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アイドルジョッキー馬になる  作者: ゆらゆらゆらり
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信一 ♠ 一週前追切り

 一週前の追い日である今日が実質の最終追い切りとなる。


 ここまで時計にこそなっていないが、長めの距離を乗り込み、時間をかけた引き運動と合わせて、豊富な調教をこなしてきている。

 先週はコース馬場の大外を回した後、向こう正面でゆっくり加速しつつ、そのまま引き込み馬道からコース馬場の外側にある坂路コースへ入り、軽く仕掛けて駆け上がっている。

 そして、大回りしてコース馬場に戻り、正面を軽く流すという調教をこなしている。


 この調教を今日もすることになっている。

 今までのユッカと比べればハードなものだが、他馬と比べれば軽いものだ。たとえ、S1であっても成長段階では無理をさせないという先生の考え方は変わらない。


 まさにユッカは馬体重が示すように日に日に成長している。それは脚への負担が大きくなることでもある。

 特にユッカは前脚の不安が完全に払拭されたわけじゃない。俺にはまったく問題がないように見えるが、先生には気になるところがあるようだ。


 ゆえに調教で強めに追うといっても、あくまでも前脚への負担が軽い坂路になっている(強めといっても仕掛けた程度)。


 そんな調教だけに不安になる。さすがに今度は相手が相手だ。今までとは比べ物にならない強敵がそろう。

 しかも流れ聞こえてくる話によると、動画で見た強敵たちはS1制覇に向けてハードに鍛え上げられているという。



 あの馬もそのうちの一頭だろう。


 目に映ったのは赤いジュンパーを着た田森先生。先生が首をなでているのはサクットネ号だろう。

 馬上には田森厩舎揃いの赤ジャンパーを着た所属若手騎手・柿沼の姿が見える。そして、先生の横で楽し気に話す男がもう一人。


 比嘉は俺に気付き、足早に近づいてくると人懐っこい笑顔で、「おはようさんっす」


 俺が挨拶の言葉を返すとにこりと微笑んだが、ふと表情が陰り、「やっぱり昨日聞いたとおりっすか?」


 比嘉は用もないのに相変わらず毎日のように竹川厩舎に顔をだしている。いや、こいつに言わせれば用はあるのか。要するにまなっちゃん目当てだ。

 まあ、昨日はそれ以外にも大切なことがあったのだが。


 今まではユッカの調教はまなっちゃんが行っていたが、今回の追い切りで初めて比嘉がまたがる。その調教内容を昨日伝えていた。

 その時、彼は俺と同じ不安を口にしていた。だが、先生はいつものように柔らかにほほ笑みながら受け流していた。

 それに対し比嘉はどこか納得していない様子だったが、あくまでも決めるのは調教師である先生だ。それがこの競馬社会というものだ。

 

 先生はこの社会では珍しく俺らの意見を聞いて、取り入れてくれているが、このことに関しては違っていた。

 とはいっても、先生の芯にあるものは同じ。馬優先――それが全て。


 わかっている。わかっているが……。


 昨日、夜になると、馬舎にいた俺のところに、再び比嘉が顔をだした。

 不満は解消されたどころか増しているようで、動画で他馬たちのレースを見てきたと言い、「こんな調教では相手にならへん」と真剣な顔で訴えてきていた。



 そして、今日になってもその思いは変わらないようで、


「ほんまビッシと追ったほうがええんちゃいますか。今回は相手がちゃいますし、信さんもそう思いまへんか」


 比嘉の言葉に俺の心は揺れた。ゆえに返す言葉につまった。


 さらに比嘉からは、


「今、田森先生と話してたんすけど、サクットネは今日はビッシとやるらしんすっよ。んでもって、どうせならユッカと併せてもええ言うてくれますねん。どうっすかねえ?」


 サクットネはおそらく東京2歳優駿では3強に次いで、ユッカと並ぶくらいの人気にはなる馬だろう。それだけの実力もある。そんな馬と併せられるならいい調教になる。


 さらに心は揺れたが、それは一瞬のこと。


「あくまでも先生の指示は昨日話したとおりだから。それで頼むよ」


 それに対し比嘉からは反論の声が聞こえてきたが、俺は突っぱねた。そもそも厩務員の俺にそんなことを決める権限なんてない。


 比嘉は不満顔で田森先生のほうへと戻り、頭を下げながら何かを伝えている。


 そして、俺たちの方へと戻ってくると、「やっぱ、ビッシと行ったほうがええのになあ……」

 ぶつぶつと言いながらユッカにまたがった。


 とその瞬間、比嘉の表情が変わった。口を結び、引き締まった顔になっている。まさに騎手の顔だ。


 こいつも本気なんだ。ユッカの底知れぬ力ならS1だってと思っている。だからこそ、その能力を全開にしたいと。


 そん思いを感じながら、引き綱を抜いて、「頼むぞ」と声をかけた。



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