表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
アイドルジョッキー馬になる  作者: ゆらゆらゆらり
74/98

◆ いざ東京競馬場~それぞれの思い



【北海道にある牧場・星天ファーム~星野耕作(牧場主)】


 緑豊かな木々を背に墓石が並ぶその場所で、俺は手を合わせている。

 着慣れぬスーツがやけに堅苦しい。



 閉じていた目を開ければ、改めてそこに刻まれる文字が映りこんでくる。


 キラボシ――こんな小さな牧場に夢と希望を与えてくれた馬。そして、今もまた、夢をつないでくれている。


 ふと、どこからか大声が飛んでくる。「お父さん! お父さんったら」


 振り返れば、妻が足早に近づいてきている。今日は彼女もいつもと違い、華やかな姿で、声も弾んでいるようだ。


「ほらほら、タクシーがもう来ますよ」


 俺たちがこれから向かう先は空港。たすき掛けにしているこの鞄には航空券がある。大前信一君が手紙とともに送ってくれたものだ。

 その手紙には、あなたの愛娘の姿を目の前で応援してあげてください、と綴られていた。


 そのありがたさに感謝しながら、彼が愛娘といってくれたユッカのことを思い出していた。


「ほら、お父さん。ぼーっとしてないで急がないと」


「おう。そうかそうか」


 向きを変えて歩きだしかけたが、もう一度振り返って墓石へと目を向けた。自然と口から言葉が流れていく――「ありがとう」

 キラボシからユッカへとつながれた血に感謝の思いをこめて。


 さあ、向かうは東京競馬場。






【千葉県内のあるパン屋~中向千秋(中向真夏の姉)】


 午前のピークが終わり、休憩となったところで、母とわたしは裏にある自宅に向かった。


 親子3人で営む小さなパン屋だが、ありがたいことに忙しくさせてもらっている。今日のような日曜日は観光客も足を運んでくれている。

 最近になり、お客さんがさらに増えたのは――きっと真夏が頑張っているから。


 自宅から戻り、裏口から調理場に戻ると、父が束の間の休憩時間を、椅子に腰かけ、ゆっくりとコーヒーを口にしながら過ごしている。

 

 エプロンから、外行きの格好に着替えてきたわたしたちとは違い、父はいつもと何も変わらない。


「今日くらいあとは休みにして、パパも一緒に行こうよ」


 わたしの言葉に、父は小さく首を横に振り、「俺には俺の仕事があるから」


 そっけなく言うと、立ち上がり、パンを焼くオーブンへと向かって行く。オーブンを開ければ、いい香りが流れ出てくる。


 真夏が騎乗した浦和桜花賞の日も同じ会話があり、その時も父は同じ言葉を口にしていた。


 それが父であることは母もわたしもよくわかっている。だから、これ以上は無理強いすることなく、


「じゃあ、行ってくるね」


 調理場から店のほうに向かい、そのまま外に向かおうとした時、


「おいっ」、顔をのぞかせて呼び止めた父は「ちょっと待ってろ」と言葉を残し、奥へと消えていった。


 父の声に足を止め、何事かと顔を見合わせたわたしたち。



 ほどなく父が調理場から姿を見せ、近寄ってくると、無言で手にしているものを差し出してきた。


 受け取った紙袋の中からは、いい香りが流れてくる。

 中を覗き見れば、6個入りの紙箱が2段。焼きたての香りで、それが父自慢の味噌ピー(ナッツ)パンであることはわかる。真夏が昔から大好きなパンだ。


 父は、すぐに向きを変えて何も言わずに調理場に戻っていく。


 温かな紙袋から、無口な父の気持ちがあふれている。競馬場で真夏にこの思いを直接伝えることはできないけど、この思いを胸にしっかり応援しくるからね。


 胸の中で、調理場に消えていく背中へと言葉を送った。そして、「行ってきます」


 さあ、向かうは東京競馬場。




 

【東へと向かう新幹線~比嘉開人(園田所属騎手)】


 俺は馬たちの朝調教を終え、今は新幹線に。

 もちろん、その理由は中向真夏の応援のため。その気持ちは俺だけでなく、園田(姫路を含む兵庫県競馬)の誰もが持っている。


 真夏ちゃんは短期騎乗で2か月間姫路で騎乗し、多くの厩舎の調教もこなしていたこともあって、騎手だけでなく調教師や厩務員たちにとっても、仲間といえる存在になっている。


 さらにユッカは姫路の重賞を勝ったこともあって、地元代表のようなものだ。


 それでも……。


 俺は、見送ってくれた彼らの表情を思い浮かべていた。晴れやかな空を覆う厚い雲のようなあの表情を。


 園田競馬に関わる誰もの胸に突き刺さっている大きな大きな棘。ふとした瞬間に、胸が痛み、苦しくて苦しくてたまらなくなる。

 ルビームーンとともに抱いた夢。砕けたあの瞬間が消えることなく胸に突き刺さっている。

 そして、園田から消えたあの笑顔……。


「雪香……」


 口から、その名が漏れ流れていく。

 こみ上げてくるものをこらえるように、唇を噛み締めた。


 口にはしないが、みんなが祈りつづけている。田所雪香が目覚めてくれることを。


 そして、園田の誰もが思っている。真夏ちゃんもユッカも、とにかく無事であってくれと。


 俺はその姿を、目の前でしっかり見届ける。その思いであの場所を目指す。



 さあ、向かうは東京競馬場。





【関西のとある田舎~菅杉一郎(園田の元厩務員)】


 

俺は家庭菜園で作ったニンジンをコンビニ袋いっぱいに詰め込んでいた。

家庭菜園といっても、田舎なのでちょっとした畑のようなもので、自分が食べる野菜はまかなえるくらい育ている。


 1年前に生まれ育ったこの地に戻ってきた。妻は6年前に亡くなり、子供たちもそれぞれ独立して家庭を持っている。

 56歳の今、あとはここで気ままなひとり暮らしをしていければいい。


 沸き立つ思いも、心が燃える興奮も、もういらない。あんな思いをしたくないから。あんな辛い思いを……。


 今でも、ふとした時、ルビーのことを思い出す。知らぬ間に涙を流していることがある。


 あんなに強かったが、体質が弱く、入厩当初は馬舎に泊まり込んだことが何度もあった。飼い葉食いが悪くて、いろんな餌を調合して、好みをさがすのに苦労したこともあった。


 ほんまに、厩務員泣かせのバカ野郎やった。


 だからこそ、ルビーがかわいくてかいわいくて、しょうがなかった。強く逞しく成長していくルビーは俺の誇りであり、全てになっていた。


 俺はルビーという存在がなくなったあの日から、競馬を目にすることなく1年を過ごしていた。これからも見ることなんてないと思っていた。


 それが10日ほど前、かつて所属していた厩舎のテキ(調教師)から電話があり、会いたいという人がいると伝えられた。そして、現れたのが大前信一という青年だった。


 彼は東京競馬場に来てほしいといい、新幹線チケットを置いていった。競馬場など行く気はないと言っても、彼は引き下がることなく、チケットを押し付けるように置いていった。


 そんなチケットなど、そこらへんに放り置いといたのだが、やけに目にとまる。そして、そのたびに彼が熱く語っていたユッカとやらが浮かんできていた。


 そして昨日、俺はため息をつきつつ、久しぶりにノートパソコンを開いた。ルビーの餌の管理や調合方法などを検索したりと、以前は毎日に使っていたものだ。


 そこで、ユッカという馬のレースを見ていると、忘れていたものが体の奥底から湧き上がっていた。


 彼はチッケトを置いていった時、力込めて語っていた。

「今度、ユッカは東京競馬場で走ります。ルビームーンと田所雪香があの場所にいるから。だからこそ、あなたに見てほしいんです。あの場所でフローラステークスを」


 俺は、その時何も言葉を返せぬままうつむいていた。

 競馬に対し、心を閉ざしていたから、言葉はとどまることなく消え去っていた。


 だが――彼の言葉は消え去ってなどいなかった。ユッカの走る姿を見た時、言葉が胸に染み入り、自然と涙があふれていた。



 だからこそ、俺は今――コンビニ袋を持ち上げた。


「ユッカはニンジン好きやろか」


 さあ、向かうは東京競馬場






【栃木県那須にあるとある家のリビング~田所小春(田所雪香の妹)】


 私は食い入るようにテレビ画面を見つめている。画面には中学2年生には似つかわしくない競馬中継。


「お姉ちゃん。もうすぐパドックが始まるよ」


 語り掛けた傍らのベッドから声は返ってこない。それでも眠りつづけるお姉ちゃんに毎日声をかけ続けている。動いてくれると信じて、手足の曲げ伸ばしを繰り返し、体をもみ続けている。指の関節だって一本一本……。


 今はお姉ちゃんを含めて4人暮らしだが他に誰の姿もない。


 ママは私が小さい頃に病気で亡くなっている。ばあばも4年前に亡くなっている。


 パパは仕事があると併設する個人病院にいる。


 じいじは馬の世話があると、かつては酪農していた近くの牧場に行っている。4年前にばあばが亡くなった時に、酪農は廃業したが、1頭のサラブレットを飼育している。

 知人から譲り受けたという馬で、お姉ちゃんの幼い頃からの遊び相手であり、今も元気に角馬場という小さな円形馬場を駆けまわっている。


 パパもじいじも、この1年競馬を見ることはなくなった。私も見ることはなかった。

 だけど、真夏ちゃんがここに来て、ユッカの話を聞いてから、パパたちのように、ただ競馬から目をそむけるのではなくなっていた。


 ユッカの動画は全部見ている。地方競馬は平日開催なので、学校もあってリアルタイムで見られないが、かかさずスマホで動画は見ている。


 そんな中でも胸に一番強く刻まれているのは、重賞の勝利騎手インタビューで、真夏ちゃんが胸の前で握り抱くように持っていた紫のステッキ。

 その姿は勝利を喜ぶ真夏ちゃんとお姉ちゃんの姿のように見えていた。


 きっと、今日も真夏ちゃんはお姉ちゃんとともに戦ってくれる。


「そうでしょ」


 横にあるベッドのお姉ちゃんに声をかけた。表情は変わらない。でも、にっこり微笑む姿が見える。笑顔いっぱいだったあの姿が。


 ぐっと、胸がつまる。

 

 1年前のあの日、私は中学になって所属した体操部の練習で家にはいなかった。だから、レースは見ていない。今も見ることはない。


 だけど、パパとじいじは応援のために競馬場に行っていた。だから、目の前で……。


 パパもじいじも避けるように今この場にはいない。

 

 2人だって、真夏ちゃんとユッカのことは応援している。だけど、今日はフローラステークスだから。1年前と同じあのレースだから。

 

 私も見たくないという気持ちに押しつぶされそうになるかもしれない。

 それでも、見届けなくちゃならない。ユッカと真夏ちゃんの姿を。


「そうだよね。お姉ちゃん」


 ベッドへと向けていた顔を、テレビ画面と戻す。


 さあ、思いが向かうは東京競馬場。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ