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アイドルジョッキー馬になる  作者: ゆらゆらゆらり
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信一 ♠ ユッカの弱点

今日は我が小野山厩舎の第2の厩舎といっても過言じゃない場所へと足を運んでいた。


サトミノヒメは前走後すぐに、九十九里にあるこの乗馬クラブに放牧にでている。

脚元を含め、特に異常があったわけではないが、この馬には調教後の海水冷却が合っているということで、こちらで調整する形をとっている。


 それもこれも、元ジョッキーである石矢さんがあってこそ。ここにきて、2週間ほどだが、しっかり乗り込んでくれたようだ。馬体と動きがそれを物語っている。


 今日はここで併せ馬を行い、問題がなければ、レースに向けて明日にでも小林に入厩することになっている。

 ヒメがこれほどの短い間隔で使えるのは、ここの環境と関わってくれる人たちがあってこそ。本当に感謝しかない。


 その併せる相手であるであるユッカを、ここへと輸送してきている。


 併せ馬する場所に、あえてここを選んだのはコースにある。

 コース追いをするのに、こちらのウッドコースのほうが脚元への負担が少ない。さらに、調教時間も、周り(右、左)も自由に選ぶことができる。

 東京競馬場は大井とは逆の左周りである。



 今日もコースが一望できるカフェ屋上の展望台へと足を運んでいる。

 周りからは春の暖かな日差しの中、楽し気な声が聞こえ、ベンチにはカフェ自慢のカツサンドをほおばる人の姿もある。

 厩舎とはまるで違う雰囲気に包まれている。


 双眼鏡越しには、ユッカの背にヤマさん、ヒメの背には石矢さんと、調教前のウォーミングアップを重ねている姿が見える。


 俺と同じように先生も双眼鏡を構えている。そして、もうひとり。


「なんか、緊張してくるね」


 そんな声が聞こえ、双眼鏡から目線をはずし、横へと視線を移せば、俺たちと同じように双眼鏡を手にしている姿がある。


「いやいや、単なる調教だよ」


「でも、なんでかな。やっぱり、ワクワクするというか、楽しみだよね」


そう言って、双眼鏡で食い入るように見ているのは、スダマリちゃんこと、競馬タレントの須田茉莉香さん。


 ユッカ大好きと公言するだけあって、桜花賞の前から何度も取材してくれている。

 ユッカだけでなく、我々小野山厩舎ともすっかり仲良し。厩舎での夕食を一緒に食べることもあった。食後のお酒なんかも少々。


 特に俺とは同世代ということもあって仲良くさせてもらっている。俺の思い込みではないと思うが……?

 

 今日も取材でここに来てくれている。

 地方の競馬場で無料配布されている月刊の冊子があり、そこで、『スダマリのラブホース』というコーナーを担当していて、彼女が大好きな地方馬を取り上げている。

 今回は特集ということで、ページ数が大幅に増えてユッカを取り上げてくれるという。


 双眼鏡から俺へと目を移した彼女は、にこりと微笑み、すぐに心は双眼鏡の向こうへと戻っていく。


 俺も双眼鏡へと視線も気持ちも向かっていった。





 双眼鏡の向こうにヒメが見える。

 

 残り3ハロン(600Ⅿ)を過ぎた辺りで、石矢さんが軽く手綱を動かし仕掛けた。

 加速するヒメに対し、ユッカは15、6馬身離れた位置で追走している。


 ユッカも3という数字があるハロン棒を通過すると、ヤマさんが手を動かし始めた。




「すっ、凄い」


 横のスダマリちゃんから、そんな声が聞こえてくる。


 ユッカが差をみるみる縮めていく。


 ふと、高校の体育祭のリレーで、インターハイに出た陸上部のエースが半周近くの差をぐいぐい縮めていた光景が思い浮かんでくる。


 ユッカが一気に差を縮め、1のハロン棒(残り200Ⅿ)で並びかけた。


 あの陸上部のエースは、大歓声の中、最後は2、3Ⅿの差をつけてゴールしていた。


 ユッカは……半馬身ほど先着してのゴールだった。



 先生がすぐに向きを変えている。両馬の状態確認で下へと向かうために。

 そんな先生に、スダマリちゃんが、


「やっぱり、ユッカの末脚は凄いですね」


 先生は微かな笑みで応え、歩き出している。


 スダマリちゃんの目が、先生から俺のほうへ。その顔には少し戸惑いのような表情が浮かんでいる。


「なんか、先生物足りないような表情だったね」


「うーん。まあ、確かにそうなんだよね」


 そう答えながら、俺らも先生の後を追うように歩きだした。スダマリちゃんに、俺も感じた物足りなさを話しながら。


 




 ユッカもヒメも問題ないということで、先生とヤマさんはクールダウンの引き運動で、海岸へと向かっている。 

 

 俺はというと、スダマリちゃんとカフェでコーヒー。

 別に、俺が望んでこうなったわけじゃないし。いや、うれしいけど。


 いつものことだが、ヤマさんが取材を面倒くさがり、「ユッカのことは、こいつのほうがよく知ってるから」


 ということで、俺が取材に応えているという状況だ。


「さっきの話だけど、あんなにいい動きしてたのに、あれでは東京じゃ足りないって言ってたよね。それってどういうこと?」


「なんて言えばいいかなあ。 あの脚なら突き抜けて、引き離すくらいじゃないといけないんだよね。一気に追い上げた脚はよかったけど、その後が……」


「使える脚が短いってことか……」


 彼女のつぶやくような声に、思わず目を見張った。

 スダマリちゃんが、そこいらの競馬タレントと違って、本物の競馬好きなのは知っている。本気だということも。

 だけど、あの調教だけでそこまで見抜いたというの……?


「やっぱ、スダマリちゃんって、ただもんじゃないね。あの調教からそれを見抜くなんて、もうプロだね」


「いやいや、違うって。この前の取材でね――」


 どうやら父馬であるキラボシも記事に取り上げるらしく、宏幸さんのところにも取材に行っていたらしい。

 そこで、宏幸さんから、俺に言っていたのと同じ話を聞いたようだ。


「内戸さんが言うにはね、ユッカの今までのレースからも、キラボシと同じように、キラットが使えるのは一瞬じゃないかって」


「キラット?」


 聞き馴染みのない言葉に、首を傾げると、


「あっ、ごめん。それって、私が勝手につけちゃったんだ」


 宏幸さんの話だと、キラボシは長くいい脚が使えなかったらしい。道中で動くと末が甘くなり、だらだらとしか伸びなかったらしい。

 そこで、ジャパンダートダービーでは、直線まで動かないという競馬に徹したというのだ。


 何度も見た映像が脳裏に蘇ってくる。中央馬を瞬く間に差し切ったあの姿が。そして、実況のあの声が、


『大井生え抜きの馬がついに勝ちました。地方競馬の英雄、その名はキラボシです。大井の夜にキラボシが燦々と輝いています』


「ジャパンダートダービーの脚は凄かったよね」


 俺がそう言うと、彼女は大きくうなずき、俺が思い浮かべた実況のフレーズを口にした。さらに、


「あの流星のごとくキラッと輝く一瞬の脚。ほんと凄かったよね」


「なるほど。それでキラットね」


「そうそう。ユッカが桜花賞で見せたあの輝きは、まさにキラボシから受け継いだキラットだよね」


「確かに。だけど、そのキラットがまさに流れ星のように一瞬というのが問題なんだよね」


「そっか……」、彼女はそうつぶやきながら、コーヒーを口にし、「ねえ、輝けるのってどれくらい?」


「ユッカなら、さっきの調教みたいに叩き合いでもうひと伸びできるけど、本当の輝きは……キラットといえる脚はあの浦和の直線くらいといったところかな」


「ってことは220Ⅿくらいか」


「そう。東京競馬場の直線なら半分にも遠く及ばないよね」


「じゃあ、さっきの調教のように叩き合いで、なんとか競り勝つって感じ?」


「いや、ヒメが条件馬だから、最後は先着できたけど、中央のオープン馬相手だと厳しいと思う。だからといって、末脚勝負するにしても、中央の馬は長くいい脚を使う馬がいるから、こっちが先に脚があっがちゃうだろうし」


 俺がそう言うと、スダマリちゃんは「うーん」と唸り、黙り込んでしまった。

 目をつむって眉間にしわを寄せる姿に、ちょっと胸が熱くなる。


 俺たちと同じように、ユッカが勝つにはどうしたらいいのか、本気で考えてくれている。


「ねえ、信一君」、目を開いた彼女は、「私って高校の時、弓道部だったんだ」


 いやいや、何? 突然そんな事言われても、「そうなんだ」と返すしかない。


 

 だが、続いた彼女の言葉が、俺らが進むべき道を照らす光となってくれた。



 東京競馬場という舞台へ向かうその道への光。


 そして、俺たちはユッカともに戦いのあの場所へ。


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