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歩く塔のアン  作者: 霰
二人の出会い
3/24

2話


 石塔の中は巨大な円筒の空洞になっていた。

 中心にはリンゴの木が植えられ、その脇では花壇がいくつかの花を咲かせ、さらに隣には小さな円卓と椅子が二つ。それが塔の上の方の窓から微かな日光を受けて輝いている。

 先に円卓に座るアンは、カンテラの上蓋を開けてその上にケトルを置き、そこで紅茶を沸かしていた。

 厳つい外見の割に、中に入るとそこは小洒落た中庭のよう。

 主の趣味だろうか、湯気の立つティーカップが二つ並んだ円卓は農村にはない風情だった。


 だが、


「わぁ……」


 クーが声を漏らしたのは、麗しい茶会の景色にではなかった。

 彼が見つめる壁面には、無数の文字が刻まれている。

 それらは全て書物の背表紙。

 塔の内壁を丸ごと巨大な本棚として、その全てがきっちりと様々な本で埋められ、塔の内部は巨大な図書館となっていた。

 そもそも本を見たことが無かったクーに、図書館などわからない。当然名前も知らない。

 だが未知なる壮大なものを見た少年の反応はどこまでも素直だった。

 呆けたように口を開けて見入る客を、見た目は同い年くらいの主人はにやりと笑って見つめていた。


「……さ、いらっしゃい。」


 彼女にとっては望ましい反応だったようだ。

 ほんのり上機嫌な声になって、アンは入り口で突っ立っている少年を手招きした。

 クーは呼ばれるままに椅子に近づき、そのまま座らされ、目の前には紅茶が一杯。

 茶会の作法など知る筈もない。

 とりあえず飲めという事だろうし、クーは何も考えずにカップのハンドルに指を通して、


「こら」


「ぐえ」


 本の角で頭を殴られた。

 彼女曰く、持ち手はつまむらしい。指を通してはならないとの事だった。

 先に言ってほしい、と素直な感想が口から出そうになったが、口答えを許すような相手でもないだろう。

 何とかこらえ、クーは一口紅茶を啜ってみた。


「……げぇ」


 良い香りがしたので油断していたが、子供の舌に紅茶は少々渋みが強い。

 クーは顔をしかめたが、見守るアンは面白そうだ。

 その手の中で再び大きな本を開きながら、小さく頷いた。


「飲むときに音を立てるなと言いたいところだけど、まあいいわ。これで授業前の儀式は終わり。で、本題に入る前に、悪魔についてちょっと予習をしましょうか」


 アンは円卓の真ん中に本を置き、文字の向きをクーに合わせてくれた。

 といっても彼は文字が読めない。だから大した意味は無かったが、一応受講者への心ばかりの気遣いだ。

 どうせ自分が読むのだし、ということでアンは勝手に話し始めた。


「呪われた人生……それが『百年前の悪魔』の正体よ」


「呪われた……?」


「そう。要するに生前、多くの人に酷い事をしたのね。その罰に死んでも天国に行けず、この世で醜い化け物に変えられた。そしてはじめて現れたのがざっと百年前……大戦の終了直後ね。だから『百年前の悪魔』。単純でしょ?」


 さも常識のように出てきた大戦という言葉。

 生まれて十年の少年に、百年前の事など知る由もない。

 勿論アンもそんなことは織り込み済みだ。

 卓上に置かれた本は、丁度その当時の事についての文献だった。

 アンは最初のページから丁度本の真ん中までをパラパラとめくり、簡単に解説した。


「百年前まで、この世界の支配者は人間だったわ。今はほぼ消滅しているけど、沢山の人が地域によって『国』っていう集まりに分かれ、それぞれの土地を治めていたのよ。それだけで済めば良かったんだけどね」


「どうなったの?」


 質問に、アンはページをめくった。

 そのページは文があまり無く、代わりに紙面のほとんどが何かの絵で埋められている。

 似通った格好をした男たちが、筒のような謎の道具を抱えて隊列を組む姿。

 道具の方に見覚えは無かったが、男たちの姿には見覚えがある。

 馴染み深い、という風でもなかったが、この世界ではどこでも嫌というほど目に入る服装だった。


「悪魔……!」


 クーの表情がにわかに険しくなった。

 アンは一瞬彼の顔を鋭く見つめたが、しかし今は話題を変えず話し続ける。


「彼らは悪魔じゃないわ、人間の兵士よ、この当時はまだね。これは行軍中の写真」


「しゃしん?」


「……まぁ、こういう絵の事を写真って言うんだけど、それはあとで教えてあげるわ。それよりも、こいつらがやっていることが問題なのよ」


「何をしてるの?」


「戦争」


 クーは首を傾げた。彼にとってはまたしても知らない単語だ。

 アンは次に地図を取り出し、本の隣に並べた。


 本が初めて、文が初めて、なら当然地図も見たことが無い。

 世界がどんな形なのかを示すというその図面には、向かい合う竜のような大きな陸地が二つ。

 左の竜はかつてヨーロッパと呼ばれ、右の竜はかつてアメリカと呼ばれたという。

 クーの故郷であるこの農村は、左の竜の東端近くに示された。

 そして写真に映る地は、同じく左の竜、ヨーロッパ大陸の西側との事だった。


「戦争ってのは、早い話が他人の国の乗っ取り。要するに強盗ね。この囲いとこの囲いの国が争って、こっちの国が相手の町を力ずくで分捕ったのよ。あんたにわかりやすく言うと、収穫前の作物を畑の主を殺すなり追い出すなりして奪うようなものね」


「じゃあ、取り返さなきゃ」


 クーの答えにアンは瞬き、そして微笑んだ。

 取られたものは取り返す。

 当然ではあるが、それを即答で言えるのは子供ながら見上げた勇猛さだ。


 単に無知だからとも取れたがそれは言わず、アンは再び表情を引き締めた。


「そ……ということで、まぁ、あちこち取って取られて、国同士の大喧嘩になったわ。それが大戦。誰が最初にやったなんて、誰も気にしなくなった。酷いもんよ」


 ふぅ、とアンの口から溜息がこぼれた。

 これらの話は、現代に生きる者たちには他人事だ。

 彼女も例外でない筈だが、妙に実感が籠っていると、クーは子供心に思った。


「で、なんやかんやあって、その後何とか大戦はケリが付いた。だけど当たり前にこの世には呪いが満ちたわ。家族を殺した敵国の兵士や指導者、部下を使い捨てた上官、お金で自分だけ安全なところに逃げた貴族、富豪……そういう人たちは、犠牲になった人たちにそれは恨まれた。そして死んだ後も行く所に行けず、とある罰を受けることになったのよ」


 アンはもう一ページをめくった。

 だがどういうわけか、そこには何も書かれていない。

 クーが首を傾げ、彼女に代わってもう一ページをめくったが、同じことだ。

 数十のページを残して、本はそこで終わっていた。

 歴史が、そこから途切れていたのだ。


 それが意味するところは、クーにもすぐにわかった。

 交わされた視線に、アンは首を縦に振った。


「そう……ここで悪魔が現れたわ。呪われた人生を送った人間たちは、死んでもあの世へ行けずに醜い悪魔として蘇り、その腹いせに地上を荒らしたのよ」


「腹いせ……」


 幼い子供の顔がぽかんと硬直した。


 なんだそれは。

 元はと言えば自分たちが恨まれるようなことをしたからではないか。

 それに対して腹いせとはどういう了見なのか。


 そうした気持ちを確かに抱きながら、表現するにはクーはまだ幼い。

 胸の奥に沸き立つ黒い感情の名前を定義するには、純朴な農村の少年は真っ直ぐに育ちすぎていたのだ。

 だから、


「どう?」


「え?」


「あんたも感じたでしょ? 怒りを」


「怒り……」


 代わりにアンがその名を告げた。

 クーは出自のわりに悪魔の名に反応し、本人は無自覚だろうが憎しみの芽を確かに感じさせる態度を取ってきた。

 一人でこんな所を歩いていた以上、何か事情があったのだろう。


 それは間違いなく悪魔のせい。皆まで聞かなくてもアンにはわかっていた。


「で……そのくだらない腹いせのために、あんたはどんな酷い目に遭った?」


「………」


 思い出させるのは本来酷な事だろう。

 それでも、アンはずばりと訳を聞いた。

 どんなに忘れようとしても、起こった事は変わらない。

 だからさっさと事実と向き合おうとするのがいい。


 出てくるのが言葉でなくてもいい。

 怒りでも、憎しみでもいい。

 涙を流し始めた顔を見れば、委細など聞かなくてもわかる。

 そこから生まれる感情を行動につなげるのがいい、というのがアンの考え方だった。


「……故郷を焼かれたのね」


「……うん」


「家族を奪われたのね」


「うん」


 畑、家畜、どちらもこの世界では貴重なものだ。

 だがそれ以上に、家族はそれぞれただ一つの宝だった。


 それを奪った悪魔の動機はなんだったか。

 己の悪事のために人に呪われ、それに納得せず一方的に怒りを燃やす、あの醜い化け物たちは何をしたか。


 考えれば考える程、無垢な子供の胸の奥には深い靄が広がっていく。

 その気持ちは少なくとも、人を真っ直ぐに育ててはくれない。

 十中八九、この子の人格は大きく屈折していくことだろう。

 それはクーの人生に、きっと大きな影を落とし、周りにあるものをことごとく傷付け、本人の人格と共に破綻を齎すかもしれない。

 必ず何者かが、無垢な子供の心を汚した報いを受けることになるのだろう。


 それでいい。

 彼の心が破壊を齎しても、それはきっと悪い事ではない。

 本人たちの意志でないとはいえ、受けるべき報いを保留にして、生き汚くもこの世に残る怨霊がいくらでもいる。

 彼の怒りがこの世の怨念を払うのなら、それはそれでいいのだ。

 何もかも承知の上で、アンは幼子をさらにあおった。


「悪魔が憎い?」


 クーは首を縦に振った。


「復讐したい?」


 反応は同じだ。わかっている。

 アンはそのつもりで彼をここに招いた。


 自分と同じ悪魔を狩る人を作るために。


「……この世の楽しみが二つって言ったわね。一つは勉強、知識を貯える事。少なくともあたしには何よりの楽しみだし、だからこんな風に本を見つけては馬鹿でかい塔に集めてるの」


「……もう一つは?」


 訊ねるクーの瞳にはすでに深い影が刻まれている。

 良い目、とは言えないが、それを見たアンは薄く微笑んだ。


 復讐者の瞳。

 彼女が思う、悪魔退治に最も必要な怒り。

 拾った少年は、思いがけずそれを強く宿す存在だった。

 激しく燃える怒りの炎は、強い剣を鍛えるだろう。

 この世の悪を払う、鋭く固い剣を。

 満足した風のアンは椅子を蹴って立ち上がり、


「決まってるじゃない……気に入らないやつをぶちのめすことよ」


 鎖の鞭を両手で勢いよく張った。


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