信一 ♠ あとひつなんだ
……つまずき。
なんでそうなったかはわからない。
やや重なので、砂の上っ面で滑ったのか、首が大きく下がり、前のめりに崩れそうだった。
まなっちゃんは、ヒメの首に抱き着くような恰好でなんとか落馬をまぬがれていた。
そこから体勢を立て直したが、加速に手間取っている。
さらに出遅れた外の馬に前をカットされ、ひるんだのか、首を上げて最後方に。
そして、そのまま1コーナーから向こう正面へ。
まなっちゃん。どうするんだ?
このままじっくり構えて直線にかけるか。だが、ヒメには直線一気ができるような切れる脚はない。
ならば――それしかないよな。
まなっちゃんが仕掛け、ヒメが外から上がっていく。ヤマさんが引退レースでやったのと同じ戦法、向こう正面からの一気にまくりだ。
ぐんぐん加速して内側の馬をかわしていく。
だが――あの時とは違った。
あの時のようにスローな流れではなく、レースが流れている。おそらく平均ペースだろう。団子となっている馬群を一気にまくった時と違い、数頭ずつ抜いていく感じだ。
そして、まくりきれぬまま3コーナーに。しかも、外に張ってくる馬もいる。
だめだ。張ってくる馬をまくりきらないと、どんどん外に振られるぞ。
それはまなっちゃんもわかっている。ムチが入り、まくっていく。
だが、コーナーワークで先頭を行く3頭とは差ができ、内からも馬がすくってくる。
そのまま直線へ。
加速がついているヒメは、大井内コースのきついカーブで外へと大きく膨らんだ。
それでも勢いはある。
前は2頭が抜け出し、外の1頭の脚色が怪しい。
3頭との差は4、5馬身。
追いつけ! 追いついて併せれば、ヒメの粘り強さが生きてくる。
「行け!」
俺の声とともに、まなっちゃんも激しく手を――いや、脱落してきた馬が外へともたれている。
まなっちゃんは左手で手綱を引いてさらに外へと導いている。なかなか前と押せずにいる。
それでも、なんとか外からかわしさり、手綱を振るように動かし、ハミをかけ直そうとしている。
噛め! しっかり噛め!
胸の中で叫ぶ。
ヒメがハミを噛んだのか、まなっちゃんが前へと腕を押し出した。
残り100(メートル)届くか。
置き去りにされた2番手の馬をかわし去る。残るは1頭。
だが、そこまでだった。
1馬身半差は縮まらぬまま、ゴール板を駆け抜けた。
検量室前に戻ってきたまなっちゃんは、迎えた先生と俺に、「すいませんでした」と消えり入りそうな声で頭を下げた。
「いやいや、君もヒメちゃんも無事で何よりです」
先生が優しく声をかけている。
まなっちゃんが悪いわけじゃない。あれは偶発的な事故のようなものだ。本当なら惨敗していてもおかしくなかったのに、2着になったのはまなっちゃんのおかげだ。
俺がそう言うと、まなっちゃんは首を小さく横に振った。
その姿に胸がつまる。だが、俺までもが落ち込んでいるわけにはいかない。まだ、終わっていないのだから。
自分の気持ちも切り替えるために、言葉に力を込め、
「ヒメには次がある。まなっちゃん。君にもだ」
落ちていたまなっちゃんの視線が上がった。
「ユッカが君を待ってる。だから、次のレースで勝利をつかみ取ってこい」
そう言って笑顔を作ってみせた。
上手く笑えたかはわからない。だけど、まなっちゃんは小さくだがしっかりとうなずいてくれた。
俺は、検量室へと向かっていく背中を見つめながら胸の中で声を送った――がんばれ。
【大井11レース B2B3混合 1800Ⅿ(外コース)15頭立て 天候:曇り 馬場:やや重】
まなっちゃんが騎乗する馬は直前オッズが1倍台と圧倒的な1番人気だった。
それもそのはず、JRAの3勝クラスから移籍してきた馬で、前走はこのクラスで後方から一気に差し切り勝ちをおさめていた。
小林の馬なので、所属厩舎の先生に直接聞いたのだが、状態も1回使ってさらによくなっているとのことだ。
まなっちゃんが調教などで手伝うことも多い厩舎なので、あと1勝だということを知っている調教師が、今回わざわざ用意してくれた馬でもある。
大丈夫。落ち着いて周ってくれば、それで勝てる。
だが、しかし。
人知の及ばぬ流れというものがあるとするなら、今日は最悪ということだ。
まなっちゃんの乗る馬は前走のように中段につけ、絶好の手ごたえで3コーナから4コーナーを周ろうとしていた。
だが、その時突然、先行馬の中で心房細動を発症した馬が。
急速にスピードが落ち、後続馬が接触転倒。それを避けようと各馬が外へと大きく広がった。
まなっちゃんの馬もぶつけられ、弾かれ、されに前で広がる馬たちを避けて外へ。
前を走っていた4頭だけが、まともにゴールできただけで、他はめちゃくちゃだった。
スピードを落とした馬たちが、ばらばらとゴール板を駆け抜けた。その中にまなっちゃんの姿もあった。
これで完全に……終わった。




