2.その日の夜
「充。今日返ってきたテストを見せなさい。」
夕食前、一息つく為にソファで寛いでいる時に父さんから声をかけられた。
「わかった。」
言われた通りに、部屋に戻り返却された小テストの答案用紙を持ってくる。父さんは受け取ったそれを一瞥するなり、「ふむ、次はしっかりな」とだけ答えた。
冷や汗が出てきた。背中に悪寒が走る。
「充ちゃんは将来必ずお医者様になるものね!大丈夫!パパとママに任せて!充ちゃんをしっかりと守ってあげるからね!」
母さんが少し鼻息を荒くしながら捲し立ててくる。
この2人のおかげで僕は好成績の優等生として過ごせている。2人が矯正してくれてなければ僕は優秀にはなれなかっただろう。不満はない、はずだ。いい成績をとればその分2人は喜んでくれる。僕はそれが嬉しい、はずだ。
「いいか、充。お前は上に立つ優秀な人間なんだ。周りにいるつまらんクラスメイト共に絶対に抜かれるんじゃないぞ。優秀な人間はこんな所で躓いたりなんぞしない。成功してもそこで満足はするなよ?評価なんぞ周りのバカどもが勝手に持ち上げてくれるもんだ。」
「はい、お父さん」
今まで父さんの言うことに間違いはなかった。言うことを聞いていなければ、小学校の同級生だった子に怪しい宗教に入信させられそうになっていた事に気付かなかっただろう。
言うことを聞いていなければ、ゲームや漫画にどっぷりとハマってしまい両親からどんな扱いを受けていただろうか。
僕にとってそれが一番恐ろしい事だった。そのために、期待にいつも答え続けていなければいけない。
正しいことを常に教えてくれる父親、何からも守ってくれる母親。
僕は愛されて、いるんだ。
「それで何点だったの?」
そう言って母さんは父さんが持っていた答案用紙を横から覗き込んだ。
母さんは点数を見て、一瞬眉をしかめた。だが、すぐにまたいつもの調子で「うん、うん。次は頑張りなさいね」と言って台所に消えていった。
ドッと冷汗が噴き出した。顔は青ざめ、歯がカチカチとなる。
『次はしっかりな』
『次は頑張りなさいね』
つまり両親とも今回の結果が気に入らなかったようだ。
ここで満足のいく出来なら
「次『も』しっかりな」
「次『も』頑張りなさいね」
と言われるはずだ。
あとたった1問だった。そうすればがっかりさせずに済んだ。
「今日はもう部屋から出るな。それと昨日渡した問題集を全て解きなさい。」
父さんの口から重々しい口調でそう言われ、僕は目を合わせることも出来なかった。
ただ一言。
「・・・はい。」
と答えるしかできなかった。
居間のドアを開ける直前チラリと台所を見ると、母さんが鼻歌交じりで何かをゴミ箱に捨てていた。
きっと僕の晩御飯だ。言いつけを守れなかったり何かミスをした時は、決まってその日の夕食を抜かれた。勝手に冷蔵庫に触れようものなら次の日は3食分抜きになってしまう。小学生の時に1度だけ3食分抜かれたことがあった。
食欲旺盛な時期に食事を抜かれる事ほど苦痛なことは無いだろう。それがあっただけで両親にはもう逆らわないと心から誓ったほどだ。
たった1問だけだった。この1問を逃してしまった自分が心底憎かった。原因は英単語のスペルミス。たったそれだけで自分は夕飯を食べることが出来なかった。次は絶対に間違えない。もう間違えてたまるものか。
部屋に戻った僕はすぐに勉強机に向かった。悔しさと後悔をぶつけ少しでも多くの問題を解くためだ。
問題を解く最中、部屋に響く腹の音が余計僕を苛立たせた。