8話
アンが勝手に出て行ってしまい手持無沙汰になったクーは、彼女の提案通りに集落を見て回るしかなくなった。
こうして他所の人里を見て回るというのは彼にとってもはじめてのことだが、別にやりたくてやるのではない。
正直なところ不本意だった。
「どうして、僕がこんな所……」
理由は単純、この村は『赤猪豚』が人間だったころの故郷だという。
クーにとっては家族の仇が生まれた地だ。身内の命を奪った者の故郷に、わざわざ脚を運びたいとはそう思わないだろう。
勿論、彼の悪魔が生まれたのはもう百年も前なのだから、当代の住民たちにはかかわりのない事である。恨むなど筋違いだ。
だがそのように事を割り切るには、クーはまだまだ幼い。
石畳と、脇には木製の立派な建物。
収穫期との話のまま、畑の柔らかい土は切り株を残して作物はほぼ残っておらず、代わりに刈られた麦が茎ごと麻の布敷きの上に並べられて乾燥させられていた。
山地から注ぐ川も健在なようで、脇には水車も見える。麦粉を作るためのものだろう。水源が無ければできないものなので、やはり水を嫌う悪魔の時代では珍しい。
実りは豊かで、設備も整っている。
この時代においては随分豪華なこの集落が存続しているのは、大悪魔の縁の地であるという贔屓目があるおかげだ。
クーの故郷はどこも土がむき出しの未開地だったし、家も木端や石くずを積んだような質素なものばかりだった。そんな取るに足らない土地でさえ、悪魔たちの腹いせで焼き払われた。
両親も自分も何か悪い事をしたわけではない。
なのにこうして理不尽な生活の差を見せつけられると、闇の根付いた子供の心には黒いものが育ち始める。
そうした気持ちはどうしても態度に出るものだ。
見知らぬ少年が陰鬱な気配を漂わせて歩く姿は、安穏とした集落の中では嫌に目立つものだった。
村の社会という閉鎖空間で、こういう異分子への反応は決まっている。
大人は大人のつながりがあるので敢えて手出しをしないが、子供には子供の社会があるのだ。
どこからか現れた小さな客人を見て、畑の傍で遊んでいた子供たちが手を止めた。
人間とて所詮は動物の一種だ。よそ者を見た時の反応はある程度決まっている。
強者、あるいは互角と見てすり寄る、或いは逃げる。
弱者と見て同化や従属を求める、或いは迫害する。
どんな立場であれ、社会とはそんな日和見から産まれるものだ。
そして今測られているのは、長旅で疲れたやせぎすの少年。
見るからに柄の悪い大きな子供を中心とした一団の判断は、悪い意味でわかりやすいものだった。
一方のアンは、ちょっとした小国のような集落の風情をゆっくり楽しんでいた。
勿論、塔は背負っていない。あんなものを人里で背負い歩けば振り向いた拍子に建物を数件潰しかねない。
邪魔な大荷物は入り口付近に置き、アンは身軽な少女の身一つで物資の調達がてらに物見遊山をしていたのだ。
クーと違い、アンは『赤猪豚』に直接の怨恨が無い。
だからその故郷と言われても、特に感じるところもなく冷静でいられたし、
「ほぇー……はぁー……ふぅーん……」
異国の知識や文化に興味を持っている手前、彼女には村のあらゆるものが興味深い。
家の前においてある壺、子供が遊んでいる玩具、時には地面の下草など他愛ないものにすら注目し、屈んだり背伸びしたり、触ったり叩いたりしながらあちこちを練り歩いていた。
「ふむぅ……これが白磁ってやつかぁ。この淵の蒼白いのは薬品かしら。見事ねぇ」
「ふん、これ革なのね……縄跳びと似てるけど、なるほど集まって遊ぶのか。あたしの国に比べるとあったかいから、外遊びが豊富なのね……」
「やっぱり雑草一つも随分違うのねぇ……これなんかどう見ても穀類だしクーが食べるかしら。摘んできましょう」
「「「………」」」
村人たちの反応もさもありなん、といったところである。
悪魔たちを蹴散らしながら巨大な塔を背負って現れ、食料と寝床を脅し取り、弱った相棒を放っておいて、奇声を上げながら壺を撫で、子供の玩具を勝手に奪っては返し、かと思えば所かまわず野草を毟って回る少女。
どこからどう見ても完全に不審者そのものだ。
一応目的はクーの装備の調達なのだが、今は知的好奇心を満たすのに忙しいようで、周りの目などお構いなしに村中を歩き回り、工芸品の類を漁って突いて撫でまわしていた。
「お、これなんかいいわね……」
「あ、こら、勝手に……!」
抑えられない好奇心のためにいよいよ彼女が窃盗に及びそうになった時、
「……うん?」
村の一角がいつの間にか騒がしくなっている。
心当たりのない場所ではない。あの辺りは丁度宿に貰った小屋がある区域だ。
クーには村の散策を命じていたが、彼が動けるようになってからそれほど時間はかかっていないだろう。
となるとあの騒ぎの中心にいるのは、恐らく。
「あの子ねぇ……トラブル起こすの早すぎるのよ……」
現地人との関係が上手くいかないのは読めていた。
それは覚悟の上ではあったが、今はまだ日が中天の頃。目覚めて何時間も経っていない。
とはいえ騒ぎとなれば黙っていられないアンは、一人溜息を吐くのだった。