信一 ♠ 言葉を失う俺がいる
【10月×日大井第3レース 特別2歳選抜1400m(外周り) 天候:曇り 馬場:稍重】
まさに馬肥ゆる秋ということか、朝晩涼しくなって、ユッカの食欲も旺盛になり、今日の検量では14キロも増えて366キロになっていた。まだまだ小さいのは確かだが、坂路で単走とはいえ強めの調教(といっても軽く仕掛けた程度)もできてのこれなら大満足だ。
追い切ったことで、パドックや返し馬でも、いい感じに気持ちが入っていた。
大型ビジョンに映る馬たちが次々とゲートに入っていく。最後に入るのが大外14番のユッカだ。
大井の1400mは1、2コーナーにあるポケットからのスタートで、すぐにコーナーになるため、外枠は不利といわれている。
まだ、今日の3レースということもあって、馬場状態は掴めていないが、昨日の傾向からすると、重馬場(今日は少し回復して稍重)であるのに時計がかかり、差し馬有利だった。
その傾向と枠番を考えても、出たなりで差しに構えるのがいいのではないかと、パドックを周りながら、まなっちゃんに話しつつ、ユッカにも伝えていた。
それにしても、大井の馬場は本当に摩訶不思議だ。
時には雨で重馬場になると、砂浜のように波で濡れて水分を含んだところは走りやすいのと同じで時計が早いのに、そうかと思えば、ねばりがでて逆に時計がかかる時もある。しかも、内がいい時もあれば、外差しがいい時も。
厩務員になる前の馬券を買っていた頃も、レース後に予想屋の健太さんと馬場読みの重要さをよく語していた。
その思いは今も変わっていない。昨日の重から今日は稍重になって、馬場がどうなっているのか気になる。
今回のレースは、ほとんどが勝ち上げってきた馬で、だいぶ相手も強くなっている。あれだけ強い勝ち方をしてきたユッカでも4番人気だ。
ユッカの実力というより、まだ厩舎も騎手も信頼されていないということかもしれない。
がんばれユッカ。がんばれまなっちゃん。
胸の中で、ゲートに入った2人に言葉を送った。
スタートが切られた瞬間、1頭飛び出している馬がいる。ピンクの帽子はまぎれもなくまなっちゃんであり、ユッカだ。
まなっちゃんの手は軽くしか動いていないのに、抜群の加速力で抜け出し、内側へと切れ込んでいく。
外枠が不利なんて関係ない。あっという間に先頭に立っている。あれだけ、あっさり抜け出してしまえば、競り込んでくる馬もいない。
後続に2、3馬身差をつけて、3コーナへ。
さすがにペースが緩いと感じてか、直線が長い外周りでも3、4コーナーで騎手たちの手が動いている。その中でもいち早く動いたのは、やはりトップジョッキー。
青い帽子ってことは木林さんか。
ヒメのレースが脳裏をよぎる。あの時と同じで、今回も木林さんの馬は1番人気の馬だ。
並びかけてくる、いや――あの時とは違う。木林さんの手は激しく動いているが、手綱を持ったままのまなっちゃんとの差は縮まっていない。
直線に入り、まなっちゃんがユッカを馬場の中央に導いていく。
昨日から逃げ馬が止まる傾向にあるから、内は重い(走りづらい)かもしれないとも伝えていた。
まなっちゃんが左右を確認するように頭を動かす様子が映し出されている。後続との差は2、3馬身のままだ。
まなっちゃんが軽く手を動かして仕掛けると、5馬身、6馬身と差が広がった。
大外から2頭の馬が飛ぶように差してきて、馬群を飲み込む。だが、さらに前を走るユッカとの差を縮まらない。
俺はその光景(大型ビジョン)を、声をだすのも忘れて、ポカーンと見つめていた。
電光掲示板には1着と2着の着差のところに6とある。
つまりは6馬身差の圧勝だ。それも軽く仕掛けただけで、小春ちゃんから託された鞭を使うことなく余裕たっぷりで。
それを裏付けるように、今日は検量室前に戻ってきた時も、ユッカの足取りは軽やかだった。
とんでもない。俺の想像なんか遥かに超えている。
鳥肌が止まらない。
――この時の俺は、次走であんなことになるとは思いもしなかった。




