参:謳姫との逃亡劇
しばしの沈黙の後、ゼインは小さく頷いた。
「わかった。ただし、期限付きだ。ひと月、そいつが自分の結婚相手を決めるか、他の謳姫が決まるか、そのどれか一つでも達成したら逃亡の手伝いは終わりだ」
「うーん、ひと月か……まぁ、結婚相手を探す機関としては短いが、その間にエルドラド王家が他の謳姫を選ぶ可能性はなくもない、かな……まぁ、延長する時はまた報酬を別で用意するよ」
引っ掛かる物言いであるが、とりあえず期限がひと月に決まった。
「それと、おそらく王族ももうリスティがいないことに気付いて探し始めている頃だろう。お前の身元が知られている以上、私達もここにはいられない……しばらく身を隠すことにしようと思う」
「そうね。それが良いわ……ごめんなさい、父さん、母さん、私のせいで……」
「いや、お前のせいじゃない。それに、私達も久しく旅行に行けていなかったからな。休暇と思って母さんと楽しむことにするよ」
父は晴れやかに笑って、母と顔を見合わせると小さなトランクに荷物を詰め始めた。
その様子は、妙に浮かれているようで、追手から逃げ出すための荷造りには見えない。
旅行のつもりで出かけるというのは強ち間違っていないらしい。
「リスティも、簡単に荷物を纏めたらすぐに出発しなさい。少ないが、路銀としてこれを渡しておく」
父はトランクを閉じて、小さな革袋をリスティの掌に載せた。
しゃりん、と金属の触れ合う軽い音がする。
「一ヶ月分の生活日には足りないが、お前なら何とかするだろう……では、ニグリ君、娘を頼んだよ」
真剣な顔でそう言ったかと思うと、彼は己の妻と手を取り合い、足取り軽く出て行ってしまった。
「……本当に旅行にでも行くつもりかよ」
「多分ね。私の両親、結構楽天家だから」
肩を竦めたリスティは、自室に戻って簡単に荷物をまとめた。
家を出て玄関を施錠したところで、ゼインを振り返る。
「……で、何処へ行くの?」
リスティは、この町で生まれ、診療所を営む両親の仕事もあってあまり遠出の旅行をしたことがない。
王都にだって数回しか行ったことがないくらいだ。
「……ひと月で戻ることと、王族共の動きを見ておいた方が良いことを考えたら、大陸に渡るのも得策じゃねぇな」
うーん、と唸りながら、ゼインはリスティの腕を掴んで何やら呪文を唱えた。
「転移魔術」
瞬き一つの間に、二人は別の場所へ移動していた。
「……ここは?」
妙に煌びやかな建物の前だった。
辺りを見渡すと、おそらく王都と思われる繁華街の一角のようだ。
「ちょっと! まさか王都に戻って来たのっ?」
「ああ。逃亡した謳姫が、まさかこんな所にいるなんて、流石の王族も思わねぇだろう?」
ゼインがにやりと笑い、その建物に足を踏み入れていく。
リスティが仕方なくついて行くと、中にいた女性がゼインの姿を見るなり、歓喜の声を上げた。
「あらぁ! ゼイン様! 随分ご無沙汰じゃなぁい? 寂しかったわぁ」
甘ったるい話し方、噎せ返るような香水の匂い、豊満な身体を惜しげもなく露出し今にも乳房が零れ出そうなドレスを纏った女が、ぞろぞろと現れてゼインを取り囲む。
「よぉ、元気だったか? 今日はちょっと厄介事でな。悪ぃが、少し匿ってくれ」
「またぁ?」
一人が不満そうに頬を膨らませた時、奥の部屋から一人の女性が姿を見せた。
二十代後半くらいだろうか。艶やかな金髪と深い青の瞳で、リスティでさえ見惚れるような妖艶な色香を漂わせている。
「おやおや、久しぶりに来たと思ったら、女連れで娼館に来るとは、どういう了見だい? その娘を売り飛ばす訳じゃないんだろう? ゼイン」
「しょ、娼館っ?」
リスティがぎょっとして辺りを見渡す。
確かに、やたらと華美な装飾の施された建物といい、出て来た女達の様子といい、間違いなくここは娼館のようだ。
「悪いな。ファリナ。ちょっと訳アリなんだ」
ゼインがすまなそうに眉を下げると、ファリナと呼ばれた美女は呆れた様子で嘆息し、顎で部屋の奥を示した。
「入んな。最低限の事情だけは聞かせといてもらうよ」
「ああ、わかっている」
ゼインが彼女に促されるままに部屋の奥へ進む。
リスティは戸惑いつつも、それに続いた。
部屋は事務室兼応接室なのか、大きなデスクが一つと革張りの高級そうな椅子が一脚。その前にローテーブルとソファが一対置かれていた。
「さ、座りな。茶くらい出してやるよ」
ファリナは言葉遣いこそ乱暴だが、所作は繊細でとても美しい、不思議な女性だ。
流れるような手つきでお茶を淹れ、ゼインとリスティの前にカップを置き、二人の向かいに腰を下ろす。
「で? お嬢さんの名前は?」
「リスティ・コルベットです」
名乗った瞬間、ファリナは僅かに目を瞠り、額を押さえて深々と溜め息を吐いた。
「ゼイン、お前が馬鹿なのは知っていたが、よもや謳姫を誘拐してくるなんて、どういうつもりだ?」
リスティの名前を聞いただけで謳姫と察したファリナ。
それだけで、今の二人の状況を理解したらしい。
「誘拐したつもりはねぇよ。コイツが手枷填められて捕らえられてて、助けてくれっつーから連れ出しただけだ」
「それが誘拐だってんだよ。謳姫の誘拐は王族の誘拐と同格の重罪だよ……まぁ、捕まっている女の子を救い出そうとした心意気は買ってやるが」
言いながら、彼女は慣れた手つきで煙管に火をつけた。紫煙がゆらりと立ち昇り、独特の匂いが部屋に漂い始めた。
「……まぁ、いつも通り、アンタが自分の部屋にいる分にはアタシは干渉しないよ。上手くやりな」
言いながら、ファリナは煙を口から吐き出す。
その様さえ、妙な色っぽさを演出している。
彼女が手をひらひらと振ったので、ゼインはお茶を飲み干し、立ち上がった。
リスティはファリナにペコリと頭を下げ、ゼインに続いて部屋を出て行った。
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