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水の蜂  作者: 寺音
第一章
12/103

第12話 真

「アルガン……!?」

 チャッタの喉元を狙った水の刃は、代わりにアルガンの右肩を深く貫いた。赤い雫が床に落ち、水と混ざり合っていく。

 血染めの刃は、役目を終えたとばかりに飛沫を上げて崩れていった。


「アルガンさん!!」

 ティナの、アルガンを呼ぶ声に悲鳴が混じる。

「あのさ、馬鹿なの? 簡単に油断してんじゃねぇよ。それに、どうしてアンタの方が狙われてんの? 昨日の事と言い、一般人より狙われるってもう笑うしかないんだけど」

 痛みを誤魔化すためなのか、アルガンの口数はヤケに多い。チャッタは血が滲むかと思うほど唇を強く噛み締める。

「チャッタさん、アルガンさんは……」

 ティナに問われた彼は、指先でそっとアルガンの傷口近くに指を添わせた。

「大丈夫。傷は深いけど——」


「致命傷は避けたはずだが? 貴重な検体だからな」

 チャッタの心臓が大きく跳ねる。彼の言葉を遮って、頭上から低い男の声が響いた。

 チャッタは咄嗟に、アルガンを抱えてその場から跳躍する。

 彼らがいた後に、何者かがフワリと降り立った。白地に黄金の刺繍が映えるその衣は、誰が現れたのか一目瞭然だった。


「い、イミオンさま……?」

「ふむ、上からの潜入と言うのも、これでなかなか趣向が変わって愉快なものだな」

 頭上を眺めて悠々と呟くのは、神官のイミオンだ。あの時感じたいかにも神職者と言った雰囲気は形を潜め、全く別人のように感じられる。

「ど、どうして……」

「——もう演技は止めたのかい」

 チャッタはアルガンを左腕で抱え、イミオンを睨みながら問う。


「演技、ねぇ。私はちゃんとやるべき事をやっただけだが」

「ふうん。あの治療と称してやった事も、やるべき事?」

 チャッタの問いに、イミオンは少しだけ眉を動かす。


「仲間が調べてくれたよ。倒れた人々にはある共通点があった。前日に貴方の治療を受けていたってね。恐らく怪我人や病人に針を刺した時、人から——水を奪い取っていたんじゃないか?」

「っ、そんな……!?」

 ティナは息を呑み、イミオンを見つめた。最初の老人はおそらく彼が用意した()()()だろう。皆彼の演技に騙されていたのだ。チャッタの胸から、ふつふつと怒りの感情が湧き上がってくる。

 アルガンを襲った魔術は恐らくイミオンのもの、彼は敵だ。


 沈黙していたイミオンの口元に、笑みが浮かぶ。それは次第に妖しく、歪んでいく。

「手間賃だよ、アレは。人の身体の七割は水分だ。ほんの少しいただいた所で、致命傷にはならないさ」

 悪びれもせずそう言って、彼は饒舌に語り始めた。


「この時代、水を持っている者が勝者だ。出世するには、聖人君子や水の蜂の称号よりも水そのもの、そして魔術の力だ! その赤毛の少年、『悪魔の魔術』だと? ハハッ、まさか本当にいるとはな……!」

 アルガンは歯を食い縛り、精一杯イミオンを睨みつけている。その顔色は酷く青白い。


「驚くべき事に、この少年は自らの身体から炎を生み出している! それはまさしく水の蜂が使っていた魔術、『水を生み出す力』と同質の魔術ではないか!? 長年どんな者が手を尽くしても創り出せなかった力だ! 一体どんな擬似魔術器官をその身に宿している? そして、それが国の手に渡っていないのは何故だ!? この少年を調べ、その謎が解ければ——きっと私はもっと高い地位を、名誉を、力を手にする事ができる!!」


 まるで演説だった。吸い寄せられたように、イミオンから目が逸らせない。襲われた時とも違う、別の恐ろしさがチャッタの体を震わせた。


「まさかこんな小さく貧しい町で、このような幸運に恵まれるとは……私もつくづく運が良い!」

 そこでイミオンは、何故かティナに視線を向けた。纏わりつくような視線に、ティナはグッと息を詰まらせる。

 彼は目を細めて指先を上げ、彼女の胸元を指差した。

「それと、女、貴様だ。そのペンダントを渡して貰おうか」

「な、何であなたまでこれを……?」

「奇妙なことを言うな? 貴様らもここが水の蜂が遺したオアシスだと知って、ここに来たのだろう?」

 イミオンは少し意外そうな顔をして言う。


「だったら、何だって言うんだ?」

「このように、水の蜂が作ったオアシスはいくつか発見されているが、決して数は多くない。そして、そのオアシスには必ず隠し部屋と鍵の存在が不可欠だ」

「鍵って——彼女のそれが、そうだと?」

 ただの石で、ティナの母親の形見だと思っていたペンダントが、重要な鍵なのか。チャッタはティナの胸元を一瞥する。

 イミオンは薄く笑っているだけだった。それ以上話すつもりはないのだろう。


「これが……そんな、まさか……?」

「どうした? 貴様が持っていても宝の持ち腐れだろう。安心しろ、この私が責任を持って、この国と人の存続の為に有効活用してやるさ」

 言葉とは裏腹、悪意に満ちた笑みを浮かべ、イミオンはティナに近寄った。彼女は俯き胸元のペンダントを見つめている。

「ティナちゃん!」

 チャッタは思わず声を張り上げた。


「君の本当の気持ちを言って。君は本当は――」

「貴様は黙っていろ! 良いから、さっさとそれを渡せ!」

 イミオンの怒鳴り声にも怯まず、チャッタは静かにティナを見つめる。

 母を疎ましいと、憎んでいると言いながら、それでも十年もの間、ペンダントを持ち続けてきた意味がきっとあるはずだ。やがてティナは顔を上げると、瞳に強い決意を込めて叫んだ。


「嫌よ!!」

「何故だ? 貴様、そのペンダントはいらないんじゃなかったのか? ……価値を知って、惜しくなったか? あさましいな」

「違う!」

 ティナが首を激しく振って叫ぶ。もう彼女は、自分の本当の気持ちを隠すのは止めたのだ。


「本当は、始めから『いらない』なんて思ってない! ムルさんの言う通り、嘘なのよ。あの人の――お母さんのことを嫌いになってなんかいない。他人がお母さんのことを悪く言うたびに胸が痛んで、本当はお母さんはそんな人じゃないって叫びたかった。でも小さい頃の私はそれができなくて、それがずっと悔しくて……!」

 ティナの瞳に、うっすらと涙が溜まっていく。


「これは、どうでもいいものなんかじゃない。これにどんな秘密があっても、どんな価値があっても関係ない!」

 声を震わせながらも、彼女は気丈にイミオンを睨みつけた。


「これはお母さんが、私に遺してくれた大事なペンダントなんだから!」

 彼女の叫び声が、空間に反響する。力強い音がやがて吸い込まれていった後、肩で大きく息をしているティナの頭に何かが乗った。


「よく言った」

「ムルさん……!?」

「ムル!?」

 いつの間に、と、チャッタは目を見開く。ムルがティナの横に立ち、彼女の頭に優しく手を置いていた。


「アンタさ、どんだけタイミング良いんだよ」

 アルガンが小さく舌打ちをして口を開く。

「話の途中だったから、遮って良いのか迷ってて」

「マジで見計らってたのかよ……」

 彼は呆れて脱力するが、その表情には確かな安堵が見える。


「何だ、貴様は?」

 イミオンがそんなムルに嘲笑を送る。しかしムルは気にした素振りも見せず、視線を下げた。

「ここ、水があるのか」

 彼の言葉の意味が分からなかったのか、イミオンは怪訝そうに眉を顰める。

 確かに今、この空間には先程からの戦いで、水がそこら中に散っていたが。


「どうした、水が珍しいか」

「いや」

 再び嘲笑混じりの言葉を浴びても、ムルは平然としている。

 彼は片膝をついてその場にしゃがみ込むと、足下の水にそっと触れた。

「助かる」

 指先で水を掬うと、ムルはそれを天に向けて放った。


 揺らめき、僅かな光を反射して、一粒の滴がちらちらと輝いている。刹那、宙に浮いて、真っ直ぐ真っ直ぐ、ムルの手の中めがけて落ちて行く。

 力強く彼は、水を掴んだ。

 手のひらが一瞬、蒼く眩い光を発したかと思うと、その手の中で何かが形作られていく。彼は勢いをつけ、腕を真横にピンと伸ばす。


「な――」

 イミオンとティナが目を見開く。

 驚くだろうなアレは。チャッタはまるで遠くを見るように目を細める。いつ見ても、彼の力は綺麗だ。


 チャッタたちの視線の先で、ムルは手に一本の針を携え泰然として立っていた。

 二の腕ほどの長さもある針は、彼の手の中で透き通った輝きを放っている。腕を上げ、ムルは針の先をイミオンへと向けた。

「おい、髪がカチカチなお前」

 ムルの声が、凛と強く響く。

「本物の蜂、見せてやる」

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