信一 ♠ S1の大きな障害
【竹川家の和室】
今日もいつものメンバーでトップ会談をしていた。
先生に俺、そして、まなっちゃん。横には気持ちよさそうになでられるウルルンの姿もある。そして、何故だかヤマさんも。
これは観光牧場は首になったな。おそらく上司かなにかともめたな。先生にもため口で、おやじ、とか言ってるし。絶対やらかしたな。
こっち(厩舎)に顔をださない日はヒメがいる乗馬クラブ行っているらしいし間違いない。
俺も大人なんでヤマさんが何か言うまではね。黙ってますよ。
乗馬クラブのことも、ちかちゃんが遊んでいる時に、ぽろりと口にしたのを耳にしただけで、ヤマさんはそこに行っていることを隠している感じだしね。
まあ、今日はそれどころじゃなく、大事なことを話し合っていた。
ユッカの次走についてだ。
「信一君はどう思いますか」
先生にそう聞かれ、口ごもってしまう。
胸の中には、これ、というレースがある。
「馬主さんからは東京2歳優駿牝馬にと電話があったのですがね」
先生が口にしたレースこそ、まさにそのレースだ。
地方競馬の全国交流であり、まさに2歳の牝馬チャンピオンを決めるレース。当然強敵がそろう。ユッカは重賞レース未経験だし、いきなりのS1(JRAでいうところのG1)では荷が重いかもしれない。だが、3連勝のあの内容を見れば、もしかしたらという気になる。
初戦は不利があったし、2戦目は楽勝。前走にしても、本来なら楽に逃げられたのに、ユッカがあえて苦しい展開を選択していたように思える。
レース後にその事を聞いてみると、とぼけられてしまったが間違いなくそうだ。おそらく、まなっちゃんのために、あえてそうしたのだ。
そして、まなっちゃんがレース後にぼそりとつぶやくようにもらしたある言葉――「手前をかえてくれなくて」
それは小さな衝撃でさえあった。言われて初めて気付かされたと同時に改めて思った――手前をかえずともあの走りは、俺がレースを見ていて感じた以上に強いと。
ならば、S1へといきたいところだが……視線を向けた先で目が合ってしまい、慌ててそらしていた。
まなっちゃんも俺から目をそらしたが、その視線は先生へと向かい、
「わたしも2歳優駿に挑戦するのがいいと思います」
まなっちゃんはすぐさま、「わたしなんかが口出ししてすいません」と視線を落としている。顔までも。
それに対し先生は、
「いいんですよ。他(の厩舎)はどうだか知りませんが、うちはみんなで決めていますから。昔から騎手だって言いたい放題です。ねぇ、信一君」
俺はヤマさんのほうへとちらりと視線を向けた。
まさにこの人は言いたい放題だ。だが、今の俺は部外者だからと言い切っただけあって、知らんぷりを決めこみ、猫じゃらしを手にウルルンと遊んでいる? 格闘してる? ばたばたと部屋の隅で何やらやっている。
「ほんと、そうですよね。なんだか、言いたい放題の騎手がいましたっけね」
一瞬、鋭い視線が飛んできた。ちゃんと耳だけはこっちに向いていやがる。
そんなヤマさんの姿が可笑しかったのか、顔を上げたまなっちゃんにも笑みが浮かんでいる。
こうなれば、いざ東京2歳優駿牝馬へといきたいところだが、その言葉を飲み込んでしまう。
そのレースが重賞であるから。
まなっちゃんのような減量騎手が重賞レースに乗る時は減量の特典がなくなる。つまり、トップジョッキーたちとも同斤量で戦うことになる。
さらに、最高グレードであるS1レースに乗るには31勝以上の勝ち鞍が条件となってくる。
まなっちゃんの場合、残り1か月余りの短期間で、足りていない20勝近くを稼がなくてはならない。まず不可能だ。
南関東競馬の場合、基本的には4場が重ならないように開催されるので、トップジョッキーのように他場からも依頼されないと騎乗数を増やすこと自体大変である。
まなっちゃんでは、この前のように小林の他厩舎から依頼で遠征するのがやっとという状況だ。それゆえに、大井以外では1週間開催で騎乗は1回か2回。
となれば当然、東京2歳優駿牝馬に乗ることはできない。
それは本人もわっかているだろう。それでも、
「出走となれば、早く騎手を確保をしなくてはなりませんよね。誰がいいですかね?」
あえて明るい声で話を進めようとしている姿に胸が痛む。
もう1年、いや、今のまなっちゃんなら半年先なら乗れたかもしれないのに……。
先生も苦しいのだろう。どんな時でも所属騎手を乗せるのが先生の主義だ。
何か噛み締めるように口を結んでいる。
「木林さんはもう押さえられちゃってますかね。そうだ。比嘉さんがいいんじゃないですか。大前さんはどう思います?」
どうって。用もないのにまなっちゃん目当てでちょくちょく顔を出すほんとチャラチャラした野郎だ。ゆえにチャラ男からチャーリーと呼ばれるようになったらしい。
そんなやつでも腕は確かだ。大井での初騎乗の日から3勝を上げ、その後も着実に勝利数を増やしている。
名門・田森厩舎から声がかかるだけの男ではある。
だけど、まなっちゃん……乗れなくなるんだぞ。
「本当にそれでいいのか。ユッカに乗れなくなるんだぞ。ユッカに」
まなっちゃんの表情が強張るように固くなった。それでも、しっかりとうなずいていた。
俺には返す言葉がなかった。
まなっちゃんで出走してほしい気持ちは変わらない。それでも、どうしてもこのレースにユッカを出したい。
これが最後のチャンスかもしれない。先生にとって最後の。
だから、俺は先生へと顔を向け、
「出しましょう。東京2歳優駿牝馬へ」
俺の声を追いかけるようにヤマさんからも、「おやじ。行こうぜ」
俺は、声を張り上げたヤマさんの姿に、ふと気付いた。
ヤマさんの思いも俺と同じ――なんとか先生にS1を。
ヤマさんがちょくちょく顔をだすようになった訳が少しわかった気がした。
こうして、東京2歳優駿牝馬を目指すことになったのだが、やはり問題になってくるのが騎手だ。
まなっちゃんが言っていたように、木林さんをはじめとする有力騎手は押さえられている。
園田から短期移籍してきた比嘉も、おそらく所属厩舎の馬に乗るだろう。
彼が所属する田森厩舎にもサクットネという有力馬がいる。
重賞勝ちこそないが、強敵相手にも善戦していて、確実に力をつけている馬だ。おそらく、その馬に騎乗することになるだろう。
俺は思い浮かぶ騎手の名をあげていったが、ヤマさんから次々と否定の声が。
「あいつはダメだ」からはじまり、「あの人は馬主がらみで弱い馬でもあっちを選ぶね」とか、「こいつは生意気だから嫌だね」
など個人的感情まで入ってきて、結局決まらずのままだった。
さてさて、どうしたものか。




