♦ その瞬間~それぞれの思い
【比嘉開人(園田所属騎手)】
競馬場の入場門を抜け、休むことなくスタンドに向かって走る。
電車の乗り継ぎが上手くいかず、こんな時間になってしまった。もう、どこからか実況が聞こえてくる。
スタートが、という声が聞こえ、スタンドに行くのをあきらめ、目に止まったモニターへと駆け寄った。
「よしっ!」
思わず声が出る。
ユッカは好スタートを切ったのか、いい位置につけている。少しずつ下がっているが、まなっちゃんの騎乗姿からは余裕が感じられる。
芝のレースになって道中でスピード負けしないかが心配だったが、余裕を持って追走できている。
これなら、直線まで脚をためて末脚の切れで勝負できそうだ。
そのまま、直線へ――とその時、「おいっ!」
さらに、「ふざけんな! なにしとんねん!」
周りの目を気にすることなく画面に向かって怒鳴っていた。
【菅杉一郎(園田の元厩務員)】
ゴール板近くは人が多く、やや手前の位置で大型ビジョンへと目を向けている。
人がどうこうというより、無意識のうちにその場を選んでいたのかもしれない。
ゴールから50Ⅿほど手前のここは、あの落馬事故があった場所。
前には人垣があり、彼らも俺と同じようにビジョンを眺め見ている。あの時もここに多くの人がいたのだろうか。あの瞬間を見つめていたのだろうか。
あの時、俺は検量室前でルビームーンが戻ってくるのを待っていた。だが、戻ってくることは……。
避けたい場所なのに、俺は今ここに立っている。
ビジョンにユッカの姿が映り、いい手応えで内から追走している。
抜群の手応えで追走していたルビーの姿が思い浮かんでくる。
胸騒ぎで、俺の心臓の動きが激しくなっている。
最後の直線を前に、縦長だった馬群が密集してくる。
前から映すようなカメラアングル。俺は白い帽子を追い続けている。
とその時、ユッカがつまずいたかのようにバランスを崩した。
騎手も落馬……?――田所雪香の姿が重なる。
その瞬間、息がとまり胸がつまる。
自然と体が動き出す。
「すんまへん。すんまへん」
人垣をかきわけ、馬場のほうへ。
そして、柵から身を乗り出すようにして、馬群のほうへと視線を。
【スダマリこと須田茉莉香(競馬タレント)】
今日は東京競馬場のスタンドにある部屋を借りて、馬券女王決定戦という企画で、女性タレント4人で馬券対決をしている。
持ち金はひとり3万円で、東京の4つのレースで対決するもので、すでに最後のレースであるフローラステークスになっている。
今日は馬券の調子が絶好調で、私の持ち金は5万と少しになっていてトップを走っている。2番手の子が1万8千円くらいなので、断トツといえる状況である。
優勝者は持ち金が全額もらえる。それより欲しいのが、もうひとつの特典であるフローラステークスのプレゼンター。
絶対に優勝したい。となれば、賭け金をおさえて、持ち金を残せば、ほぼ勝てる。
司会である青鈴さんから、
「まずは、トップのスダマリから買い目を」
その声に私がフリップを出すと、撮影スタッフも含め、どよめきが。
青鈴さんは、
「マジか。さすがスダマリ、ユッカの単勝に全額とは。えーっと、今のところ10倍弱やから、50万くらいまでいっちゃう?」
「ありがとございます。ここはいかせていただきます」
青鈴さんは、番組上は驚いたようなリアクションをしているが、たぶん内心は、やっぱりそうくるか、と思っているだろう。
他の番組などで会った時も、ユッカのことは語っていた。好きとか地方馬贔屓とかそういうことだけでなく、自信をもって勧めてもいた。
裏付けもちゃんとある。ここにきての成長は目を見張るものがあり、体や脚元がしっかりしてきたことで、ハードな調教をこなしてきている。
厩舎に何度も足を運ばさせてもらい、それを目の当たりにすることができた。厩舎の人たちも、本当によくしてくれた。だからこそ、応援したい。
他の子たちは、ラジカ二カサカやゴリンダリンダを軸にした馬券にしているようだ。
私が全額賭けたことで、持ち金を残して、残金で勝ちを狙っている子もいるようだが、それはどうでもいい。
ユッカだからこそ、どうしてもやりたいプレゼンターだ。ユッカとともに敗れ散るのなら悔いはない。
がんばれ! ユッカ!
レースを前に他の子たちは、室内でテレビ画面を見つめているが、私と青鈴さんは双眼鏡を手に、テラスへと出て、スタート地点を見つめている。
そして――
ユッカはいい感じで追走している。無駄な力をつかうことなく、流れに乗って直線を迎えようとしている。
とその時、青鈴さんから、「うわっ!」
私も同じように声を出していた。ユッカが他馬に寄せられ、落馬寸前の不利を受けた。
なんとか持ちこたえて体勢を立て直したが、馬群の最後方に。
「スダマリ。こりゃ、あかん。致命的やな」
青鈴さんから、ため息交じりの声が聞こえてくる。
確かに、大きな不利だ。でも、致命的なんかじゃない。
「まだ。まだです」
青鈴さんを見れば、私のほうへ視線を向けてきている。
「まだユッカにはある。キラットが」
私はそう言い切った。
青鈴さんは鼻で笑い、双眼鏡へと戻っていく。力強く引き締まった横顔からは、青鈴さんもどこか期待しているように見える。
思えば、青鈴さんだって、一緒に地方で活躍してきたユッカを見てきた。だから、思いだってきっと一緒。
私も双眼鏡へと目を移し――輝け、ユッカ!




