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水の蜂  作者: 寺音
第一章
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第4話 神官と魔術

 アルガンと別れたチャッタたちは、再び教会へ向かって歩き出した。通行人たちは、チャッタたちに視線を向け、こそこそと内緒話をする声も聞こえてくる。

 ティナがその視線に耐え切れず、恐る恐ると言った調子でこちらを振り返った。


「あの……」

「うん。言いたい事は分かるけど、よくある事だから気にしないでくれると嬉しいな!」


 現在、緩くまとめたチャッタの髪の毛を、ムルが鷲掴みにしながら歩いているのだ。幼子が親の手を掴んで歩くようなもの、と思いたいがこれは全くの別物である。

 そもそも、チャッタより年下とはいえムルも二十前後の若者だ。そんな青年の行動とは思えない。


「あのさ、ムル——まあ良いか。その内、気が済むよね。多分」

 チャッタは乾いた笑い声を上げ、前を向いた。奇妙な行動も全て「ムルだから」で説明できてしまう、彼はそういう子である。

 しかしティナは、あからさまに自分たちから距離を取ってしまった。


「あ、二人とも! あそこが教会です」

 前方へ視線を戻したティナは、そう言って明るい声を上げる。周囲の砂の色から浮き出るような、純白の建造物が見えてきた。高く伸びた四本の太い柱が建物を支え、天井には半円状の屋根が乗っている。

 ここがこの町の教会か。


「失礼だけど、町の規模にしてはかなり立派な教会だね」

「そうですね。この町の半分が教会の敷地……と言うと大袈裟ですが、それくらいの規模はあると思います」

 この国では水の神を信仰しており、そうでなくとも教会は水の配給を担っている場所でもある。この国で教会は至る所で見られるが、近隣の町の中でもここの教会は有名なのだとティナは少し自慢げに言う。


 現在教会前の広場は多くの人でごった返していた。恐らく、通行人が話していた高名な神官様を一目見ようと言う人々なのだろう。

 チャッタたちが教会へ近づいて行くと、人だかりから一際目立つ声が響いた。


「イミオン様がいらっしゃったぞ!」

 歓声が上がり、教会の中から精悍な顔つきの男が姿を現した。

 歳はチャッタよりも少し上、くらいだろうか。柔らかそうな清廉な白の装束に身を包んでおり、それは遠目からでも上質な生地で縫われていることが分かる。胸元と足の一部には、金の糸で荘厳な刺しゅうが施されていた。


 彼は両隣をこの町の神官に守られ、堂々とした足取りで群衆のいる広場へ現れる。左右の耳には大振りの宝石が二つ、煌びやかに揺れていた。

「うわーすごい人気だね」

 チャッタは小声で感心したような、呆れたような声を上げた。彼が探し求める水の蜂と、あのイミオンという神官はどうも印象が異なるようである。


「イミオン様は魔術に通じておられるそうだ!」

 魔術。見物人が発した言葉に、チャッタは眉を動かす。

 イミオンは穏やかな表情で群衆に手を振っていたが、ふと一人の男性に目を留めて近寄って行く。妙に顔色が悪い初老の男性だった。

 イミオンは男性と少し会話を交わすと、衣装の懐からスッと針の様なものを取り出す。


「針だ」

 チャッタは思わず小声で声を発する。胸を高鳴らせながら、彼はイミオンの動向をじっと見つめた。

 群衆が見守る中、イミオンはその針を男性の腕に突き刺す。すると男性の肌色が、瞬く間に明るさを取り戻していった。覇気のなかった表情もいきいきと輝き出し、健康そのものといった様子で溌溂とした笑顔を見せる。

 群衆から一際大きな歓声が上がった。


「さすが、水の蜂! 癒しの力を持つ奇跡のお方だ」

「――へぇ」

 チャッタの瞳が一瞬、訝しげにすっと細められた。

 確かに、水の蜂たちは自身の象徴たる針を使い、治療を行っていたと記録にはある、が。

 チャッタは背後にいるムルへ視線を送った。彼は普段通りの無表情で、広場で繰り広げられる光景を凝視している。

 ムルも、何も感じていないか。さて、これはどう判断したら良いのか。


「ああ、もう! うん、ちょっと我慢できないから、僕あの人に聞いてくるよ!」

 このままでは埒が明かない。じれったくなったチャッタは、そうティナたちに告げて駆け出そうとした。

「え、ちょっと待ってください! 聞いてくるって一体何をですか!?」

 焦った様子のティナにマントを掴まれ、チャッタはやむ負えず足を止める。


「そんなの決まってるよ。あの人が水の蜂について何か知らないか聞くんだよ。――いや、もしかすると彼は水の蜂そのものである可能性もあるよね。治癒能力も水の蜂の特徴だから」

「何言ってるんですか!? 何百年も前に滅びたって言われていた種族が、こんな簡単に見つかったらびっくりですよ! ほら、ムルさんも、いつまでもチャッタさんの髪の毛を掴んでないで何か言って下さい!」


 ずっとチャッタに張り付いているムルに、ティナは声をかける。

 すると何故かムルは、チャッタの髪からパッと手を離した。あれほど頑なに離そうとしなかったのに。


「ありがとう、行ってくる!」

 その隙にチャッタはイミオンの下へ駆けて行った。

「な、何で手を離しちゃったんですか!?」

「『いつまでも掴んでないで』って、言ったから」

「変な所で素直にならないで下さい!」

 ティナとムルのそんなやり取りを背に、チャッタは群衆の下に駆け寄る。

 なんとか人波をかき分けて、イミオンの近くまでたどり着いた。


「すみません、質問があるのですが」

 跪いていたイミオンは、チャッタに気づくと笑みを浮かべた。聖職者らしい穏やかで清らかな笑みである。

「なんでしょう? 私で答えられることであれば」

「ありがとうございます。実は」

 しかし、チャッタがその質問をする前に、何者かが目にも留まらぬ早さでイミオンに接近してきた。


「あ、え、ムル!?」

「ーー何でしょうか?」

 突然近づいていたムルに、イミオンが戸惑ったような笑みを浮かべている。

 ムルは、無言でだだ静かにイミオンを凝視していた。いや、彼が視線を送っているのは、イミオンの顔ではない。それよりもう少し上の方である。


「まさか――ちょ、駄目だよムル」

 いけない、とチャッタが声を上げた時には、もう遅かった。

 ムルはひょいとつま先立ちをすると、何の予告も了承も得ずイミオンの髪をわしゃりと撫でたのである。

「なっ!?」

 群衆に衝撃が走った。風も止み、あれほど騒がしかった広場が静寂に包まれる。


 しかし何故か、最も衝撃を受けた様子を見せていたのは、ムルだった。

 彼はイミオンの髪から手を離すと、少し後ろに後退り、右手を小刻みに震わせた。


「硬い……」

 どうやら髪質が固く、お気に召さなかったらしい。イミオンは、額を出すように前髪を後ろにかき上げて固めている。その所為なのだろうか。

 ムルの不可解な行動と言動に、イミオンは顔色を変えて唇を引きつらせた。


「む、ムルさん! 失礼でしょ!?」

 ティナがいち早く我に返り、血相を変えてこちらに駆け寄ってきた。彼の後頭部に手を添えると、共にイミオンへ深々と頭を下げる。

 これではまるで、いたずらをした子どもと共に謝罪する保護者のようだ。

「いや、ハハハ……変わった方ですね」

「ほぼ初対面ですけど、そう思います」


 乾いた笑い声を上げたイミオンに、もう一度頭を下げながら彼女はしみじみと頷いた。

 なんとか大事にはならなさそうだと、チャッタは肩の力を抜く。気を取り直して、イミオンに先ほどの質問をしようとしたところ、何故かティナに腕をがっしりと掴まれてしまった。

 そのまま、信じられない力で彼女に腕を引かれていく。


「本当に、申し訳ございませんでした! では、失礼します!」

「えええ!? あの、ちょっとティナちゃん。僕の用事は!?」

 ティナに引きずられるようにして、チャッタたちは強制的に広場を後にした。



「ごめんね、ティナちゃん。君に気まずい思いをさせて、おまけにムルのことで謝らせてしまって。……けど、それとこれは別だと思うんだけど、どうだろう? 僕はまだあの方に用事があったんだけどなー?」

「チャッタさん。私は無理です! 神官様への質問は諦めて、教会の見学も時間を改めましょう⁉ もう! チャッタさんはまともだと思ったのに」

「え、何?」

「なんでもありません!」


 教会から距離をとろうとするティナに合わせ、足早に歩を進めていると、何かが彼女の胸元から零れ落ちた。軽い音を立て、砂の道の上に転がりながら落下する。

 すかさずムルが彼女の手からするりと逃れて、それを拾い上げた。


「あ――」

 ティナは小さく声を上げて、異常な速さでムルの手からそれを奪い取った。彼女らしくない乱暴な動作に、チャッタは目を丸くする。


「どうしたの? ティナちゃん」

「えっあ、あの……すみません」

 言われて初めて気がついたとばかり、ティナは自分の行動に戸惑った様子で目を伏せた。

 拾ってくれたムルにも失礼な態度をとってしまったと、彼女はムルに謝罪の言葉を口にする。


 ティナの手の中にあるのは、親指ほどの大きさの、くすんだ灰色の石だ。鈍色の細かい鎖がついているので、ペンダントなのだろう。

 ティナはしばらく黙っていたが、やがてポツリと呟いた。


「これ、死んだあの人――母が遺した物なんです」

「っ、それは――」

「私が小さい頃、このペンダントだけを遺して逝ってしまいました。せめてもっと良い物を遺してくれれば良かったのに。こんなもの、私がどんな想いをしたかも知らないで……」


 ティナはその石を指で軽く擦りながら、憎らしげに吐き捨てた。彼女の眼差しは、とても母親の形見を見つめているとは思えない。

 日が沈みかけ、全てのものが赤橙色に染まっていく町で、ティナの顔色だけが薄暗い。

 チャッタの気遣う眼差しに気づいたのか、彼女は慌てて顔を上げた。


「すみません! 私ったら、何を言ってるんでしょうね。その、気にしないで下さい。あんな人のこと、もうどうでも良いんですから。さあ、行きましょ!」

 ティナは不自然なほど明るく笑うと、再び二人の手を引いて歩き出した。

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