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アイドルジョッキー馬になる  作者: ゆらゆらゆらり
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信一 ♠ バイト中です

 ぶるっと体が震える。


 お役御免とばかりに厩舎を去り、ここでの住み込みバイトも1か月半になる。

 真冬の海風はさすがにきついが、早朝の誰もいない中を波音だけを耳に散歩、なんとも気持ちがいい。


『じゃあ、いくよ』


 もうちょっと、この雰囲気にしたらせてよ。

 って、そんなこと思っている場合じゃない。


「ちょ、ちょと。うわあ」


 突然の動きにバランスが崩れ、慌てて体勢を立て直した。


 動き出したユッカが波打ち際をゆっくりと走っていく。その馬上に俺がいる。


 これが毎朝のルーチンになっている。


 俺だけが厩舎に残っていても馬がいないということで、ユッカとともに俺も放牧にでているという状況だ。

 担当馬であるユッカもサトミノヒメもここにいるので、乗馬馬も含めて世話をするということで、この乗馬クラブで働かせてもらっている。


 この九十九里浜に面する乗馬クラブはとにかく広い。初心者から上級者、さらに観光スポットとしてもにぎわっている。


 元ジョッキーであるオーナー・石先さんが趣味で作ったというウッドチップが敷き詰められた周回コースまである。

 いやいや、趣味の枠を超えてるでしょ。そこらのトレーニング施設に負けない立派な調教コースでしょ。だって、1周1100メートルって地方の競馬場と遜色ないじゃん。


 もともとは自分が馬に思う存分乗りたいというので作ったらしいが、今は上級者や元騎手も訪れて楽しんでいる。

 そして、競走馬の救いの場でもある。

 成績が残せず引退した馬の中には、気性の問題などで乗り馬になれない馬もいる。そんな馬は若馬が多く。力を持て余している。

 その馬たちが着順なんて関係なく、人と一体となって思いっきり走れる場でもあるのだ。


 

 

 ここの本業はコース内側にある角馬場での乗馬と併設する2階建てのカフェである。

 テラスから放牧広場で走り回る馬やコースを疾走する馬が見え、1階のオープン席ではポニーやミニチュアホースと触れ合うこともできる。

 今や癒しの馬カフェといわれ人気のスポットになっている。


 ここでユッカも楽しむ人やはしゃぐ子供たちの声や姿を目にしながら心と体を癒していた。




 ちなみに竹川先生はヤマさんと一緒に今現在北海道にいる。


 そうそう、ヤマさんといえば、ほんと頭にくる。ずっと嘘をついていやがった。何が観光牧場で乗馬を教えるだよ。

 実際は勤めてなんかいなくて、試験を受けていやがった。落ちると格好が悪いとか言って隠していやがった。


 だから、実際はここ(乗馬クラブ)で馬に乗ったり世話をしたりしながら、厩舎にもちょくちょく顔をだして準備をしていたというわけだ。

 先生は承知していたらしいが、俺には隠したまま。


 それでだ。その試験とやらの結果というか受けていたのを知ったというか、それが厩務員仲間からヤマさんの名前が協会のホームページにでていると聞いたからで、そのことを本人に問い詰めると、


「あれ? 言ってなかったけ」


 とか言ってとぼけやがった。しかも、嬉しそうににやにやしながら、


「信一君。これからは私を先生と呼びなさい」、だって。


 それにだよ。竹川先生の家で合格祝いをした時だよ。べろべろに酔ってご機嫌で、


「ああ。とりあえず新生・小野山厩舎のスタッフをさがさなきゃな。どこかにいい厩務員いないかな」


 俺が目の前にいるのに、そんなことを言うありさまだよ。


 だけど、酔っぱらってごろりと横になったヤマさんから寝言のように声が――「信一。よろしくな」


 まあ、しょうがねえから働いてやるよ。



 4月から竹川先生の後を引き継ぐ形で、小野山調教師の新厩舎が誕生する。


 とはいっても環境は何も変わっていない。


 竹川先生は正式な役職ではないが相談役として今のまま残る。家もそのままだ。

 ヤマさんは言っていた。俺たちが集まった場で、


「俺、厩舎村って居心地悪いんだよ。通いのほうが性に合ってんだよな」


 俺が知るどこかの調教師もそんなことを言っていたが、それとは違う優しさが含まれている。

 天涯孤独な先生へのヤマさんの思いが。


 まなっちゃんも小野山厩舎所属となる。今は兵庫県競馬(園田・姫路)に短期移籍中で、順調に勝ち星を伸ばしている。

 園田に戻ったチャーリーこと比嘉開人がアドバイスをくれたり、厩舎に売り込んでくれたりとバクアップしてくれているらしい。


 ユッカのことで負い目があるのか。いや、あいつのことだ。単にまなっちゃんへの下心からだろう。


 そうそう、竹川厩舎のアイドル・ウルルン(猫)も元気元気。


 今は先生たちがいないので、ひとりお留守番だけど、ヤマさんの奥さんである奈津さんとちかちゃんが幼稚園帰りに寄ってくれている。






「脚の感じはどうだい?」


 波打ち際を1キロほど走り、向きを変えてゆっくり歩きながら声をかけた。


『問題なし。いい感じだよ』


 海水による冷却効果はやはり大きそうだ。

 こちらに来てから、脚の状態をユッカに確認しながら、最初は引綱をもって歩くことから始め、段階を踏みながら約1か月半。問題なく走れるようにもなっている。


 短期間だがユッカはまさに成長期。体も脚部もしっかりしてきている気がする。


「これなら先生のOKももらえそうだな」


 俺の声に、ユッカから嬉しそうな『うん』という言葉が返ってくる。


 今日、先生とヤマさんが北海道から戻ってくることになっている。そのまま、ここにも立ち寄る予定だ。


「先生たち、いい馬に出会えたかな?」


『出会えていればいいよね』


 先生たちが北海道に行っている目的は、牧場まわりである。

 小野山厩舎開業により馬房が2つ増え、お祝いを兼ねてユッカやヒメの馬主である会社がもう1頭馬を購入してくれることになっている。

 反対君は相変わらず、ぐちゅぐちゅ言っていたようだが、社長が強く推し勧めてくれたようだ。


 小野山厩舎開業に向けて、確実に動き出している。

 だが、もうひとつ。竹川厩舎としてユッカの名を刻みたい。あのレースで。


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