリスティと少し世間話をしていた。
その際に、謳の能力に気付いた経緯を少し聞いていたのだ。
リスティは、診療所を営む両親が毎日疲弊しているのを見て、少しでも励ませたらと、子供の頃からよく歌っていた。リスティの歌を聞くと元気になる、と両親が笑ってくれたので、それを日課のようにずっと続けていたのだが、ある時両親が、気休めではなく本当に体力が回復していることに気付いた。
そこで、重傷で診療所を訪ねて来た患者の前で、治るよう祈りながら歌ってみてくれと父親に言われて試し、自分の歌が本当に力を持っていることを知ったのだ。
ただ、リスティも両親も知らなかったのだが、その時に治療した相手が、エルドラド王家に仕える王立騎士団の騎士だったのが、彼女の運の尽きだった。
彼はたまたま休暇で帰省していた時に、魔物と遭遇して重傷を負ったのだ。
一瞬で怪我が治った彼はリスティに心から感謝して去っていったが、休暇が明けて城に戻ったところで、《予言者》が『間もなく謳姫が現れる』と予言したことを聞き、すぐにリスティのことだと悟った。
彼は、謳姫になれば様々な権限が与えられることを知っており、リスティに恩返しをするつもりで、国王に、ノーバの診療所にいる娘が謳を操れる、と報告したのだ。
「……リスティが現れなかったとしても、お前が謳姫になることはなかっただろうな」
シアンナが『予言』と言っているのは、実際は未来を予知しているものではない。
それは、リスティの操る『謳』とも異なり、声に魔力を乗せて言葉を発することで、それを聞いた者が、無意識のうちにその言葉に縛られ、その通りに行動してしまう、一種の『呪い』だ。
だから、シアンナより強い魔力を有しているゼインとリスティには効かなかったのだ。
逆に言うと、今のエルドラド国王と、王太子ルカスは、彼女より魔力が低いということになる。
「……いずれにしても、これは国王の失態だな」
ゼインが吐き捨てたその時、その場に魔法陣が二つ顕現した。
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