「お前を愛することはない」とそうあなたがおっしゃったから。〜断崖絶壁から身投げをしたら、何故か溺愛がはじまりました??
「お前を愛することはない」
そう冷たく言い捨てる目の前の美丈夫、わたくしの大好きなリヒト様。
リヒト・デ・オウラ・リーエールシュタイン侯爵。
この婚約が政略婚的なものだというのは重々承知している。
そもそも、成り上がりの男爵家の令嬢程度のわたくしが、若くして侯爵位を継いだリヒトさまのお相手に選ばれるなんて普通だったらありえる話ではない。
お金で爵位を買ったと蔑まされているレイニーウッド男爵家はそれこそほんとうにお金だけはある家で、歴史あるリーエールシュタイン家を支えるためにと、リヒト様の後見人であるロックマイヤー公爵様の口添えのおかげでこうして彼のパートナーとなるべく婚約式にまでこぎつけた、のだけれど。
やっぱり彼、リヒト様はそれを快くは思ってくださらなかったみたい。
だけど、こんな祝いの席で。
こんな、公衆の面前で。
こんなふうに面と向かって宣言されると、ね。
流石に傷つく。
今日のこの日のために準備したこの純白に薔薇の刺繍の入ったドレスも。
念入りに下地から作り上げたこのお化粧も。
ダイエットに励んだり、先生を呼んで所作を習ったり、それら全てがみんなリヒト様に相応しくありたいと努力してきた結果なのだけれどそれも。
無駄、だったのかな。
ううん。それよりも。
わたくしはもしかしたら、とんでもない間違いをしでかしてしまったのだろうか。
「リヒト様はもしかして……。わたくしとのこの婚約は、迷惑だったのですか……?」
小声でそう口を開くのが精一杯だった。
彼の目を見るのが怖くて、下を向いたまま、なんとかそう声にして。
(だめ。せっかくのお化粧が崩れてしまう……)
じわっと涙が溢れてきそうになるのをなんとか堪え。
「ああ。迷惑、だ」
ああ、だめ。
わたくしのことを愛してもらえるだなんて思っていたわけじゃ無い。
そこまで烏滸がましいことを考えていたわけじゃぁない、けれど。
それでも。
リーエールシュタイン侯爵家に尽くして、リヒト様のお役に立てば。
せめて利用価値がある、くらいにでも思ってもらえるならそれでいい。
そう思っていたのに。
もしかしたら、ロックマイヤー公爵様に逆らえずこの婚約を渋々お受けになったの?
もしかしたら、リヒト様には他に心に思うお方がいらっしゃったの?
だったら。
だったら。
ああ。わたくしはどうすればいいのでしょう。
ここまできてしまったら、この婚約を無かったことにするのは難しい。
もうわたくしとお父様の思惑だけの問題ではなくなってしまっているもの。
ダメ。
我慢、できない。
涙がぼろぼろ溢れ出し、お化粧が崩れていく。
「ごめんなさいリヒトさま。わたくし、お化粧を直してきます」
それだけ言うと控え室に向かって駆け出していた。
わたくしは、間違えたのだ。
それも、取り返しのつかない過ちをしてしまった。
控えの間で待機していた侍女のニアにお化粧を落としてもらう。
崩れてぐちゃぐちゃになってしまったお化粧は見苦しく、もう全部落としてスッキリしたかった。
「お嬢様、お化粧をし直します?」
「ううん。いいわ。もうあそこには戻りたくないの」
「そんな。今夜はお嬢様が主役の晴れ舞台なのに」
「そう、ね。でも、もういいのよ。挨拶が終わればもう皆わたくしのことなんか気にもしないわ。それよりも、なんであんな男爵風情の令嬢が、とか、成金男爵め金で婚約者を射止めたのか、とか、そんな声も聞こえてきたもの。わたくしなんかいないほうが良いのだわ」
「そう、ですか。お嬢様。それでは馬車を手配いたしますね」
ニアはバツの悪そうな顔をして部屋を出て行く。
自嘲気味なわたくしのセリフに返す言葉がない、といったところだろう。
男爵家が周りからどう言われているかくらい、彼女もよくわかっているからなおさらだ。
うん、でも。どうしようか。
わたくしはリヒト様が大好きだ。
それこそ、生まれる前から好きだ。
最初にこのマギアクエストの、私が大好きだったゲームの世界に生まれてきたと理解した時には歓喜したものだ。
あのリヒト様に会えるかもしれない。
お近くで一目見る事ができるかも、そう思うだけで幸せだった。
私の最推し、薄幸の美少年、リヒト・デ・オウラ・リーエールシュタイン侯爵。
若くして両親を事故で亡くし、愛を知らずに育った少年。リヒト様。
悪いおじさんにお家を乗っ取られそうになったところでロックマイヤー公爵に助けられて、侯爵となった彼。
そのどことなく影を背負った姿に、私はメロメロになって。
そんな彼、ゲームのヒロインの男爵令嬢のことを憎からず思っていたけれどなかなか恋にまで発展しない、というジレジレキャラで、私もけっこう攻略に苦労した記憶が残ってた。
このルートのヒロインは、男爵令嬢という情報しかない、そんなキャラだ。
マギアクエストは自キャラの名前も容姿も全部自分で決められる。
私は雨森亜里沙という本名をもじって、アリティシア・レイニーウッドって名前でゲームをしていたから……。
てっきり自分の事をヒロインだって思い込んでいたのだ。
だから、健気にアタックしていればそのうちにリヒト様も心を開いてくれるはず。
そう思っていた。
なかなか相手にされない日々が続いていたけど、こうしてやっと婚約者にまで上り詰めた!
そう、喜びすぎて肝心の彼の気持ち、好感度も含めて、考える事ができなくなっていた。
ほんと、どうしよう。
わたくしは、彼、リヒト様が好きだ。
彼に幸せになって欲しくて今まで頑張ってきた。
それなのに。
「迷惑だ」
って。
真顔でそういわれてしまった。
それが悲しくて。
♢ ♢ ♢
馬車には一人で乗り込んだ。
来る時にはニアも一緒だったけど、彼女にはお父様に言い訳してもらわなきゃいけないからとお願いして残ってもらうことにした。
「ねえ、キール。海がみたいわ。トージン岬まで行って貰えるかしら?」
「トージン岬だなんて言ったら隣町じゃないですか。お帰りが遅くなりますよ」
「今日はあまり早く帰りたくないのよ。ねえ、お願い」
「しょうがありませんね。でも、海を見るだけですよ? 見たらすぐ帰りますからね?」
「うん。ごめんねキール。わがまま言って」
「いえ、お嬢様、わがままだなんて。俺はレイニーウッド家に雇われてる御者ですからね。本来お嬢様が行きたいとおっしゃるなら口答えしちゃいけないんでしょうけど」
「ううん。ごめんなさい。キールがわたくしの事を考えてくれているのはよくわかるわ。だから。ごめんなさい……」
どうしようと悩んだけど、リヒト様のためにできることはもう一つしか思い浮かばなかった。
わたくしが姿を消せばいいのだ。
そうすれば全てわたくしのせい、という事でこの婚約を解消する事ができるはず。
隣町まではそこまで遠くない。我が家の高性能な馬車なら四半時もあれば辿り着けるはずだ。
わたくしが口をつぐむとキールも御者に集中しだした。
職務に忠実なキール。
わたくしをちゃんとトージン岬まで連れて行ってくれるだろう。
だから。
潮風が気持ちいい。
トージン岬はその絶景も有名だけれど、自殺の名所としても有名なところ。
断崖絶壁の上に立ち海を眺めて。
「お嬢様、そろそろ戻りましょう。ほら、そんな端まで行くと危ないですよ」
ふらふらと断崖を歩くわたくしに、心配そうにそう言うキール。
わたくしは彼に笑顔を見せて。
彼には聞こえない程度に小声を漏らす。
「ふふ。ほんとごめんねキール。わたくし、もう疲れたのよ」
悪意のある噂にも。リヒト様のお言葉にも。
やっぱり私なんかがヒロインなんて、おかしいと思ったんだ。
なんで考えが及ばなかったんだろう。
リヒト様にはわたくしなんかよりきっともっといいお相手が居るはず、って。
周囲の悪意も、その事実を指し示していたのだって。
せっかくこの世界に生まれてきたのに。
間違えなければ、近くでリヒト様を見ているだけならできただろうに。
わたくしが高望みせず、侯爵家を支えるビジネスパートナーとしての立場に甘んじていれば、きっとうまくいったのに。
もう、これ以上は、無理。
だから。
ごめんなさいお父様、お母様。支えてくれたみんな。キールも、ほんとごめんね。
わたくしはこのままこの断崖絶壁から海に身を投げます。
ごめんなさいリヒト様。
わたくしのわがままで、あなたの経歴に傷をつけてしまった事、お詫びします。
さようなら。リヒト、さま……。
急に吹いた潮風に体がさらわれたように見えただろうか。
わたくしは風にあおられ足を踏み外した、ように演じてみせた。
証人はキールだ。
あくまでこれは事故。
そう。
自殺じゃない。不慮の事故。そう認定されなければいけない。
わたくしが自殺したなんてことになったら、きっとあらゆる方向に影響が及ぶ。
でも、事故であれば。
わたくしは最愛のリヒト様に迷惑をかけずにフェードアウトできる。はず。
もう、それしか方法が思い浮かばなかったから。
風が、気持ちいい。
恐怖は感じなかった。
リヒト様が幸せになれば、それでいい。わたくしなんていなきゃ良かったんだ!!
♢ ♢ ♢
目をあけるとそこにはよく見知った天井。
っていうか、わたくしのベッドの上の天蓋の綺麗に彩られた模様が見える。
夢?
わたくしは崖から飛び降りたはず?
まさか、わたくしは助かったの?
「どうして……」
助かっちゃったら意味がない。わたくしが彼の前から姿を消さなきゃ、婚約は解消されない。
リヒト様の人生を狂わせてしまった償いができない。
どうしよう……。
そう考えていた時だった。
「おはようございますお嬢様。今日は待望の婚約式の日ですからねー。お嬢様が主役のパーティですもの。私、腕によりをかけてお嬢様を綺麗にしてみせますからね」
「ニア?」
「どうしたんです? お嬢様。昨夜はあんなに喜んでいたじゃないですか。もしかしたら興奮して眠れなかったとかです? 明け方まで起きていらっしゃったのなら、まず湯あみからですかねぇ? ああ、目が腫れていらっしゃる。まずお風呂場であたたかいタオルで目を休めましょうね」
うそ。
あれは夢? だったの?
ううん、違う。
夢にしてはリアルすぎた。
これはまるで、リセットしてセーブ地点に巻き戻ったかのよう、で。
わたくしが自殺をしたことで、時間が少し巻き戻った?
かもしれない。
ううん、夢でも巻き戻りでも構わない。
やり直すチャンスがもらえたのだもの。今度こそ間違えないようにしなきゃだ。
どうせならもっと過去に巻き戻ってくれれば良かったのにな。
そんな事もあたまをよぎるけれどしょうがない。
今のここは婚約式のその日の朝なんだもの。
今できることをしなくっちゃ、だ。
ニアがいつものお化粧をしようとするのを断って、わたくしは薄くファンデと頬紅、そして口元に薄くピンクな紅を引いた。
他の美人のお貴族様の令嬢方と張り合うように、ゴテゴテと塗りたくっていたお化粧。
まずそれをやめてみる。
っていうかこのままリヒト様に会ったらまた泣いちゃいそうで、そうしたらお化粧崩れちゃうし、ってそんなふうに考えたら、お化粧するのもバカらしく思えたから。
リヒト様に相応しくありたいと思って始めたお化粧だったけど、わたくしは背伸びしすぎたのだ。
きっと。
ドレスは薔薇の模様が浮き出た純白のドレス。
薔薇も、純白の糸で刺繍してある。
見た目よりもお金、かかってるんだけど、まあこれしかないからしょうがない。
お顔のお化粧をやめてアクセサリーをゴテゴテ飾りつけるのをやめて、少しはおとなしくみえるだろうか?
今日はもうでしゃばらず、彼にお別れだけ言ってお家に帰ることにするのだから。
自殺してまた時間が巻き戻ってしまったら意味がない。
でも。
もう一度死んだ気になったのだ。わたくしだけが恥をかく形での婚約破棄ならきっと怖くない。
リヒト様のために、なら。
なんでもできるはず、だから。
お父様にエスコートされリヒト様の隣に並ぶ。
彼はこちらを見ていない。きっとこのまま、「お前を愛することはない」と言われてしまうんだろう。
だけど、だったらその前に。わたくしの方から。
「ねえ、リヒト様。この婚約はやめにしましょう。お互いが望まない婚約などしたくはないでしょう?」
会が進みみな盛り上がってきたところでわたくしはそうリヒト様にだけ聞こえるくらいの声で。
前回だったらそろそろリヒト様のあの発言が飛び出す、そんなタイミングで切り出した。
驚いた顔をしてわたくしを見つめる彼。
今日初めてわたくしの顔を見てくださいましたね。
それだけでもわたくしは満足です。
ん?
リヒト様、固まっていらっしゃる。
どうして? そんなにもわたくしのこの言葉が信じられないものだったのでしょうか?
わたくしの顔をじっと見つめて。
だんだんとそのお顔が赤く変化していく。
どういうことでしょう、もしかしてわたくし、彼を怒らせてしまったのでしょうか?
「君は……アリサ、か?」
え?
「どうしてその名前を……?」
「ああ、そうか。あの食堂はレイニーウッドの経営だったか。なら、そうか……」
なんだかぶつぶつと言い始めたリヒトさま。
っていうか食堂? アリサ? それってわたくしが経営している『キャッツハウス』のこと?
日本人時代に好きだった食べ物をあつめた食堂。けっこうお貴族様にも地味に美味しいってウケてるのは知ってるけど、みんなお忍びでいらっしゃるし、まさかリヒト様もきてくれてただなんて。
アリサっていうのはわたくしがホールに出る時の偽名。普通のウエイトレスの格好をして、いらっしゃいませって笑顔を振り撒いていた。
店長には止められたけど、やっぱり体を動かして働くのって結構楽しくて、やめられなかったっけ。
「リヒト様、キャッツハウスにいらしてくださってたんですね」
「ああ。アリサ。っていうか、君に会いたくて……」
え?
「わたくしに、ですか?」
「君の笑顔にどれだけ救われたかわからないよ。そうか。ごめん、ぜんぜん気が付かなかった。君がアリティシアだったなんて」
え? でも、それって。
「あの、リヒト、さま? お互いのためにもこの婚約は解消した方がいいと思うのですけれど……」
「嫌だ。アリサ。それにもう婚約解消だなんてできる状態じゃないよ? って、まさか、君には別に好きな人がいるのか!!?」
「いえ、わたくしにはそんなお方いませんけど……」
「そうか。なら良かった。僕は君との婚約を解消しようだなんて微塵も思っていないからね。だから、この先もずっと、一緒にいてくれないか」
真剣な目でそうおっしゃるリヒト様。
堪えていた涙が溢れてくる。止まらない。
「はい。リヒト、さま……」
溢れた涙がポロポロと溢れる。
わたくしは俯いたまま、それだけ返事をするのがやっとで。
「ありがとう、アリサ。いや、アリティシア。君を、愛してるよ」
そう言って。
彼はわたくしのほおの涙をぬぐい。
そのままそっと口付けをくれた。
「愛してます。ずっとずっと好きでした。リヒトさま」
真っ赤になってそう告白するわたくしに。
「ありがとう。嬉しいよ。君を、幸せにするよ」
満面の笑みでそうおっしゃってくれた彼。
物語のヒロインになれた、そんな気分になれた幸せな夜だった。
FIN