伍:動き出した捜索隊
娼館ルッソの閉店は、日が昇る頃だ。
それより少し早い時間に、物々しい雰囲気の衛兵が、十数人で尋ねて来た。
「ここに、リスティ・コルベットという、銀髪に翠の眼の若い女が逃げて来なかったか? 隠すとろくなことにならんぞ」
一際体格が良い、強面の衛兵が一歩前に出て尋ねる。
しかし、ファリナは臆する様子もなく腕を組んで、首を横に振った。
「知らないね。疑うんなら、建物の中を勝手に探してくれ。ただし、客が全員帰った後にしな……勿論、ここで待たれると、大事な顧客から苦情が来るから、待つなら裏にしてくれ」
親指で建物の裏を指すファリナに、衛兵は眉を顰めた。
「従うと思うか? もし今ここに女が隠れているとすれば、その間に正面から逃げることができてしまうだろうが」
「その件についてはアタシは知らないと答えている。裏で待機しろと言っているのは、大事な顧客の尊厳のためさ……顧客の中には、娼館通いを知られたくないってお偉いさんも多くてね。もしアンタが今客室にまで乗り込んで、見てはいけない上司の姿を見たとしたら、アンタに明日は来ないだろうが……それでも良いなら好きにしなよ」
ファリナの言葉に、衛兵は顔を引き攣らせた。
どうやら、娼館通いをしていそうな上司に心当たりがあるようだ。
「……ところで、そのリスティって女は、一体何をしたんだい? 衛兵がこんなにぞろぞろ娼館にまでやってくるなんて、余程の重罪人ってことだろう?」
「それはお前が知る必要のないことだ……とにかく、客が帰った頃にまた来る。娼館は遠目に見張り、怪しい者が出て来たら尋問するからな!」
負け惜しみにも聞こえるような言い方で吠えると、衛兵は踵を返してずんずんと去っていった。
その後ろ姿を見て、ファリナはやれやれと嘆息し、舘に戻っていく。
そして彼女は、舘の中のとある客室へ向かい、ドアをノックした。
「お客様、大変失礼いたします。非常事態につきご容赦いただきたく。指名手配の娘を探しているとかで、外に衛兵が構えております」
小声で告げると、中から何やら慌ただしい物音がして、数分後にドアが開かれた。
「ファリナさん……」
開けたのはこの舘の娼婦である女だ。彼女は戸惑った様子でファリナを部屋に入れた。
部屋の奥には、いかにも地位の高そうな初老の男が立っている。
仕立ての良い服を纏っているが、急いだようで一番上のボタンが留まっていない。
しかしそれでも、立ち振る舞いから風格が滲み出ている。
「衛兵が来ているというのは本当かね?」
「ええ。私は、嘘でお客様を煩わせるようなことは誓って致しません」
「そうだな。その点においては君は大変信用に値する……さて、指名手配の娘、か……」
思い当たる節があるようで、彼は口元に手を当てた。
「ええ。お客様が全員帰られた後、衛兵はこの娼館の中をくまなく見て回るそうです。それは構わないのですが……」
あえて困ったように首を傾げ、一旦言葉を切るファリナに、男はふむと頷いて続きを促す。
「この娼館を遠目に見張り、怪しい者は尋問するそうです」
ファリナの言葉に、男は眉を寄せる。
「……無粋なことを」
「ええ、全くですわ」
「……もしや、これも《予言者》が……?」
男が剣呑な様子で呟いた言葉を、ファリナの敏い耳はしっかりと捉えた。
しかし、それを彼に問い質すのは得策ではないと判断し、聞かなかったふりをする。
「……わかった。この件は私に預からせてくれ」
彼はそう言うと、懐から小さな革袋を取り出し、ファリナの手に乗せた。
「部屋から直接店を出る無礼は大目にみておくれよ」
彼はそう言って、唇に人差し指を当てて片目を瞑ってみせる。
ファリナは何かを悟って、微笑みながら一礼する。
「勿論でございます」
彼女が顔を上げた時、そこに男の姿はなかった。
「……トリッジ様、魔術師だったのですね」
彼のお気に入りの娼婦である女が、驚いた顔で呟く。
この娼館へ来る者は、皆素性を隠してやって来る。当然、娼婦に偽名を名乗る者も多い。
それでも滲み出る風格や金払いの良さで、どの程度の地位にいるのかはなんとなくわかるのだが、呪文を唱えることなく姿を消す魔術師であれば、王国の中でもかなり上の地位であることが察せられる。
「ああ。普段の装いからしても、伯爵位以上の御仁だとは思っていたが……高位貴族で、転移魔術を使えるような強い魔術師であることを考慮すると……」
思い当たる人物は一人。
しかしそれを彼女に教える必要はない。要らぬ顧客の詮索は不審を招くことになりかねないからだ。
「……まぁ、アンタは余計なことまで知らなくていい。さ、客人が帰ったんだ。片付けを始めちまいな」
「はーい」
娼婦は少々不満そうにしつつも、納得はした様子で頷き、部屋の片付けを始めた。
と言っても、客室の清掃は裏方の仕事なので、彼女は私物をまとめるだけであるが。
ファリナは部屋を後にし、廊下を移動すると、一番奥の倉庫にしている部屋に入っていった。
「ゼイン、お前のことだからもう知っているだろうが、あと数十分もしたら衛兵が捜索しに入って来る。今のうちに痕跡は消しておけよ」
天井に向かって言い放つと、彼女は自室へ向かっていった。
それを天井裏で聞いていたゼインは、ベッドの上に寝ころんだまま、至極面倒臭さそうな顔で溜め息をつく。
「……ね、ねぇ、衛兵が捜査に入って来るって……大丈夫なの?」
不安そうなリスティに、ゼインは身を起こしながらやれやれと呟いた。
「問題ない」
言うや、彼は小さな声で何かを呟いた。
その刹那、彼の魔力が屋根裏部屋をふわりと包み込んだ。
「……遮蔽魔術?」
「ああ、この空間に掛けた。屋根裏を覗き込んだとしても、こっちが物音立てなければ気付かれることもない。もし部屋に衛兵が来ても、じっとしてろよ」
遮蔽魔術は、対象の気配を絶つ魔術だ。
それなりに研鑽を積んだ魔術師でなければ使えないほどの魔術だが、彼は容易くそれを自身だけではなく空間にまで付与した。
「……貴方、本当に何者なの? こんなことまでできるなんて……」
「盗賊《漆黒》。もしくはただのゼイン。それ以上でもそれ以下でもねぇよ」
彼はそう言って、再びベッドに寝転んで眠ってしまった。
衛兵が捜査にやって来たのは、その数十分後だった。
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