♦ 番外編 衝撃のジャパンダートダービー
ユッカが千葉の乗馬クラブから帰厩した翌日、地方競馬の3歳馬による最大の祭典・ジャパンダートダービーが開催された。
【ジャパンダートダービーJpnI 大井2000m(外周り) 14頭立て 天候:小雨 馬場:不良】
なんといっても注目は無敗でUAEダービーを制した怪物ハシャ(騎手・武田)である。帰国後の初戦となった前走のユニコーンステークスでは、後続に3馬身をつけて快勝していた。
その勝ち方というのが、鞍上の武田は軽く仕掛けただけという、まさに楽勝だった。
2番人気には、こちらもJRA所属のメルジュエント(騎手・川畑)
ダート界の新星と注目されている。元々、デビューからダート戦を使い、強い勝ち方で2連勝した後は、芝へと路線を変更し、不良馬場の毎日杯を勝ち、クラッシクへと歩を進めていた。
皐月賞は9着だったが、不良馬場となったダービーでは果敢に逃げ、剛腕川畑の鞭に応え、粘りに粘って3着と大穴を演出していた。
520キロという馬体はまさにパワーを感じさせる。地方の深いダートならと未知の魅力に人気を集めている。
さらには、関東オークス馬マショリーナ(騎手・イストーリ)や兵庫チャンピオンシップ馬ビューンフライ(騎手・内戸)といったJRAの重賞ホース。
だが、それらをおさえて3番人気になったのは、東京ダービー馬グリングリーン(騎手・大空翔)である。
牝馬ながらに羽田盃、東京ダービーと牡馬を負かし、地方の期待を一身に背負っている。
他にも東京ダービーでは2着に敗れたが遅れてきた大物といわれるシンキャク(騎手・木林)や関東オークスで逃げて2着に粘ったアイウォンチュー(騎手・村下)。
他場からも兵庫チャンピオンシップで2着し、兵庫ダービーも勝ってきた園田のバウバウバウ(騎手・比嘉)。
各地のダービー馬も集結し、地方馬も最強布陣と大いに盛り上がっている。
『全馬がゲートにおさまり――スタートがきられました』
アナウンサーの弾んだ声が、電波に乗り、映像を見つめる人たちの耳へと届いていく。
『さあ、やはりこの馬。アイウォンチューが一気にハナへ』
鞍上の村下の頭を、調教師の言葉が流れていく――「今回は勝ちにいきましょう」
テキ(調教師)よ。やるかにはそうなくっちゃな。思いっきりやったるよ。
村下は胸の中で、そうつぶやくと手綱を持つ手を緩めた。
その瞬間、解き放たれたかのように、アイウォンチューのスピードが乗っていく。
最近のアイウォンチューは折り合う競馬に徹していた。関東オークスでも、完璧なペース配分で逃げていた。だが、勝ち馬には並ぶ間もなく差し切られ、1馬身半の差をつけられていた。
それは、桜花賞の時もそうだった。
これでは瞬発力がある馬には勝てない。
調教師も村下も思いは同じだった。
もし、そんな馬たちに勝てるとしたら、選ぶ道はひとつ。
勝つか惨敗か。折り合い知らずのアイウォンチューといわれていたあの頃のように、飛ばしに飛ばしていくしかない。
『アイウォンチューが飛ばしに飛ばしていきます。10馬身、いや、それ以上の差がついています。離れた馬群を引っ張るのは中央のメルジュエント。並んでグリングリーン。そして、ここにいます。2頭をがっちりマークするようにハシャが続いていく』
1頭を除いては、有力馬5、6頭が固まり先行馬群となり、その後ろを力が劣る馬たちがばらけて追走している。
スタンドはスタート後の歓声から、大型ビジョンが映し出した大逃げに、ざわめきが広がっている。
馬場は水が浮くような状況。もしかしたら、このまま――そんな思いと期待、はたまた不安が観客の胸に芽生え始めている。
このまま逃がすわけにはいかないことは騎手たちもわかっている。誰も追いかけなければ、このまま逃げ切られるかもしれないと。
だが、自分が先に動くと、追いかけてくる馬の目標、いや、標的となってしまう。
ハシャという怪物の餌食に。
騎手たちは牽制しあって動かない。動けない。
だが、山が動けば――向こう正面の半ばでハシャが動いた。
外から馬群をまくっていくハシャの動きに反応したのはグリングリーンの大空翔だった。
今や地方を代表する若手のホープである彼だが、中央に対しては人一倍の対抗心を持っている。
翔はかつて中央の騎手試験を受けたとこがあった。しかし、合格することができず、生産牧場で働きながら翌年の試験を目指していた。
だが翌年、彼が受験したのは地方の騎手教養センターだった。
彼がいた生産牧場の馬は地方競馬に行く馬がほとんどで、お世話になった人たちは地方の厩舎関係者や馬主で、その人たちに恩返しをしたいという気持ちが大きくなっていた。
だから、地方の騎手を目指すことが自然な流れになっていた。
それでも、いつも思っている。中央のやつらなんかに負けてたまるか。
内側のメルジュエントを置き去りにし、外側のハシャと馬体を併せて押し上げていく。
ハシャが強いことは、翔も十分承知している。
それでも勝つためにはこれしかない――グリーングリンの勝負根性信じて。
3、4コーナーで、早くも2頭がアイウォンチューを飲み込んでいく。
「ここまでか」
村下のつぶやき声は、どこか晴々としたものだった。
『2頭が並んだまま直線へ。少し遅れてメルジュエントが追い上げてくる』
直線に向くと、2頭は馬場の中央へ。
馬体はぴたりと合っているが、手応えの差は明らかだ。手綱を持ったままの竹田に対し、翔の手は激しく動いている。
だが、翔はあきらめてはいない。ここから根性をみせるのがグリーングリン。
勝てるとしたら、叩き合いに持ち込むしかない。グリーングリンを信じて。
翔が鞭を振り下ろすと、グリーングリンがハミを噛み締めるようにして、首が前と伸びる。
「がんばれ!」
声とともに、さらに鞭が1発、2発。
だが、武田の手は動かない。そんな彼の視線が内側のグリーングリンから外側へと流れていく。
迫い上げてくる影を感じ、馬を外へと流していく。もう内の馬には用はないといった感じで。
それでも翔は追い続ける。小さくなっていく影を追い、手を動かし続ける。
「がんばれグリーン! あきらめんな!」
相棒と自分自身へ声を送り続けた。
『外から一気にメルジュエント! ハシャが外へと寄せていく!』
ハシャとグリーングリンが向こう正面から競るように上がっていく中で、メルジュエントの川畑は動かずに脚をためていた。
そして、競る2頭を見ながらロスなく内ラチ沿いぴったりを周り、直線で外へ持ち出していた。
『川畑の鞭が飛ぶ!』
剛腕川畑の左鞭が激しく飛んでいる。それに応え、差が4馬身、3馬身、2馬身、2馬身、2馬身。
差は縮まらない。
そして、アナウンサーの興奮した声とともにゴールへ。
『ハシャ! ハシャ! ハシャ! 鞭などいらぬ、武田は手綱を持ったままー!』
まさに着差以上の圧勝。鞍上が追うことなくゴール板を駆け抜けていた。
2着には2馬身差でメルジュエントが入り、そこから6馬身差の3着に直線だけでビューンフライが追い込んできた。
そこからさらに5馬身差で壮絶な叩き合いが。
グリーングリンとマショリーナが馬体を併せての追い比べとなった。
馬体が並べば、後ろから追い上げてきたマショリーナのほうが断然有利である。現にいったん半馬身ほど前にでられていた。
だが、そこから食い下がり、最後の最後に頭だけ差し返していた。
まさに、それは地方馬グリーングリンの、そして、大空翔の意地だった。
終わってみれば、今年も中央馬の強さに圧倒されたジャパンダートダービーだった。
10着に敗れたアイウォンチューの古久保調教師は厳しい現実に唇を噛み締めていた。
そんな彼の頭に浮かんでくる一頭の馬。目の前で見たあの光景が蘇ってくる。中央馬をまとめて差し切ったあの光景が――この場所で輝いたキラボシ。
そして、重なるように浮かんでくる光景が。
東京の直線で見せたあの脚。あの輝き。
「受け継がれた奇跡の血なら、もしかしたら……」
そんな言葉が、彼の口からもれていた。




