弐:港町ノーバ
ゼインとリスティは、飛翔魔術によって、本来ならば馬で丸一日かかる道のりを数時間で移動した。
目的地である港町ノーバに辿り着いたのは日付が変わった頃。当然ながら、住民も皆休んでいるようで町はひっそりとしていた。
元王城だった石造りの古い城は、今はエルドラド王国の騎士団の駐屯所になっている。
そこを避けるように迂回し、ゼインはリスティの案内で町外れの診療所に降り立った。
「診療所?」
「実家よ。父が医者なの」
言うや、リスティは裏口に回ってドアを開けた。
「ただいまー!」
声を掛けると、二階からどたどたと慌ただしい足音が響いて来た。
「リスティ! 無事だったのか!」
「ああっ! 良かった! 大丈夫だった? 酷いことされなかった?」
両親と思われる中年夫婦がまろびそうな勢いで駆け付け、リスティを抱き締める。
「大丈夫よ。心配かけてごめんなさい」
「いいや、お前のせいじゃない……ん? この人は?」
「あ、えっと……逃げ出すのを手伝ってくれたの」
まさか国中に名を轟かせている盗賊であるとは言えないので、リスティが苦笑いしながら誤魔化す。
と、両親は顔を見合わせ、とりあえず中に入りなさいと迎え入れ、お茶を淹れてくれた。
「……そうか、王太子殿下との結婚を……」
リスティが己の身に起きたことを話し終えると、父は額を押さえながら瞑目した。
「ええ、それを断ったら、手枷を填められて塔に幽閉よ。屋上までは何とか出られたから、気晴らしに謳ったら、彼がたまたま来てくれて、助けてくれたの」
「そうだったのか……娘を助けていただき、ありがとうございます」
「いや、たまたまだ。気にするな」
ゼインは素っ気なく言ってお茶を啜る。
「……でも、リスティ、大丈夫なの? 逃げ出してきたってことは、この後も追われるんでしょう?」
心配そうに眉を下げる母に、リスティは頷く。
「うん、だから、しばらくは逃げようと思うの。私が先に結婚しちゃえば、流石に国王だって無理に王太子と結婚させようとはしないでしょう?」
「そりゃあ、王族と結婚できるのは、本来婚姻歴のない若い娘のみだからなぁ……」
実際、この国の法律でも、王族と結婚できる女は、婚姻歴がなく、処女であることが定められている。
そうでなければ、王族と結婚した後に生まれた子が、王族の血を引いていない可能性が出てきてしまい、要らぬ騒動の種になってしまうからだ。
とはいえ、王族の婚約者は幼い頃に家柄重視で選ばれることが多いため、あまりこの法律が活躍する場面はほとんどないのだが。
「でも、相手を見つけるまで、逃げ切れるかしら? 相手は王族よ?」
母親の言葉に、リスティはゼインを見た。
「……おい、俺は契約に則ってちゃんとお前をここに届けた。それで契約終了だ。後はお前からの報酬を貰うだけ……そこからお前の逃亡までは流石に付き合い切れねぇぞ」
彼女が言わんとすることを先回りして断るゼインに、彼女の父が、何を思ったのかふむと頷いた。
「逆に言えば、報酬次第では娘の逃亡を手助けしても良いと思ってくれているのかい?」
「……報酬次第だ。だが、お荷物抱えて逃亡しても良いと思えるような報酬なんて、そんな……」
言いかけたゼインが口を噤んだ。
目の前に、リスティの父がどんと何かの鍵を置いたからだ。
「……鍵?」
「今は騎士達が駐屯所として使っているが、旧王城の宝物庫の鍵だ」
「宝物庫の鍵? アルトゥーラは百年前にエルドラドに統合され、その時に財産や国の運営に係る権利の全てをエルドラドに渡したはずだろう? 当然、その中には宝物庫も含まれているはずだ。その宝物庫の鍵がここにある訳ねぇし、どうせ偽物だろう」
ゼインが眉を顰めると、父はふっと笑みを零した。
「当時のアルトゥーラ国王が、エルドラド国王を心から信頼していなかったら、どうすると思う?」
「何?」
父の問いかけに、ゼインが眉を顰める。
「歴史上では、この島にかつて栄えた王国はアルトゥーラ、ウトピア、トーラスの三つだ。百年前、それらを統合してエルドラド王国が誕生した訳だが、エルドラドが元々何者だったか、君は知っているかね?」
「歴史では、ウトピアの公爵家だと……」
「そうだ。ウトピアのエルドラド公爵が、三国の王を纏め上げ、結果として一つの国を作り玉座に就いた……変に思わないか? 何故三国の王の誰かではないのかと」
含んだような物言いをする父に、ゼインが何か言いたげに目を細め、横目でリスティを一瞥した。
彼女は父の言わんとするところを理解しかねている様子できょとんと目を瞬いていた。
「当時のアルトゥーラ国王も、当然それを疑問に思った。だが、既にエルドラド公爵によって、ウトピアとトーラスが手を結んでおり、統合を拒めば力尽くでの侵略を受けることになる状況だった。それ故、統合に応じ、民の安全を優先させた……そしてその時、財産はほとんど明け渡したが、絶対に渡したくないものだけを、別の宝物庫に移したんだ」
「……何でアンタはそんなことを知っている?」
「私がその鍵と共に隠された、アルトゥーラ国王の末娘の曾孫だからだ」
「アルトゥーラ王族の末裔か!」
ゼインが、信じられないようなものを見るような目で、父とリスティを見る。
リスティも初耳だったようで、唖然とした顔をしていた。
歴史書には、その後の三国の王族は、エルドラド王国の公爵家となり、今も尚、エルドラド王家を支えていると記されている。
実際、エルドラドの三大公爵家の名は、ウトピア、トーラス、アルトゥーラだ。
「アルトゥーラ王国最後の国王の末娘ミリアは、当時騎士の家系だったコルベット伯爵の元に身を寄せ、その息子と結婚。私の祖父が生まれた……その祖父の代で色々あってエルドラド王家に睨まれた伯爵家は爵位剥奪となってしまったがね。そしてミリアはこの鍵と共に、父王の手記も持たされていて、そこには、エルドラドに対する不信感が記されていた」
そこまで話して、父は少し冷めたお茶を啜る。
「……で、その話が本当だという証拠は? 話が本当だったとして、その鍵が本当に宝物庫の鍵だという保証は?」
「手記も、今は宝物庫の中だ。宝物庫を見れば納得するだろうが、開けるのは君が娘を守り抜いた後だ」
「……宝物庫には、どんな宝が隠されている?」
「アルトゥーラが誇る宝だ。それ以上は言えない」
「そんな真偽不明のお宝情報で、この俺がアンタの娘の逃亡を助けると、本気で思っているのか?」
至極尤もなことをいうゼインに、父はにやりと笑った。
「ああ、やってくれると思っているよ……盗賊《漆黒》の君ならね」
「っ!」
通り名を言い当てられて、ゼインがほんの僅かに動揺する。
「この国において、黒髪に黄金の瞳は珍しい。そして王都ベルエアの王城から、囚われの謳姫を攫って、このノーバまで飛んで来たなんて、君がかなりの魔術師だということだ……黒髪で凄腕の魔術師なんて、この国じゃあ盗賊《漆黒》くらいなものだよ」
そもそも、魔術師自体が非常に貴重なのだ。
この島国の中で、大きな町に一人いるかどうか。しかも優秀な魔術師になると、国家魔術師の資格を得て王城で働くことになるので、尚更町中では見かけなくなる。
「なるほどな……《漆黒》が何を求めているのか、アンタは察しているって訳か」
「ああ。あくまでも憶測にすぎないがね。でも、少しでも可能性があるものを、君は見過ごさないだろう?」
「はっ! んなもん、アンタから鍵を奪えば……」
「宝物庫の場所を知るのは私だけだ。鍵を奪ったって、肝心の宝物庫の場所がわからなければ何の意味もないだろう?」
にこにこと笑うリスティの父。
その翠の瞳の奥に、底知れぬ何かが揺らいでいるように見えた。
彼の本心が見えない。
だが、彼がリスティを守りたいと思っていることは確かだろう。
ゼインは深々と溜め息を吐いて、やむなく頷くのだった。
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