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アイドルジョッキー馬になる  作者: ゆらゆらゆらり
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真夏 ♡ やれることはやってきました

【フローラステークスGⅡ 3歳牝馬16頭立て コース:2000Ⅿ(芝・左) 天候:晴れ 馬場:良】



 わたしは深く息を吸い込み、ゆっくりと吐き出した。そして、握った拳で自分の胸元をひとつ叩いた。


 大丈夫――胸の中で自分自身に言い聞かせる。


 視線の先に映るユッカも身動きひとつすることなく集中している。

 雪香ちゃんからも迷いは消えている。あとは一緒にゴールを目指すだけ。


 

 

 そして、ゲートが開いた。と同時にユッカが反応する。


 雪香ちゃんが言っていたとおり(もちろん、大前さんを介して聞いたことだが)、まさに馬としてのスタート感覚が完全につかめている。


 最内から飛び出し、スムーズに加速していく。右へと視線を向ければ、おそらく2、3馬身は抜け出している。


 この距離(東京2000Ⅿ)は最初のコーナーまでの距離が短い。となれば、外枠の先行馬たちは、仕掛けながら内へと切り込んでくる。

 逃げ馬であるゴリンダリンダも。


 ピンクの帽子が視界に映りこんできた。8枠ってことは、間違いなく15番のゴリンダリンダだろう。

 近づいてくる気配に視線を向ければ、騎手が何が何でも逃げるという気迫で激しく手を動かしている。


 馬もそれに応え、さすがの加速力で外枠からでも他馬を置き去りして、わたしたちの横へ。


 もう、すでにコーナーが見えている。それでも騎手は手綱を押して半馬身ほど前に出てたところで、強引に馬体を寄せてかぶせるようにコーナーに。


 危険を感じ、思わず立ち上がるようにして、手綱を引きそうに――だが、体が自然と反応してくれていた。何もしないという反応を。


 ユッカが雪香ちゃんであるから、信じればいい。


 ユッカはブレーキをかけるように、無理にスピードを落とすのではなく、力を抜くようにコーナーに入っていく。



 ゴリンダリンダは向こう正面に入ってもスピードを落とすことなく飛ばしていく。

 ユッカの好スタートをかわすのに仕掛けすぎて折り合いを欠いてしまったのかもしれない。


 人気馬であるゴリンダリンダを楽に逃がすわけにはいかないと、他馬も追いかけていく。そして、わたしたちの前へと切り込んでくる。


 今は中段か、やや後ろ辺りまで下がっただろうか。それでも何もすることなく内ラチぴったりを走っていく。


 今日の朝、コースを歩いて芝の状況は確認している。東京の開幕週だけあって、びっしりと生えそろっていた。

 ここまで何レースか芝のレースがあったので、返し馬の時に内側がどうなったか再度確認していた。

 返し馬をしながら、ユッカに、「どう?」と声をかけると、前に落ちてしまいそうなくらい大きなうなずきが返ってきていた。


 つまりは内側は相変わらず使えるということ。となれば、最内枠を活かし、コースロスのない内側を走るという当初からの作戦どおり。

 直線まで脚をためれば、ユッカの瞬発力で、ちょっとの隙間があれば、馬群を割って、突き抜けられる。


 目標はあの馬――1頭の馬を挟んで、見える緑の帽子。6枠12番ラジカ二カサカ。

 長くいい脚が使える馬で、しかもスタミナ自慢でもある。

 おそらく、どこかで早めに動き、上がり(残り600Ⅿのタイム)のかかるスタミナ勝負に持ち込んでくるだろう。



 ゴリンダリンダが作り出した早い流れは、まさにそんな展開になりつつある。


 それでも焦りはない。

 ユッカは楽に追走できている。インターバル調教でスタミナもしっかりとついている。


 スダマリさんが言っていた弓道のように、ゆっくりと弦が引けている。坂路で鍛え上げてきた矢を放つその瞬間に向けて。




 

 3、4コーナーで縦長だった馬群が固まってきた。

 ゴリンダリンダがバテたのか、それとも息を入れて脚をためているのか。


 気づけば、緑の帽子は外へ。長くいい脚が使えるだけに内で包まれるのを嫌ったのだろう。

 距離ロスでも外に行くということは、脚にそれだけ自信があるということだ。さらに、それだけの手応えを手綱から感じているのだろう。


 わたしたちは、そのままインぴったりを周って直線へ。


 とその時、


「ここは、お前らが来るようなところじゃねえんだよ!」


 斜め前を走る騎手が、小さく首を後ろへと傾け、そんな声を飛ばしてきた。

 長乃倉という若手騎手で、わたしより2つか3つくらい上だと思う。


 騎手控室でも、40歳くらいのベテラン騎手とともに、冷たい視線をわたしへと向けてきていた。

 そして、「女だからチヤホヤされてんだ」とか、「所詮、地方馬だろ」、「無駄にひと枠奪いやがって」と口汚い言葉が聞こえてきていた。


 わたしは、言葉を返すことなく唇を噛み締めていた。

 でも、以前とは違う。苦しみに震えていたあの時とは違う。周りからの視線と声に圧し潰されたあの時とは。


 言葉なんていらない。わたしとユッカが走りで示せばいい。それが全てだ。



 

 わたしは燃え上ってくるものを抑えるように、すーっと息を吐く。

 きっと、彼の今の声が雪香ちゃんにも聞こえている。怒りが手綱から伝わってくるが、「雪香ちゃん。まだだよ」


 自分にも言い聞かせるように、そう声をかけた。

 わたしたちの思いを爆発させるには、まだ(ゴールまでの)距離が。


 視線の先で長乃倉騎手がスッテキを持つ右手を大きく振り上げている。さらに重心が――明らかに()()()()()()()


 まさか……。


 ステッキが振りおろされた。


 と次の瞬間、馬体をぶつけられ、ラチとの間に挟まれてバランスが大きく崩れた。

 

 手綱を引いて、なんとかバランスを立て直すが、馬群から取り残されている。


 これじゃあ……もう……。


 終わった――そんな言葉が頭をよぎる。


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