♦ 番外編 ユングラフ賞~丹波虎太郎の風車ムチ
【2月末日 ユングラフ賞 浦和1400m 天候:晴れ 馬場:良】
12頭立ての中で1番人気には東京2歳優駿牝馬の3着馬・サクットネがおされていた。前走では上位2頭に大きくはなされてはいたが、S1での3着は実績上位である。
2番人気にも同じレースで善戦した馬がおされていた。5着馬のウラワッコダマシイである。
サクットネとは鼻差の4着馬を挟んで頭差と、ほとんど差はなかった。
力差がないことを示すように、オッズはほとんど差がない。
厩舎も大井小林の名門・田森厩舎と、浦和の名将・古久保厩舎とどちらも申し分ない。
さらにファンを悩ましたのが騎手配置である。サクットネは厩舎所属の柿沼騎手へと乗り替わり、ウラワッコダマシイも乗り替わりとなっている。
騎乗することになったのが、前走でサクットネに乗っていた丹波虎太郎なのである。
『各馬順調におさまり、最後にパーピーハーピーがおさりました。落ち着くの待って、スタートがきられました。はたして、どの馬が桜花賞へのプラチナチケットを手に入れるのか』
実況はいつものように軽やかである。
丹波は6番ゲートから上々のスタートを切り、周りへと視線を走らせていた。
スタート直後から激しく手を動かす騎手たちも見受けられる。外枠からでも逃げたい騎手に、内からつっぱる騎手。間で挟まれたくない騎手。
どうやらハイペースになりそうだ。
彼はそう思いながら、オレンジの帽子に目をとめた。
7枠10番サクットネが、前を追いかけるように外から押し上げている。
丹波は少し手を動かし、ウラワッコダマシイをうながし、外目へと導いていく。
浦和の1400はスタートから1コーナーまでは距離はあるが、決着がつかぬまま4頭が横に並んで1コーナーに入っていく。
そして、向こう正面。
『馬群は早くも縦長。注目のサクットネは先行争いの直後につけています。マークするようにウラワッコダマシイもつづいていく』
馬群はハイペースで3コーナーへ向かっていく。
『さあ、早くもウラワッコダマシイが動く。サクットネに並びかけていく』
そんな中、丹波は胸の中で声をあげていた。
ハイペースの中、3角手前で動くなど、早すぎるのは百も承知だ。だが、俺は俺の仕事をまっとうする。
丹波は調教師の言葉を胸に手を動かす――「丹波さん。サクットネをつぶしにいってください」
『さあ、早くも一騎打ちか』
先行争いをしていた4頭は3コーナーで飲み込まれ、サクットネとウラワッコダマシイが並んで先頭に立っていく。
東京2歳優駿牝馬を彷彿とさせるマッチレースで後続を引き離していく。
そのまま3コーナーから4コーナーへ。
『サクットネまだ手ごたえに余裕があるか。ウラワッコダマシイにはムチが飛ぶ』
手ごたえが怪しい。
丹波はそう思いながら、レース前の調教師との話を思い浮かべていた。
「手ごたえに騙されずに追い続けてください」
「目一杯追ってもいいんだな」
思わず、そう聞き返していた。
近頃は手ごたえがないのに追うと嫌がるやつも多い。ゴールもしていないのに、すぐにケツを上げやがる騎手もいやがる。
そんなことを思いながら。
丹波は競馬社会とはまるで無関係の中で騎手になった男である。
八百屋の父親が競馬好きで、しかも宇都宮競馬場が近かかったこともあって幼い頃からそこが遊び場でもあった。さらに中学生にもなると競馬新聞を愛読するようになっていた。
もちろん自分で買うことはなかった(?)が、商店街のおやじ店主たち相手に、予想したものを生意気にも語っていた。
それが当たればご祝儀なんかもらえるものだから、完全にのめりこんでいた。
そんな中で、いつしか騎手に目がいくようになっていた。その姿にむかつくことも多々あった。
スタートから何もしない野郎や、まだゴールをすぎていないのにケツを上げる野郎。
自分が買った(?)馬の騎手がそんなことをしていると、「ちゃんとやれよ」と怒鳴っていることもあった。
こんなやつらに大事な金を任せられるか。それなら俺が。
丹波はそんな思いと、体が小さかったこともあって、周りのおやじたちにも強く勧められ騎手を目指すことになった。
それが35年も前の話で、まだ競馬学校も教養センターもない時代であり、中学を卒業した彼は、宇都宮競馬の厩舎に弟子入りする形となった。
そこで毎年少しずつ勝ち星を増やし、北関東競馬を代表する騎手にまでなったが、突然競馬場が廃止となり、戦う場が奪われた。
その後、流れ着いたのが南関東競馬だった。どの厩舎にも所属しないフリーの立場であるがゆえに、騎乗数は安定せず、勝ち星は伸びない。それどころか毎年減ってきている。
その原因は丹波の騎乗スタイルにもあった。
彼が南関東に移ってからしばらくすると、クラッシャー、など呼ばれるようになっていた。
激しく追う姿から馬が壊れると思われたのだろう。実際はそうではなかったとしても、根付いたイメージとは恐ろしいもので、彼についてまわり続けていた。
『ウラワッコダマシイ必死に食らいついたまま直線へ』
半馬身差のまま馬場の中央へ。
柿沼のムチもサクットネへと飛んでいる。
丹波はムチを握り直した。
丹波はふと思い出す。あいつ(古久保調教師)がいつだったか言っていたことを、
「持っている全てをださせてあげることは幸せなことです」
その後に続いた言葉は、丹波が持ち続けているものと同じだった。
「私はどんな時も見ている人が納得する競馬でありたいですね」
丹波はムチを振り上げた。「ったく、かっこうつけてんじゃねえよ」
彼は言葉とは裏腹に、10歳ほど年下の調教師を尊敬している。
大きく振り上げたムチ、力を込めて振り下す。1発、2発。
サクットネがしぶといことは、前走乗っていた丹波はよくわかっている。いい馬だということも。だからこそ、今回だって乗りたかったくらいだった。
だが、1回限りというのは始めから決まっていたことだった。
そんな中で、声をかけてくれたのが古久保調教師だった。
古久保さんよ。確か俺の仕事はこいつをつぶすことだったよな――丹波は胸の中でつぶやき、横へと視線を向けた。
半馬身差は詰まらない。
丹波はやや右側へ向くようにして半身の態勢をとった。そして、後ろから回すようにしてムチを飛ばした。
風車のように腕を回しながら、ムチを連打する。
古臭いだの、時代遅れだのいうが、そんなこと知っちゃこっちゃねえ。俺はこれでしか思いが伝えられねえ。
すまん。がんばってくれ。
『丹波の風車ムチが飛ぶ。さあ、馬体が並んだ。サクットネか、ウラワッコダマシイか。ウラワッコダマシイ、サクット』
ゴールも迫る中、丹波の思いに応え、ウラワッコダマシイがサクットネを競り落とし半馬身前へ。とその時、丹波は何か気配を感じ、左(内)へと視線を走らせた。
サクットネの向こう、内ラチ沿いから迫るものが。
丹波の目に、その馬のメンコが映ってくる。
そして、並ぶ間もなく抜き去られた。
俺の仕事は……終わった。
彼はそう思いながらゴール板を駆け抜けた。
丹波はスピードを落としながら、馬の首を撫でるように軽く叩いた。
「お疲れさん。よくがんばったな」
彼は、ゆっくりと息を吐きだした。仕事をまっとうできたことにほっとしながら。
丹波が目にしたメンコには、馬の額あたりに大きなひとつ☆があった。それはウラワッコダマシイと同じものだった。
ユングラフ賞は古久保厩舎のワン、ツーで幕を閉じた。これで3着のサクットネまでが桜花賞への優先出走権を手にした。
勝ったギャルルンバは、これで2戦2勝となった。
この馬のデビューは中央(JRA)の新馬・8月の新潟ダート1800メートルだった。今回はそれ以来の競馬で、中央1勝馬にしては6番人気と評価は高くなかった。
それもそのはず、調教は新聞で見るかぎりは休み明けにしては地味で、新馬戦も乱ペースで前が総崩れになる中、最後方から差してきたもので、時計も平凡だった。
まさに今回も同じである。前が崩れる中、後方から差しこんできていた。
古久保調教師は検量室前に馬が戻ってくると、勝ち馬より先に、ウラワッコダマシイのほうへ向かっていた。
そして、馬上の丹波へと手を伸ばした。
二人の手が力強く重なっている。




