表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
アイドルジョッキー馬になる  作者: ゆらゆらゆらり
87/98

信一 ♠ ここから

 場主の奥さんは、「ごちそうを用意しなくちゃ」と家のほうへと弾む足取りで戻っていった。


 横に並ぶ場主は目を細めて目の前の光景を眺めている。田所雪香を背に、ゆっくりと傾斜を下ってくるその姿を。

 時々、ユッカが後ろを振り返るように首を動かす姿は楽し気で、雪香ちゃんとの会話が聞こえてくるようだ。


 場主や奥さんにも、ユッカの声が聞こえれば……きっと、俺と雪香ちゃんにしか、声は届いてこないのだろう。


 そんな不思議でおかしな状況を、俺も彼女もすんなりと受け入れちまっている。俺たちもおかしいのか……?


 苦笑いになりながらも、心は弾んでいる。


 きっと、声が届かぬとも、場主たちの心も弾んでいる。何よりも二人の表情がそれを物語っていた。

 ユッカの二人への思いもちゃんと伝わっていたはずだ。昔、場主や奥さんの肩を甘噛みしていたというハムハムで。


「やっぱり、ユッカは噛みつきヒーローの姪っ子ですね」


 俺がそう言うと、場主は一瞬、んっ? という表情を見せたが、すぐに自分の肩の辺りをなでるようにしながら、

「そうだね。しっかりマサルの血もひいてるよ」


 俺が今この場にいるのも、いろんな人たちに出会えたのもマサルのおかげだ。

 そんなことを思うと、胸がじんじんしてくる。

 そんな心地いい思い出に浸ろうとしているのを、邪魔するように声が飛んでくる。


『ねえ、信一。めちゃくちゃお腹減ったんだけど』


 近づいてくるユッカからの声だ。

 っていうか。ずっと鼻についてんだけど、なんで俺だけ呼び捨てなんだよ。

 生意気な女子高生におちょくられているようで、ほんとムカつくですけど。


 俺のそんな思いはふてくされたような返事になる。「はいはい」


 牧柵をくぐり、立ち止まったユッカの口元に、手にしている引綱をとおした。

 その時、馬上から声が、


「あっ、そうだ。私のリュックにいい物があったんだ」


 雪香ちゃんが軽やかにユッカからおりると、置いていた自分のリュックへと駆け寄り、中から何かを取り出した。

 その瞬間、ユッカから『(よっ)しゃあー!』


「はい、信ちゃん」、声とともに飛んできたそれをキャッチすると、ユッカが俺の手をめがけて首を伸ばしてきた。



 ――そして。




 雪香ちゃんが持ってきた4つのリンゴは、あっという間にユッカのお腹の中へ。


『ねえ、もっとないの?』


「あとは飼い葉だね」


 俺のひと言に、がっくりと首を落とす姿に思わず笑ってしまう。なんとも愛らしいじゃないか。


 場主も微笑みながら、「本当になんか不思議だね。昔から人の言葉がわかるんじゃないかって、そんな気がするんだよね」

 そう言ったすぐ後に、「そんなわけないけどね」と言っている。


 俺は、「場主の声はちゃんと届いています」と言おうとしたが、先に雪香ちゃんから声が、


「ちゃんと……」、言葉がつまってしまっている。あふれる思いと、涙をこらえている。

 場主や奥さんの姿を見た時も、雪香ちゃんは必死にあふれだす思いをこらえていた。

 本当は抱き着きたいだろうに、少し声を震わせながら、「はじめまして」と挨拶をかわしていた。


 だけど今は、こらえきれなくなった涙がポロポロと落ちている。


「届いています。あなたの声はずっとずっと届いていました」


 一瞬、戸惑ったような表情を浮かべた場主だったが、「ありがとうございます」と頭を下げた。


 場主は目元をさっと拭うと、「じゃあ、おいしい飼い葉を用意してくるかな」


 俺は向きを変えて歩きだそうとする後ろ姿を呼び止め、「もう何日か、ユッカをここで預かってもらえないでしょうか」


 場主からは、「うちは全然かまわんが」


 その言葉を聞いて、雪香ちゃんのほうへと視線を向け、「ユッカでリハビリってわけにはいかない?」


 俺が突然そんなことを言ったから、雪香ちゃんは戸惑いながら、「来週には乗馬クラブに行くけど……」

 つぶやくように、そう言ったが、視線が俺からはなれていくと、場主のほうへと足を一歩、二歩と踏み出し、「私もここでお世話にならせてください」


 雪香ちゃんの勢いに、場主は驚きながらも、「うちは全然かまわんが」

 その後、にっこり笑い、「大歓迎だよ」




 それから、俺はその日の最終便で羽田に向かい、小林へと戻った。

 さすがに、これ以上先生やヤマさんに迷惑をかけるわけにはいかない。厩舎には2歳馬と中央で未勝利だった3歳が入厩してきている。

 その面倒を二人とまなっちゃんがみてくれている。







 そして、再び週末に北海道に向かった。

 馬運車は用意してある。それでも使うことはないかもしれない。大事なことを確かめなくてはならない。



 雪香ちゃんともに放牧地を駆けていたユッカが戻ってきた。

 もうすっかり仲のいい友達といった感じで、俺がいなかった数日間の話をしてくれていたが、話しはあっちこっちにそれては戻り、時空を超えて昔話にも飛んでいた。レースの話にも。

 

「ユッカ。走るのって楽しいかい?」

「めっちゃ、気持ちいいよ」


 俺はうなずきながら、「それでユッカはこれからどうしたい?」


 唐突な問いかけを嚙み砕くように、口をつぐんでいる。


 さっきのように楽し気に駆け回る姿を見れば、ここにこのまま居ることが幸せなのかもしれない。


 ユッカは黙ったままだ。


「場主や奥さんと一緒にいるほうが……。君にとったら幸せなのかも……」


 思わず、そんな言葉が口をつく。


 とその時、ユッカからぼそりと声が、「……悔しいよ」

 顔を俺のほうへと向け、

「あんオークスはなんも感じなかったけど、今になるとめちゃくちゃ悔しい。アイツら、アタシらをバカにしてやがった。まなっちゃんのことだって……アイツら、みんなぶっ飛ばさないと気が済まない」


 俺を見つめている目に力がこもっている。


「そうだな。やってやろうぜユッカ。その後、大手を振って、ここに戻ってこようじゃないか」


 力強くうなずいたユッカの首を、雪香ちゃんの腕が包み込む。


「がんばれ。ユッカ」


 そんな声が俺に耳にも届いてきた。





 俺たちの新たなる闘いが、ユッカとともに始まった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[一言] ユッカに教えてもらいながらリハビリしたら、すごく捗りそう!
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ