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アイドルジョッキー馬になる  作者: ゆらゆらゆらり
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信一 ♠ 手前をかえてなかったとは

 俺は調教スタンドで先生と並んでユッカの姿を追っていた。手にはビデオカメラがある。


 馬術部時代の先輩から借りてきた高画質なものだ。

 今の彼は住宅メーカの営業マンで馬とは関係のない職についているが、昔から馬に乗るよりビデオを手にしていることが多い人だった。


 趣味が馬の絵を描くことだったので、競馬場にも足を運んでビデオ撮影し、これぞという場面を切り取って絵にしていた。


 俺の部屋の壁にも彼の絵がある。

 レース後に厩務員が馬を迎えている一場面。泥だらけの馬は着外だったという。それでも出迎えている厩務員のほっとしたような横顔が描かれていた。


 俺が厩務員になる時にその絵をプレゼントしてくれていた。


 その絵を見るたびに、馬が大好きな彼がそれを渡してくれた思いを感じている。

 だからこそレースの度に思う。どんな馬も無事で戻ってきてくれと。


 竹川先生もその事を何より思っている人だ。S1を目指すとなっても先生は変わらない。


 今日もいつものように軽めの調整が続いている。


 あくまでも成長段階では無理をさせないというのが先生の考え方だ。

 ユッカは7月に生まれた遅生まれ馬であり、体も小さい。その体も体重が示すように今まさに日を追って成長している。


 それは骨も同じことだろう。


 先生はユッカが入厩した時、立ち姿を見て肢勢しせいのことを口にしていた。狭踏肢勢だと。

 それは前脚が人間でいうところのO脚のようになっている状態をいうのだが、俺は全く気付かなかった。


 場主の話では当歳や1歳の頃は、素人でもわかるほどの状態で売れ残りの原因にもなっていたとのことだった。だが今は、曲がりなりにも馬に携わる俺でも気付かない。


 先生は場主の話を知らなくとも、そこに気付いていた。ということはまだその傾向は残っているということだ。


 狭踏肢勢は外に弧を描くような歩きなり、故障しやすいといわれる。もちろんユッカの場合は歩様も問題ない。

 だが先生は、故障が多いサトミノヒメ同様に、時間をかけて引き運動をすることで、常に気にかけている。


 さらに人を乗せての調教は慎重だ。


 ほぼ馬なりの調整もそのためで、強めに追ったのは坂路だけである。坂路であれば、負担は前というより後ろということになる。


 思えばユッカは牧場時代から天然坂路(傾斜)で鍛えていただけあって、トモが特に発達していた。




 ビデオカメラ越しに見てもほれぼれするようなトモをしている。


 まなっちゃんを背に少しペースを上げてキャンターで周回コースの3、4コーナーを周ってくる。


 俺は先輩にしっかり指導してもらったとおり、ビデオをズームしていきその姿をしっかり捉える。焦点を前脚に合わせて。



 まなっちゃんが前走のレース後、ユッカから降りながら口にしたのが、「手前をかえてくれませんでした」という言葉だった。


 俺は思わず、「えっ?」と返し、ユッカからは『あっ』という言葉が聞こえていた。


 馬は走る時、左右の脚が交互に連動しているのだが、軸となる前脚が手前ということになる。つまりは最後に着地する脚ということになる。

 軸脚のほうに重心が傾くので、コーナーを周る時には右周り(時計回り)なら右手前のほうがスムーズに走れる。


 大井コースは右周りなので、ユッカは右手前で走っていたようだ。こんな言い方になるのは、俺は全く手前のことは気にしていなかったからだ。


 通常、目の前で見ても、どちらの手前で走っているのかは馬のスピードが速すぎてわからない。それは映像でも同じだ。


 スロー映像で、さらに意識してみなければわからない。


 俺だって乗馬をしていたので手前をかえることはわかっている。でも、すっかり忘れていた。


 ユッカの力強いトモは走る時の推進力となっているのだが、右手前の場合は左後ろ脚が力を発揮する。左手前なら右後ろ脚ということになる。

 となれば、同じ手前で走り続ければ、疲労が偏ることになる。


 そこでレースでは勝負どころとなる直線で手前をかえるのだが、ユッカはかえずに走っていたらしい。そのレースだけでなく全てのレースで。


 デビュー戦は、まなっちゃんのほうに余裕がなくそれどころではなかったようで、2戦目も馬なりの楽勝だったので指示は出していないとのことだった。

 3戦目の前走は、直線に出たところで見せ鞭で指示を出し、左に重心をかけることで左手前にもかえようともしたようだ。

 それでもかわらないので、右手前のまま手綱で口向きを少し変えて馬場の中央へ導いたらしい。


 まなっちゃんは、「そういえば、手前がえを教えていませんでしたね」とほほ笑んでいたが、ユッカは、『私としたことが……。馬って手前かえるんだった』と自分自身に半分あきれたように照れ笑いを浮かべていた。


 手前をかえずに勝てたというのは、すなわちユッカの強さを物語っている。だが、今度はS1。今までとは相手が違う。


 すぐにキャンターでの手前がえの調教を始めたのだが、当然ユッカなら容易いこと。すぐにまなっちゃんの指示で手前をかえてみせた。


 戻ってきたまなっちゃんは、「ほんと素直で頭がいいですね」と弾んだ声で感心していたが、ユッカのほうは納得していないようだった。


 俺はまなっちゃんに頼んで調教のたびに、手前がえをしてもらうようにお願いしてやってもらったのだが、


 ユッカからは、『あぁ、なんか上手くいかない。私って思った以上にぶきっちょだわ』


 本人は納得していない様子だった。


 馬によっては手前をかえるのが下手な馬もいる。競馬においてはスムーズじゃないと少しスピードが落ちることもあるという。


『そういえば、私って昔からスキップがぎこちないって言われてたんだよね』


 そんなことも言っていたが、手前をかえる時ってスキップみたいな感じなの……?



 なんにしても問題なく手前をかえられているように思うのだが、本人は違和感があるらしく、自分の走りを見てみたいということなのでビデオカメラを構えている。






 直線に入るとまなっちゃんがユッカの肩辺りで鞭を振った。


 見せ鞭に反応して宙に浮いた脚が空を切るように動き、着地脚がかわり左手前に。そして、直線を流すように走っていった。



 すぐに自分が撮った映像を見直す。スロー再生もしてみたが問題なさそうだ。先生にも見てもらったが、納得の笑みが返ってきた。


 後は本人がどう思うかだな。





 さっそくその夜、タブレットに落とし込んだ動画を馬舎に持って行ってみるとユッカの反応は。


『なんか、どう言ったらいいのかな。スッ、スッっていってない感じなんだけど、ビデオでみるとこれでいいのか……』


 ちょっと納得していない様子だったが、先生や実際に乗っていたまなっちゃんも大丈夫だと言っていたし、問題ないだろう。



 となると問題なのはこっち。騎手をどうするかだ。


 誰かいい人いませんか。



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