信一 ♠ いざ西へ
馬運車はまだ夜も明けぬうちから西へと向かっている。
俺はすかっり顔なじみになった運転手さんにお願いして、助手席に乗せてもらっていた。
目指すは世界にもその名をとどろかす名城・姫路城。じゃなくて、姫路競馬場。近年の兵庫県競馬は年明けから数か月は、園田ではなく姫路競馬場で開催されている。
その地に今年は新たに3歳牝馬による重賞が開設された。
【白鷺の姫杯】※架空
姫路城の別名である白鷺城から名づけられたという。
先週、ユッカをどのレースに使うか話し合う竹川厩舎恒例のトップ会談があった。トップなどと冗談でいっているが、そんなたいそうなものではない。今回は短期移籍中で不在のまなっちゃんを除くいつもの3人+ウルルンという顔ぶれだった。
ユッカが目指すのは、南関東牝馬クラッシクの第一弾、1か月後の浦和の桜花賞。まさに、竹川厩舎が挑むことができる本当に本当の最後のS1でる。
そこに出走するためには、現状では賞金が足りない。となれば、権利を獲得するか、賞金を加算するかが必要となってくる。
「やっぱ、浦和のユングラフ賞かな」
ヤマさんが言うように、桜花賞のトライアル競争であるそのレースで3着までに入り、優先出走権を得るのが王道だろう。
だが、俺には他に気になるレースがあった。
そのレース名を口にすると、ヤマさんから、
「なんだか聞いたことないな」
「今年、新設された重賞なんですよ」
「ぽっとでかよ。なんか軽いな。重賞なんていっても重みもなんもねえよな」
「確かにそうかもしれませんが、新設ってことは勝ったら、初代女王ですよ。歴史にユッカと竹川厩舎の名が刻めるんですよ。それに重みとか価値とかそんなもん、ユッカがここを勝って、その後活躍したらうなぎのぼりですよ」
「まあ、確かにそうだが。わざわざ関西まで遠征するってのもな……。南関のクラッシクを目指すのに、遠征する必要ないだろ」
ヤマさんが言っていることはもっともだ。それでも食い下がる。
用意しておいたプリントアウトした資料をヤマさんと先生に渡し、説明を加える。
距離は1500メートルで、直線奥の引き込みからスタートし、大井と同じ右周りで1周するというコースである。大井に比べると直線は230メートルと短く、砂が深いので時計がかかるタフなコースである。
「遠征するより、左周りを経験させたほうがいいんじゃないか」
それもごもっともだ。ユッカはデビュー以来、右周りの大井しか経験していない。目指す桜花賞は左周りの浦和である。
これもどれも浦和のほうがいいに決まっている。
でも……ユッカに。いや、田所雪香に。
騎手・田所雪香が生まれ育ったその地にもう一度。その思いは消えることはない。
「ほら、騎手。こっち(浦和)で走らせるとなると、騎手を誰にするかって問題が、またでてきますよ。その点、兵庫県競馬にはうちの主戦騎手がいますからね」
ヤマさんにそう言いながら、言い終わると顔を先生へと向けた。
まなっちゃんが年明けから2か月という限定で兵庫県競馬に短期移籍している。
できるかぎりは所属騎手を起用するというのが竹川先生の昔から変わらない主義だ。
ですよね、先生。
そんな思いで見つめると、先生は、
「姫路城には一度行ってみたかったんですよね」
そんな冗談を言いながら、にっこり笑ってくれた。
「しゃねえな。俺も行ってみたかったしな」
「ヤマさんは留守番ですよ。うちのヒメ(サトミノヒメ)をよろしくお願いしますね」
「バッ、バカ言うな。ヒメの担当厩務員はお前だろ」
「そうですけど。もう一頭の担当馬のほうはレースにでるもんで。そっちを優先しないと。いやあ、体が2つあればいいのに」
わざとらしく大げさにため息をついて見せた。
「わかったよ。はいはい、俺が残りゃいいんだろ」
投げやりで言ったヤマさんだったが、急に真剣な顔になり、「絶対勝ってこいよ」
馬運車に揺られながら、あの時のヤマさんの顔が浮かんでくる。
思いは俺も同じだ。今度こそ先生のために。桜花賞をとるために。
そのためには、このレースは負けられない。賞金を加算して、そして、桜花賞へ。
だが……俺はスマホ上で指を走らせた。
昨日、ダウンロードしておいた電子版の兵庫県競馬の新聞を開く。そして、メインレースのページを。
すぐに目につく1枠1番。
なんで、このレースに出てくるんだよ。地元(浦和)のトライアルレースにでればいいじゃん。
南関東地区からは2頭の馬が遠征している。ユッカともう一頭が脅威の暴走馬アイウォンチューである。
折り合い知らずといわれるだけあって、ハイラップで飛ばしに飛ばしまくる。勝つときは圧勝、負ける時は惨敗という馬だ。
そんな馬なのだが、前回は強敵馬相手に交わされてからも3着に粘っていた。
今回はどうなのか。とにかく走ってみないとわからない馬だ。
調教に目を向けてみると、早い時計はだしていない。
おそらく、調教でも引っ掛かりぎみに飛ばしてしまうので、軽い調教にしているのだろう。
それとも何か問題があって調教不足?
うん……? どうなんだろう?
なんにしても、調教師は地方競馬のナンバー1といっても過言ではない古久保先生である。
東京2歳優駿牝馬を使わずに、ここに備えたとすると、どこかの牧場か施設で鍛え直してきたのかもしれない。
ああ、ほんとうになんでこっちなの。地元のユングラフ賞にでればいいじゃん。
もう! そんなことを思っていたってじょうがない。
俺は、ふうーっと息を吐いて、気持ちを切り替えた。そして、姿は見えないが後ろにいるユッカへと心の中で声をかけた――がんばろうな。




