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水の蜂  作者: 寺音
第一章
14/103

第14話 遺されたもの

 大きな音と飛沫を上げ、残りの檻が崩れていく。イミオンが意識を失った為、同時に魔術の効果も切れたのだろう。

 チャッタたち三人の上に、冷たい水の粒が降り注ぐ。

「私、こんな風に水に濡れたの初めてです」

「うん、僕も」

「……ちょっと嬉しそうに言わないでくれる」

 はしゃいだ様子のチャッタとティナを眺めて、アルガンは溜息混じりに呟いた。


 ムルは三人の様子を見て、軽く息を吐く。そして倒れて動かないイミオンの服に手を伸ばし、その中を無遠慮に漁り始めた。戦いの余韻など微塵も感じさせない、淡々とした雰囲気である。

 やがて彼はイミオンの懐の中から、指先で摘める程の小さな球体を取り出した。


「これ、皆の水」

「これが?」

 チャッタとティナは彼に駆け寄り、手のひらの中を覗き込む。魔術で作られた水の球体は、深い青色に輝いており、正に命の水と言うべき美しいものだった。

「無事に取り返せたんだね。良かった」

 チャッタは安堵の息を吐き、ティナに向かって微笑みかける。釣られたようにティナも笑みを浮かべた。


「でもこれだけじゃ足りない、と思う」

「そう、なんですか……!?」

「そう言えば、やけに小さいね」

 取り返せたのはあくまで一部、なのだろう。他の水は既に使われてしまったか、もしくはもう何処かへ運ばれてしまったのだろうか。


「水、あると言えば、あるけど……」

「さすがに戦った後の水はマズイだろ。って言うか、無理。ほら、やっぱり無駄遣いじゃんか」

 床に散った水を眺め、アルガンの苛立つ声が聞こえてくる。

「まあ、それだけでも持って、上に戻った方が良いんじゃないの? ここに怪我人も居るし」

 続けて発せられた言葉に、チャッタたちは慌てて彼の下へと戻った。二人よりも早く駆けつけたムルは、アルガンの傷口を凝視している。心配しているようだ。


 

「そうだ! ムルさんが水の蜂なら、アルガンさんも町の人も治せますよね!?」

 ティナがパッと表情を明るくして両手を合わせる。しかし、チャッタとアルガンは苦い表情を浮かべ、ムルは首を横に振った。

「無理」

「え? どうして……」

「ムルは記憶がないんだ。自分が水の蜂だということしか分からないそうだよ」

 ティナは驚いた様子で、彼に視線を向けた。ムルの表情には何の変化も見られない。

 チャッタはムルの代わりに言葉を続ける。


「その影響なのかどうなのか、ムルは『水の形状変化』以外の魔術が使えなくてね。水を生み出したりも怪我を治したりもできないそうだよ。……ああ、毒は元々水の蜂の針が持っているものだから使えるんだけどね。殺生を好まない彼女達の、自衛手段の一つなんだろうね」

「魔術は俺の方が上だからな!」

 アルガンの言葉に、ムルは素直に頷く。

「だからムルは、僕らと一緒に記憶を取り戻す旅をしているんだ。水の蜂の痕跡を追っている僕といれば、きっと記憶を取り戻すことができるだろうってね。そもそも、もしムルが水の蜂としての記憶があったら、僕は旅なんてせずに連日彼を質問責めだよ!」

 チャッタは片目をつぶって少しおどけて見せた。妙に納得してした様子で、ティナは深々と頷く。


「さて、とにかく早く戻ろうか。町の人が心配——あれ、ムル?」

 チャッタが顔を上げて振り向くと、ムルはいつの間にかアルガンの傍を離れ、一人壁際に立っていた。ただ黙って目の前の壁を凝視している。

「む、ムルさん?」

「ここ」

 よく見るとムルが凝視していたのは壁ではなかった。壁の色と同化していて分かりづらかったが、どうやらそこに扉があるようである。


「ティナ、ペンダント」

「え? な、どうしたんですか?」

 疑問の声を上げながらも、ティナはムルの下へ駆け寄る。

 扉の横に小さな穴があった。それはちょうど、彼女のペンダントが収まりそうな大きさである。まさかここが、イミオンの言っていた隠し部屋だろうか。

 ティナはムルと視線を合わせると、首のペンダントを外し、それについた石を恐る恐る穴に合わせた。ぴったりだ。


 その途端、重々しい音と共に扉が開かれる。地上に出たのかと思うほど眩い光に包まれ、チャッタたちは思わず目を伏せた。

 ムルは光にすら動じる事なく、さっさと扉の中へ入っていく。

 

「えっと、ムルが行っちゃったけど、アルガンは大丈夫?」

「今更だろ。俺だけ除け者も気分悪いから行く」

 そう言うとアルガンは小走りに駆け出し、ムルの後に続く。元気そうな姿に安堵し、チャッタとティナも部屋に入った。



 そこは、薄く蒼色に光る空間だった。左右に立った四本の柱、壁も床も天井も全て、青色の半透明な石を組み合わせてできている。空の色みたいとティナが呟いた。外の空間よりは格段に狭く、全員入ると殆どいっぱいになってしまう。

 柱に触れてみるとひんやりと冷たく、どこか水に触れている感覚に似ていた。筆舌に尽くしがたいほど、美しい空間である。

「ん?」

 違和感を覚え、チャッタは部屋の壁を食い入る様に見つめた。壁に何かが刻まれているのである。


「この部屋……オアシスの歴史が刻まれている!?」

 目を剥いて、チャッタは壁の凹みを指さした。

「ほらここ! ここに文字が彫ってある! 所々筆跡が違うし、書かれた文字も文体も次第に新しくなってる。ここに出入りしていた人が、順に記録を残していったんだろうか!?」

 ティナやアルガンは壁を見上げて首を捻る。意味の分かる単語もあるだろうが、彼らにはほとんど不思議な記号の羅列にしか見えないだろう。

 チャッタだけがその文字を、淀みなく読み取っていく。

「昔はこの空間全てに水が満ちていて、人々の生活を潤していたみたいだ。でも水の蜂が居なくなって、次第に水が減っていって……ここで記録が途切れてる。やはり水は枯れてしまったのか」


「枯れてない」

 強い言葉でそれを否定したのは、ムルだった。チャッタたちが振り返ると、彼は部屋の一番奥にいた。そこは、祭壇のように他の場所よりも数段高い位置にある。彼は足下へ視線を注いでいた。

「ムル? どうして……」

 ムルは首だけで振り返ると三人を手招く。顔を見合わせ、チャッタたちはムルへ近寄った。

 段差を登り、ティナが大きく息を呑む。


 階段の上には、教会にあったような窪みがあった。寝台を二つ並べたくらいの広さと深さである。

 そこが今、見たこともないほど純度の高い水で満たされていた。周囲の光を反射し、星のようにキラキラと輝いている。少し間を開けて、ムルが口を開いた。

「まだ枯れてない。ずっと、守られていたんだ」

 チャッタが顔を上げ、あ、と小さく声を発する。彼は引き寄せられるように、奥の壁へと近寄った。刻まれた文字に目を通し、思わず目を見張る。


「――ティナちゃん」

 優しげな笑みが浮かべ、チャッタはティナを手招いた。

「見てごらん。これは、君が見るべきものだ」

 首を傾げ、ティナはゆっくりと壁に近寄る。そこには彼女にでも読める文字で、こう刻まれていた。


『歴代の守り人が守ってきた水も とうとうこれだけになってしまった ここはもうとっくにオアシスとしての意味は失っている それでも絶やす訳にはいかない これは長い歴史の中で守り続けてきた 彼女たちとの絆の証 渇きに打ち勝つ希望なのだから』


 ティナは刻まれた文字に指を添わせた。指先が最後の一文に触れた時、彼女は息を詰まらせる。

『私の大切な人々が渇きに苦しむことがありませんように 愛する娘 ティナが幸せでありますように』

「おかあさん……」

 そう。ティナの母親はここで、このオアシスを守り続けていたのだ。秘密を守るために、たった一人で。

 ティナが胸に両手を置いた。唇を震わせて、喘ぐように息を吐く。


「良かったな」

 ムルが呟いた。チャッタは目を優しく細めながら、ムルの言葉に続くように言う。

「ティナちゃんのお母さん、すごく素敵なものを遺してくれたんだね」


「——はいっ」

 目に涙を浮かべながら、ティナは笑顔で頷いた。

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