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アイドルジョッキー馬になる  作者: ゆらゆらゆらり
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真夏 ♡ 既成概念なんて壊しちゃえ

【4月某日 大井10レース B3 1600Ⅿ(内コース)16頭立て 天候:晴れ 馬場:良】


 レース前の輪乗り。


 蹄鉄がはずれた馬がいて発走時間が遅れているが、ヒメちゃんは落ちついている。思えば、もう10歳だけあって、何事にも動じないという雰囲気だ。

 10歳といったて、体は若々しく、4、5歳馬にだってひけをとらない。


 特に今日は、この中間にユッカとの併せ馬など、いつになくハードな攻め馬をこなしてきただけあって、馬体の張り、ツヤともに最高の状態といえる。


 本当にヒメちゃんときたら。


 思わず、くすっと笑ってしまう。10歳にして、やっと体がしっかりしてきた超晩成ちゃん。

 

 レース前にこんな落ち着いた気持ちでいられるのもヒメちゃんとだから。少し前のわたしからは想像もできない。


 本当に感謝しかない。もっともっと一緒にいたい。

 だから――がばろうね。



 蹄鉄の打ちかえも終わり、ファンファレーが聞こえ、ヒメちゃんの引綱が引かれ、わたしたちはゲートへと導かれていく。



 今回は入着賞金(地方競馬は獲得賞金でクラス編成されている)でBクラスに昇級になっている。相手は強くなっているが、今のヒメちゃんなら大丈夫。



 ただ……今回の枠順は2枠3番。これが問題だ。


「おい、真夏」


 その声に後ろを振り向けば、閉じられた後ろゲートの向こうに小野山さんが見える。にこりと微笑んだ顔は自信に満ちている。


 小野山さんが自らゲートにまで寄り添っている理由。秘策への自信が顔に表れている。


 今やろうとしている秘策は、ゲート練習では上手くいったが、本番では……?


 その秘策というのは、先週ユッカの取材にスダマリさんが来た時のことだった。


 朝調教の後、スダマリさんも朝食に誘い、一緒に食事をともにしていた時、ヒメちゃんの話になり、ゲートのことが話題になっていた。





【先週の厩舎の和室】


「仕上げは万全だし、後はやっぱゲートだよな」


 小野山さんの声に、大前さんが、


「あのスタートだけはどうにもなりませんもんね。なんで、のっそりとしか出ないんですかね。先生もこれまでいろいろ試したんですよね」


 先生といって顔を向けたのは竹川先生。

 本来は、竹川先生は引退し、小野山厩舎になっているので、調教師である小野山さんが先生なのだが、大前さんもわたしも、竹川先生を先生と呼んでいる。


 小野山さんが調教師になった時、先生、と呼んだことがあったのだが、


「俺のどこが先生だよ。そんなガラかよ」

 

 と本気の顔で言われてしまい、今までどおりの呼び方になっている。

 

 わたしの、小野山さん、という呼び方も、「なんか、よそよそしいよな」と言われてしまったが、そのまま変えられずにいる。

 それは大前さんに対してもで、同じことを言われてしまった。

 いつかは変えたい、そう思う自分がいる。


 

 声を向けられた先生が、すすっていたお味噌汁のお椀を下げ、


「性格ですかね。ヒメちゃんも、のんびり屋さんですから」


 先生は小さく苦笑した。


「確かに、ヒメって、先生に似て優しい目をしてますよね」


 スダマリさんの言葉に、大前さんたちからも同感の声が聞こえてくる。


 確かに、馬は世話をする人の影響を受ける。性格も違ってくる。きっと、ヒメちゃんも生まれた時から、先生のような優しい人に囲まれてきたのだろう。


 ただ、スタートに関しては、それとは別で悩ましい問題だ。

 その話題に戻り、スダマリさんが、


「あっ、そうだ。オモチっていうのは?」


「オモチって……スダマリちゃんって、細いのにけっこう食べるんだ。いやいや、朝からいっぱい食べられるのは健康的で素晴らしい。真夏、切り餅を2、3個焼いてきてあげてよ」


「あぁ、はい……」


 思わず、そう返事をしてしまった。


「いや、違うよ。真夏ちゃんも違うからね」


 スダマリさんから慌てた声が飛んでくる。

 思わず、返事をしてしまったが、違う意味だということは、わかっている。

 わたしより先に小野山さんから、


「わかっているって。冗談だって。尾っぽ持ちのことだろ。ヒメには……」


 小さく首を横に振った。


「試したことってあるんですか?」


 スダマリさんの声に、


「いや、ヒメはゲートでもおとなしい馬だし、やる意味がないから」


 確かに、※尾持ちはゲート内で悪癖がある馬に行われる。小野山さんを言うように、ヒメちゃんには意味がない気がする。


「なあ(そう思うだろ)」と話を振られた大前さんが、スダマリさんに小野山さんが言う、意味がない、ということを説明している。


「――っていうことかな。要するにヒメはゲート内は問題ないわけだし、やっても意味がないってこと」


「でも、逆にってことがあるかもしんないよ。ちょっと触んないでよ! って感じで、ビューンと出たりして」


「まさか」、そう言って鼻で笑う大前さんと小野山さん。顔を見合わせ、「なあ」


 二人の顔がわたしに向いてくる。ひきつった笑いは戸惑い……?

 

 まさか、そんなことって、という思いで、わたしもうなずきで応えていた。


 そして、わたしたちの顔は先生へ。すると、先生はどこか楽し気に微笑んで、


「既成概念なんて、壊しちゃったらいいんじゃないですか」


 そのひと言で、とりあえあず、やるだけやってみるかとなり、ゲート練習で試すことになった。



※尾持ち

 スタートゲートの後ろ扉が閉じられた状態で、人が馬の尾を持ち上げたり、引っ張ったりして、ゲートが開くまで待つ行為。

 中央競馬では認められていないが、地方においてはごく普通に行われている。


 主にゲート内で癖のある馬に対して行われ、厩務員や時には調教師自らがゲート後ろで行っている。


 効果としては、尾を引っ張ることで前扉への突進を防いだり、トモ(後肢)を落とす癖がある馬の矯正といったものがある。

他にもゲート内で落ち着かない馬にも行われることがある。







 


「真夏」と声をかけてきた小野山さんはさらに、「あれだけは気をつけろよ」


 その言葉に小さなうなずきで応える。

 ゲート練習の時を思えば、確かに気をつけなくちゃならない。


 その思いを胸に、視線も気も前へと向けた。


 どうやら、小野山さんがヒメちゃんの尾を持ったようだ。

 おとなしかったヒメちゃんが、何やらそわそわしながら、後ろを気にして何度も首を横に向けている。


 小野山さんは、何度かゲート練習する中で、最高の尾持ちを掴んだと豪語していた。俺独自の秘技だと。


 練習の時に一緒にゲート後ろにいた大前さんから聞いた話だと、一般的な尾を握りしめて強く引っ張っているのではなく、軽く掴んで遊ぶ感じでフワフワと回しているらしい。


 きっと、今もそうしているのだろう。ヒメちゃんの気は後ろへと向かっている。

 それでいい。

 あとはわたしが、しっかり集中していれば――とその時、大きな音とともにゲートが開いた。


 今までなら、何も気にすることなく、のっそりとゲートを出ていたヒメちゃんが、突然のことに驚いたように一瞬体がビクっとし、両前脚を上げて立ち上がるような体勢に。


 それでも、しっかり備えていたおかげでバランスを崩すことなく、ヒメちゃんの動きに合わせる。


 いわゆるジャンピングスタートといわれる状態だ。こうなると加速がつきにくく、後手にまわることが多い。


 だけど、こうなることは練習どおり。この後も練習どおりになってくれれば――。


 ヒメちゃんは大きく上げた脚で宙を搔くように動かし、片脚が着地すると同時に、勢いに乗ってもう片脚を前と伸ばした。砂を掻き込み、さらに前へ。

 

 スタートの出の瞬間は、横の馬より半馬身ほど遅れていたが、今までからは考えられない加速でスピードに乗っていく。


 少し促すように手綱を押せば、一気にハナに。


 1コーナーを前に少し手綱をしめるようにすれば、ヒメちゃんはすーっと力を抜いてコーナーを周っていく。


 そして、気分よさそうに向こう正面を駆け抜けていく。


 3コーナーを前に早くも並びかけてくる馬もいるが、手ごたえは十分。

 コーナーワークで突きはなす。


 さらにまくってくる馬が視界に入ってきて、軽く仕掛けて直線へ。


 

 雄叫びとともに気配が迫ってくる。

 叱咤激励の声とともに、丹波さんが風車ムチをうならせて馬体を並べてきた。


 負けてはいられない――雪香ちゃんから託された紫スッテキを指先でくるりと回し、順手に持ちかえた。


「行こう! ヒメちゃん」


 ポンっと背尻に合図のスッテキを入れれば、ヒメちゃんがハミをとり、首が前へと伸びていく。


 そして、他馬を突き放していった。




 検量室前に戻れば、大前さんが迎えてくれた。

 既成概念なんてぶち壊せ、と送り出してくれたその顔には、満面の笑みが広がっている。


 わたしたち、みんなの胸には同じ思いがある――次はユッカ。


 スダマリさんが話してくれたという弓道のごとく、今度はユッカとともに既成概念なんて壊す番だ。


 そうだよね、大前さ……信ちゃん。


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